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なかのひと

12/31/2007

地球へ…とスターウォーズ

スターウォーズの話題を出したので、ついでにもう一つ…
地球へ…とスターウォーズとは、どこかしら似ているのですよね。

ごく普通の少年が、超人的な英雄に導かれ、波乱万丈の冒険に旅立ち、苦難の末に大きな成長を遂げること、主人公が超能力を持つこと、また主人公が「本当の家族」を知らず、そしてそれを無意識の内に追い求めることなど…

ただ両者の決定的な違いは、登場人物たちが求めて止まないのは同じ家族でありつつも、地球へ…では「母なるもの」であり、スターウォーズでは「父なるもの」であることです。

これは、物語を作ったのが女性であるか男性であるかに負う所が大きいのではと思います。

竹宮恵子さんは「男の子ならしても良いことが、自分には許されなかった。例えそれが素敵なことではないにしても、自分も男の子と同じようにやってみたかった」と書いておられます。

恐らく当時の田舎のちゃんとしたお家の女の子として、女の子らしく、決まった道を進むようにと、きっと色々な制限や束縛があったことでしょう。

そしてそれを娘のために良かれと思って強いるのは、主に母親だと思います。
父親というのは娘に甘く、衝突しても結局は折れてしまう存在ですが、女の子にとって最も手強く、最も説得が困難な同性は、母親でしょうから。

ジョージ・ルーカス監督も「父は田舎町で小さな商店を営んでおり、厳格で怖く、自分にその商店を継ぐことを期待した」と語っていました。

同じように、息子のために良かれと思って、田舎町の商店を経営する人生を強いる父親は、男の子にとって最も手強く恐ろしく、高圧的な存在だったのではないでしょうか。

男の子の場合には、母親が父親の厳しさから息子をかばい、父親の行き過ぎを止めてくれる存在ですから、父親との関係の方がより困難なものだと推測します。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、特別な才能を持っていたが故に、子供の平凡な幸せを願うあまりに冒険を絶対に許さない同性の親と、うまく関係を作れなかったのではないかという気がします。

地球へ…では、「父親」の存在が見事なまでに無視されています。

ジョミーが想うのはマムのことばかりですし、カリナの夫なんて一度病院の場面に登場しただけで名前もないような存在、コンピューターシステムの名前はマザーシステム…

スターウォーズではこれが正反対で、ルークとレイアの父がダースベイダーであったこと、ダークサイドに堕ちる以前はジェダイの騎士だったことなどが設定されているのに対し、二人の母は設定どころか名前さえ無く、ほとんど存在を無視されています。

旧三部作であまりにもルークとレイアの母の存在感がなかったため、エピソード1を見た時に、パドメが将来アナキンと恋に落ちて二人の母になるのだと、気付かなかった位でした。

この好対照、とても面白いと思います。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、恐らく異性の親とはそれ程問題なく良好な関係を保っていたので、特に物語にしたいという強い欲求がなかったのでしょう。

それに対して、二人とも若い頃に同性の親と衝突し、家を出てまで自分の力を試し、夢を実現するために努力し、でもいつかは母に、あるいは父に、理解してもらい受け入れてもらいたいと願っていたのではないでしょうか。

その衝動が、各々母なるもの、父なるものを求める物語を作らせ、多くの人の共感と感動を得たのではと考えています。 

このブログを始めて1か月と少し、本当にたくさんの方が私の拙い文章を読みに来て下さいました。
頻繁に来て下さる方も多いようで、本当に感謝です。ありがとうございます(*^_^*)

もし面白ければ、是非人気ブログランキングへの投票をお願いしますm(_ _)m
それでは皆さま良いお年を(^_^)/
来年もどうぞよろしくお願い致します。

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12/30/2007

地球へ…:理力

地球へ…の連載が始まった1977年には、スターウォーズが公開されているのですよね(^_^)

地球へ…の第一部が終了した後にスターウォーズが公開されたので、第二部から一層スケールが大きく、宇宙全体を舞台として物語が展開し始めるのは、やはりスターウォーズの影響があったものでしょう。

第二部が連載されている頃にはすでにスターウォーズが話題になっていたと見え、第二部の総集編に収録されている「まんまりの日々 またのタイトル"テラ"のできるまで」の中に、「理力」と言う言葉が出て来ます。

そういえば、スターウォーズ新三部作が公開されるまで、「フォース」は「理力」と訳されていたなあと懐かしくなりました。

竹宮恵子さんが「理力」を口にするのは、アシスタントさんにコンピューターパネルの碁盤目を所々黒く塗るよう指示するところです。

セキ・レイ・シロエが、キース・アニアンの出生の秘密を探るため、E-1077のデータバンクを管理する技師さんに近付き、情報を引き出してもらうよう頼む場面でした。

この場面、巨大なコンピュータールーム一杯にパネルが並び、それを部屋の中央のずっと下の方から見上げるように描いてあります。

真ん中にちっちゃな宇宙船に棒のようなスタンド(?)の付いたものがあり、これが実際にコンピューターを操作する道具のようでした。

今のコンピューターの概念とは随分違いますが、これはこれで、当時の未来感が何となく分かり、レトロながらも面白いと思います。

このページ、シロエの「マザー・イライザ!お前の最愛のトップエリートを…お前の手でぶちこわさせてやる!」という独白も加わって、とても印象的なページでした。

でも、これを描くのに二人のアシスタントさんが3時間もかけたとは、漫画とは本当に手のかかるものなのですね…

筆を使うとはみ出してだめよぉ!とか騒ぎながら四苦八苦しているアシスタントさんたちに、竹宮恵子さんは涼しい顔で「理力をお使いなさい」と言うのです(^_^;)

この頃竹宮恵子さんとアシスタントさんたちの間で、スターウォーズがちょっとしたブームだったのでしょう。

今発売されているコミックスだと、こんなことは知る由もないので、マンガ少年別冊版が手に入ってご満悦の私でした。

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12/29/2007

地球へ…:アタラクシアは銀河系の外だった

地球へ…のマンガ少年別冊版を手に入れてしまいました(*^_^*)
こんな古い本が今頃手に入るとは思っていなかったので、感無量です!

地球へ…を初めて読んだのは、このマンガ少年別冊版だったので、読者からの質問に竹宮惠子さんが答えるコーナーや、SFミニミニ辞典(時代を感じますね…)、ミュウの宇宙船解剖図など、そう言えば読んだなあと、懐かしく読み返しています。

地球へ…Q&Aの中で、アタラクシアは地球から二千光年の距離というが、その距離では銀河系の中にあることになるため、銀河系全体を外から見ることは不可能では?という質問がありました。

竹宮恵子さんはそれに対して「確かにその通りです。二万光年と訂正します」と答えておられ、実際にテラズナンバー5の台詞も「地球からは二万光年離れた星」と訂正されています。

ところが後に、フィシスが持っていた銀河系のイメージは、グランドマザーが創った人造人間の共通の暗号という設定がなされ、「銀河系外に育英都市はひとつもない」とジョミーは言っています。

最初勘違いで設定してしまったことを、ストーリーの一部を作るために使ってしまうなんて、竹宮恵子さんは何と柔軟性のある人なのでしょう!思わず笑ってしまいました。

第二部総集編でSF作家の光瀬龍さんと対談した竹宮恵子さんは、少年を描くのは「変身願望」ではなく「変革願望」、「男の子になりたい」のではなく、「男の子のように私もやりたい」、「竹宮さんって男の子になりたかったのでしょう?私もそうなの、だからあなたの作品が好きと言われると、何だかちがうんだなー」とおっしゃっています。

またQ&Aの中で「今自分達の持っている価値観が単なる妄想に過ぎないことを、一体何人の人が感じているでしょうか」とも語っています。

全ての漢字にふりがなが振ってあるような子供向けの漫画に、竹宮恵子さんは全く手を抜かず深いメッセージを込めたものだと、改めて感動しました。

竹宮恵子さんは、既存のステレオタイプなものの見方や価値観に疑問を持ち、常にいかに生きるべきか模索し、挑戦している人なのでしょう。

光瀬龍さんや、あの映画版を作っちゃった恩地日出夫さんの言葉を読んでみると、あまりにもステレオタイプで単純な価値観しか持っていないなあと思ってしまいます。

年齢が半分くらいの竹宮惠子さんの方がずっと視野が広く、思考が柔軟で(これは若いからこそなのかもしれませんが)、考え方が成熟しています。

既存の価値観に囚われない柔軟な思考回路を持つことが、人間として大切なことだと竹宮恵子さんは考えていたのだと思うのですが、それが伝わらない人がたくさんいるというのは、残念なことですね…

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12/26/2007

地球へ…:オープニング、エンディング

地球へ…の映画版の話題をことさらに避けて来た訳でもないのですが、あまり興味がないので、書くことがなかったのですよね(^_^;)

映画版は30年近く前の作品を最近初めて見たせいもあるのでしょうが、絵は酷いわ、ストーリーは支離滅裂だわ、メカはダサいわ(ミュウの船なんて、ヤドカリみたいですからね…)と、突っ込みどころ満載で、TVアニメに不満だった私も、これを見ちゃったら「まっこれと比べればTVアニメはまだ許容範囲内かな?」と思う程でした(T_T)

あの作品が本当にヒットしたんでしょうか…とても信じられません(/_;)特にあの主題歌、あれはないんじゃないかなあ…

あの映像を見せられた後、ラストの歌で駄目押しの脱力感…

いかに斎賀みつきさんが好きだとおっしゃっていても、あの凛々しい声で歌って下さっても、ダサいものはダサい(^_^;)

それに比べれば今のアニメの音楽って、普通の音楽ですよね!
地球へ…のTVアニメのオープニング、エンディングは、どれもなかなか良い曲でした。

ただ、私が本放送を見始めた頃のオープニングテーマは高橋瞳さんの曲で、その30秒程を聞いた限りでは、歌がうまくないという程度の印象だったのですが、スカパー!でフルコーラスを聴いて、びっくり(@_@)

あまりにも音程が狂い過ぎ…特に高い声は出せないらしく、高音域は全て半音くらい低い音しか出ていません。

これをさほど歌が下手だと分からないように編集しちゃう音楽スタッフの能力がすごいと、変なところに感心してしまいました。

でも、オープニング、エンディングの音楽をそれぞれ二曲ずつ作っちゃう予算があったなら、もっと脚本とかにお金を割けなかったのでしょうか…

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12/25/2007

地球へ…:キースとサム

キース・アニアンとサム・ヒューストンは、なぜあんなにも気が合ったのでしょうか?

二人はかなり対照的に描かれています。

サムは素直ですぐ感情を表に出してしまう気の良い人で、システムに対する疑問を持たず、うまく洗脳されてしまっています。また、曲がりなりにもエリートコースには来たけれど、どうもエリートの中では落ちこぼれのようです。

キースは内面的には非常に感情的で、システムに対する疑問も持っているのですが、それを表に出すことの無い、抑制の効いた性格です。また、エリートコースの学生の中でも特に優秀で、教授たちにも「彼はあまりにも完璧だ。まるでマザーイライザの申し子のように」と評されています。

今TVアニメを再放送しているので、ついついそれを見てしまうのですが、キースが宇宙の藻屑になりそうな所をサムが助けたとか、何かドラマチックなことがあって一気に友情が芽生えたと言う設定は、あまりにもお手軽すぎですね。

お互いを受け入れられるかどうかが、友人関係においては重要なのではないでしょうか。

TVアニメのサムは、あんなドラマティックな友情の始まりを経験していながら、キースに「お前は俺たちとは違うんだよ」などと、随分ひどいことを言い放っています。

何となく自分は他の人とは違うような気がしているところへ、一番の親友だと思っていた相手からそんな言葉を投げつけられたら、私なら百年の恋(あっ友情か…)も一気に醒めますね…

キースとサムとの友情は、サムがキースを特別視しなかったから成り立ったし、その後も続いたのだと思っています。

人間は、異質なものを恐れ、排除しようとする…

キースはその完璧さから、人から羨まれ、時には妬まれたり恐れられたりしたに違いありません。

サムは、キースの感情的なところ、人間的なところも知っていて、特別視したり妬んだり恐れたりはしなかったので、キースはサムに心を許していたのでしょう。

TVアニメを作った人たちには、キースの孤高の魂が理解できなかったのでしょうね…人より優れているということが、時には辛いことであると言うことも、分からないのかも…

そう言えば、再放送を見ていて初めて気付いたのですが、毎回脚本を書いている人が違うなんてびっくりしました(@_@)

Wikipediaで調べてみると、アニメではそれ程珍しいことではないようですね。人間の俳優さんが演じるドラマだったら、普通はありえないと思うのですが…

TVアニメでの登場人物像のあいまいさも、ストーリーのちぐはぐさも、脚本を書く人が毎回変わることと少なからず関係するのでは?

世界に冠たるアニメ文化を誇る日本なのに、こんな粗製濫造をしていないで、きちんとした作品を少し作るのでは商業ベースに乗らないのでしょうか?

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12/24/2007

地球へ…:ナスカは凶星だった

ジョミーがナスカをひと時の安住の地として選んだのは、「閉じ込められた皆の心を解き放ち」、「人間への憎しみだけで一杯の心にもっと温かい思いをしてほしかった」という理由からでした。

地球とは似ても似つかぬ、二つの太陽と赤い大地の星、ナスカ…

ソルジャー・ブルーの遺志を大切に思いながらも、仲間たちのために最善と考えて、苦悩の末に一旦ナスカに降りることを決意したジョミーに対し、ミュウ達は、それぞれに主張や要望をしてきます。

ジョミーを支えるべき立場であり、何百歳も年長の長老たちまで…

人間への憎しみに囚われている長老たちは、多くのミュウが地球へ向かうことを断念しナスカへの永住を希望するようになったことをジョミーの責任と考え、「みなおまえの独断が…!」と、ジョミーに精神攻撃をかけてしまいます。

小学生の時には、「長老たちひどいなあ…一番悩み苦しんでいるのはジョミーなのに(T_T)ジョミーよりずっと年上なんだから、もうちょっと分別があってもいいんじゃない?」と思っていました。

この場面もそうですが、初めてジョミーがミュウの船に行き、「おまえたちのような化け物といっしょにされるくらいなら…」と発言して若いミュウたちを怒らせた時にも、手ひどい精神攻撃をくらっています。

地球へ…の原作では、ミュウはとても感情的で、キースの言葉どおり「すぐカッとなり、怒ったり泣いたり同情したり、そのくせいざとなると闘争心がない」ように描かれています。

TVアニメでは、ミュウたちはもっと立派で理性的で自制心があり、「危険な力を振り回す化け物ではない」ことになっていました。

この設定により何となく、ミュウ=正義、人間=悪という図式ができてしまって、戦争に良いも悪いも無い、戦争において正義VS悪という単純な図式は成り立たないという、原作のメッセージが希薄になってしまいました。

ミュウと人間双方が多くの欠点を持ち、なおかつ各々の価値観でより良い世界を実現しようと模索する存在であればこそ、両者の戦いに悲壮感が漂うのであり、それを単純化してしまうと、深みがなくなってしまいます。

長老たちがナスカを凶星と考え、ジョミーに責任を押し付け、精神攻撃までしてしまうのは、とても人間くさく、自然な展開だと思うのです。

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12/23/2007

地球へ…:りこうなヤドリギ

地球へ…のテーマの一つに環境破壊があると解釈する人もいるようですが、それは間違いです。

竹宮恵子さんもスカパー!のインタビューに答えて「環境破壊をテーマにすえたつもりはなかったが、何故かそこがクローズアップされてしまって…」とおっしゃってました。

地球へ…の中での環境汚染は、ミュウの存在と同じように、設定の一つであり、舞台装置に過ぎません。

地球へ…を超能力がテーマの物語だと考える人はいないでしょう。なのになぜ、やはり設定の一つに過ぎない環境破壊をテーマだと解釈してしまうのか?

それは現代の人々が、そのように思考をコントロールされているからだと思います。

地球へ…の中の人類が、コンピューターの意のままに操られ、洗脳され、思考力を奪われていたことと、現代人が知らず知らずの内に思考をコントロールされていることとは、とても似ていると思うのです。

地球へ…を読む前から私は、「環境保護」と言う言葉が気にかかって仕方がありませんでした。

人間って地球を保護できる程の力があるの?自分たちを保護してくれている地球を破壊しておいて環境保護だなんて、不遜ではないの?大体、もっと大切な、解決しなければならない問題が世の中にはたくさんあるのでは?といつも思っていました。

セキ・レイ・シロエの「地球と人間との関係はいうなれば、りこうなヤドリギが寄生主を守るなどという大義名分を考えついた ちがいますか」と言う台詞を読んで我が意を得たりと思い、おそらく竹宮恵子さんも、環境保護などと騒ぐ人々を、一歩引いて冷静に見つめているのだと考えました。

グランドマザーは、地球における自分の支配を絶対的なものにするため、人間を洗脳し思考力を奪い、人間としていかに生きるかということよりも、地球を守ること、ひいてはグランドマザーを頂点とするSD体制を死守することを最優先事項と人間に認識させていました。

現代人が置かれている状況と、良く似ています。

地球上では今この時も、思想や宗教の違いなどから理解し合えない人々の間に争いが絶えず、人々は扇動され操作されていることにも、本当の問題はどこにあり、何が大切なのかにも気付かず、疑問を持たずに生きている…

私たち一般人の思考をコントロールしようとする者は、本当の問題が何であるか、気付かれては困るのですよ。

だから、目の前に分かりやすくとっつきやすい問題を提示して見せ、それを重要なことだと認識させることで、本当に重要な問題に目を向けさせないようにするのです。

地球へ…を読んで環境破壊がテーマの一つだと思っている方、危ないですよ…

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12/20/2007

地球へ…:ソルジャー・ブルーは享年何歳?

以前「プロットの穴」で、ソルジャー・ブルーは亡くなった時201歳以上だったはずと書きましたが、最近その間違いに気付きました。

3世紀にわたって生きるには、生まれた年にもよりますが、最も短くて101年生きれば良いのですよね…

地球へ…の原作の序盤で、SD336年にミュウが発見されたとあり、ソルジャー・ブルーはミュウの中でも最も長く生きてきたとのことでしたから、その年が成人検査を受ける14歳だったと考えるのが自然でしょう。

そうするとソルジャー・ブルーはSD322年生まれ、前述したように、途中で時間がワープ(?)しているので、とりあえずジョミー、キース、サムが16歳、シロエが14歳の年の年末が534年とすると、ソルジャー・ブルーが亡くなったのはその2年前ですから、SD532年で、享年210歳ですね…

でも、ジョミーとサムとがナスカで再会したのがSD577年で、その年二人は共に23歳という設定に従うと、ソルジャーブルーはその9年前、SD568年に266歳で亡くなっていることになります。

旧人類の3倍もの寿命があるということでしたから、どっちかと言うと266歳まで生きたというのが正解っぽいですが…

でもジョミーがミュウの船に迎えられた直後、教授が150年の間に集まったミュウの数は1000を超えたと言っていたので、この年は元々SD480年頃という設定だったのか?

考えれば考えるほど謎ですね(^_^;)

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12/19/2007

地球へ…:なきネズミの長寿(*^_^*)

なきネズミは原作では、ミュウの開発した生き物だという事でした。
ミュウは生命科学をはじめとして、科学技術一般に明るかったようですね…

なきネズミは火星で捕獲される生き物と公表されているという設定でしたが、地球から2000光年離れたアタラクシアですから、きっと公表しているユニバーサル自身は、嘘だと分かっているのでしょうね。

アタラクシアで育てられている子供たちは、アタラクシアを地球だと信じさせられ、大人になったら山の向こうの大人の世界へ行くのだと教えられていました。

大人はどうだったのでしょうか?やはり事実を知りながら子供に隠すのは難しいでしょうから、ユニバーサルに勤務するいわゆる「お上」以外の大人たちもまた、コンピューターにより洗脳され、自分たちが地球に住んでいると信じていたのではないでしょうか。

それにしてもなきネズミ、ミュウの開発した生物だけあって長寿です。
ミュウも細く長く、体の虚弱な分旧人類の3倍の寿命があるということでしたから。

地球へ…の原作で、最後になきネズミが出て来たのは、メンバーズで編成された対ミュウ特別部隊の攻撃を受けた後、ジョミーがリオとエレベーターに乗っている場面でした。

この時トォニィは10歳そこそこですから、ジョミーは35歳くらい?

と言うことは、少なくともなきネズミは20年位は生きていることになります。

「ゾウの時間 ネズミの時間」と言う本がありましたが、この中で「一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズによらず同じ」と解説されていました。

つまり、小動物ほど鼓動が早いので、寿命が短いということなのですよね。

あの小さななきネズミを、どうやってそんなに長寿に作ったのか…

そういえば、映画「グリーンマイル」で、トム・ハンクス扮するポールと一緒に、死刑囚ジョンの不思議な力を注がれたネズミ「ミスタージングルス」も、ポールと共にずいぶん長生きしてましたよね。

やはり超能力のなせる業に違いありません。

竹宮恵子さんは多分、そこまで考えていなかったのではと思うのですが、あまり緻密に計算されていない設定に関しては、読みながらここの設定ってこういうことかな?などと考えるのが、また楽しかったりします。

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12/18/2007

地球へ…:ジョミーの両親はどうなった?

地球へ向かうと同時に、システムの要である教育を担う育英都市を制圧するため、アタラクシアを目指したジョミーたち。

アタラクシアを制圧したジョミーが真っ先にリオに調査を頼んだのは、もちろん両親の所在でした。

そのすぐ後、テラズナンバー5と対決した時に「15年前お前の成人検査から逃れた」と言っているので、ジョミーは29歳で、その15年間両親のことを思わなかった日はなかったことでしょう。

恐らく両親の方は、それ程愛着を持ってジョミーを育てた訳ではなく、職業だから職務(とコンピューター)に忠実に一生懸命義務を果たしただけなので、ここまで一途に両親を想うジョミーの心が哀れでした。

しかも両親は、ジョミーが成人検査に合格できずミュウとして生きることになった時点で、「処分」されていたことは間違いないでしょう。

竹宮恵子さんは、主な読者が子供であることを想定した少年漫画で、はっきりとそれを描写するのを避けたのだと思います。

リオの「あなたのご両親はすでに他の育英都市に移されてしまっていて…おそらくあなたの逃亡の直後でしょう。行き先の明示はありませんでした」と言う台詞が、全てを表しています。

完璧なコンピューター管理社会で、異動先が分からないなどと言うことが起ころうはずもありません。

思わず「…殺されたのか?」と問うジョミーに、「いいえ!まさか!確かに移籍したと記録されていただけです」と苦し紛れに答えたリオ自身の両親も同様に、不適格者を育ててしまった養父母ということで、リオがミュウの船に迎えられた後に「処分」されたに違いありません。

SD体制下では、14歳のいたいけな子供を、成人検査に失敗し、地球のシステムを知り、なおかつ洗脳されず子供のままの危険分子というだけの理由で簡単に処刑してしまえるのですから、大人であればなおのこと、それ以外の結論はないと思います。

それでも「マムもどこかの星でミュウの子を世話するようになるだろうか」と、あくまでも両親がどこかで健在でいるという希望を捨てないジョミー…

ジョミーの強さであると同時に弱さでもある優しさと、繊細さとを感じました。

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12/17/2007

地球へ…:ミーシャって?

地球へ…のエピローグは、極力説明を省き、読者の自由な解釈に委ねるように描かれています。

最初に読んだ子供の頃は、少年とミーシャのビジュアルと、少年のやんちゃぶり、また二人が手を触れると心が通うということから、ジョミーとフィシスの生まれ変わりでは?と解釈しました。

もちろんこの少年と少女はミュウであり、二人の両親は、わが子が不思議な力を持っていることを知っていながらそれを受け入れ、慈しんで育てているのだと思いました。

ジョミーやシロエやキースの時代から悠久の時が流れて、やっと人間とミュウとが自然に共存できる宇宙になったのだと、感慨深く思ったものでした。

ソルジャー・ブルーやキース・アニアンの記憶の他に、ジョミーとフィシスの知るはずのないセキ・レイ・シロエの記憶をも、少年とミーシャが持っていたのは、宇宙を漂う際限のないエネルギーの一部である少年と少女が、過去に生きた多くの人々の意識や記憶や想いを、生まれながらにして受け継いでいたのだろうと思っていました。

それにしても少女をミーシャと名付けたのに、少年には名前を付けなかったのは、竹宮恵子さんに何か意図があったのか、それとももう名前を考えるのが面倒だったのか(^_^;)

大人になった今考えると、この二人は誰かの生まれ変わりなどではなく、むしろ過去の登場人物の誰とも関係ない、誰でもない子供たちだったのだろうと思っています。

どちらにしても、宇宙に漂う今は亡き人々の残した精神を感じ取ることのできる二人のミュウが、同じ記憶を持ち、別々に生まれ、そして出会い、恐らく二人はアダムとイブのように、また地球上に生命を作り出すのだろうと考え、胸が一杯になりました。

今度こそみんなが人間らしく生きられる社会を作れるといいね…と二人に語りかけた私は、今私たちが生きている社会は、本当に人間らしい生き方のできる社会なのだろうか…と、つい疑問に思ってしまったのでした。

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12/16/2007

地球へ…:宇宙に漂うエネルギーのひとかたまり

地球へ…の中で、竹宮恵子さんが人間というものをどう解釈しているか伺い知ることのできる台詞のひとつに、トォニイの「感じないかアルテラ 自分が宇宙に漂う際限ないエネルギーの中のひとかたまりだと」という言葉があります。

壮大で深遠な表現ですね!宇宙に漂うエネルギーの一部が形あるものとなって、生命が生まれた…

子供ながらに自分って一体何だろう?と自分の存在意義に悩んでいた私は、「そうか!自分は何者でもないと同時に、この宇宙の一部であることには間違いないんだ!」と感動したものでした。

竹宮恵子さんにこういう発想があったからこそ、ジョミーがソルジャーブルーの心を自分の深層心理の中にそっくりとらえてしまったり、死の瞬間のシロエの想いがジョミーに届いたり、ミュウたちが不思議な力を持っていたりするという設定を思いつくのでしょう。

ラストで他のナスカの子たちと共に、肉体を捨てて宇宙の果て、地球の見えないところまで行ってしまうトォニィ。

きっと肉体が滅びても、人間の精神は宇宙のエネルギーの一部となって漂い続けているに違いないと、私も思いました。

地球は、キースがコンピューターテラをシャットダウンしてしまったことにより一旦は滅びますが、長年争ってきた人類とミュウとが、いきなり和解して理解し合い仲良く大団円という訳にはいかないと思うので、これはこれで最も自然なラストだと思いました。

コンピューターによる支配から解放された後、長い長い年月が経ってから、人間もミュウも同じ人類として自然に共存し、母なる地球を目指して旅し、再び地球が生命を育む星となる予感を感じさせて、物語は終わります。

宇宙の際限ないエネルギーの一つの形が生命なのだという考え方があればこそ、地球が滅亡してしまうという、一見絶望的なラストも、破壊により再生が行われるのだと解釈でき、甘いラストよりもかえって清々しいカタルシスを感じさせるのだと思います。

それにしても10歳やそこらでそんな哲学的な思想を持っているトォニィ、さすが特殊能力の持ち主です(^_^;)

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12/15/2007

地球へ…:異端児が世界を変える

地球へ…の主要な登場人物たちは、みな異端児です。

セキ・レイ・シロエはエリート候補生でありながら、非人間的なSD体制を断固拒否し、自分の人間としての尊厳を保つためには死をも辞さない強い意思を持っています。

ジョミー・マーキス・シンは、成人検査までの14年間を過ごしたアタラクシアで、自分の住む世界や、他の人間に対する違和感や疑問を抱きながら、体制からはみ出した、感情過多な問題児として育ちました。そして、他のミュウとは比較にならない位の強力な超能力を持っています。

ソルジャー・ブルーは、ミュウと言う新人類が人間に認識された最初の存在で、やはり非常に強い能力を持ち、明らかに他者とは異質な存在です。

キース・アニアンは、マザーコンピューターのプログラムの一環としてSD体制護持のために作られた、いわば人造人間で、人間ともミュウとも異質な存在です。なおかつ人類の指導者となる宿命を負いながらも、他の誰もが信じて疑わないSD体制に対する深い疑問を常に持ちつつ生きています。

これほどまでに異端児ぞろいの登場人物…

思うに、作者の竹宮恵子さん自身が異端児だったことが、この物語を作る原動力になったのではないでしょうか。

登場人物の一人一人が、きっと竹宮恵子さんの分身なのでしょう。

高校時代から漫画を描き雑誌に投稿し、大学を中退してまでプロを目指し、20代で地球へ…のような漫画を作ってしまう、行動力と圧倒的な能力を持っていた竹宮恵子さん…

子供の頃からSF漫画が好きだったそうで、女の子としては少し変わった子だったのでしょうし、また何事も鵜呑みにせず流されず、色々なことを批判的に考える大人びた子だったのではとも思います。

必然的に、子供の頃は他の子たちからは多少浮いた存在だったのでは…

でも結局世の中を変えて行くのは、お上から押し付けられることに疑問を持ち、自分の力で考え、行動していく人たち、つまりは異端児たちなのですよね。

シロエはその生命と引き換えに、キースに決定的なSD体制への疑問、また人間とは何かと言う疑問を植えつけました。

ブルーとジョミーはミュウのリーダーとして最終的にはSD体制を打破し、遠い未来には人間もミュウもない世界を実現しました。

そしてキースは、コンピューターの支配から人間を解放しました。

ここまで劇的でなくても、流され何となく生きているだけでは、何も変えることはできません。

地球へ…は、人として生まれたからには意味のある生き方をしたいという、竹宮恵子さんの想いが込められた物語だと思っています。

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12/14/2007

地球は青かった?

地球へ…のTVアニメでがっかりしたことの一つは、ジョミーたちミュウが苦難の末に初めて肉眼で捉えた地球が、荒廃し切った死の惑星だったという設定にされてしまっていたことです。

原作でジョミーが「だれかの意識がぼくの頭の中ではねた"地球か…?"と」「その瞬間にだれより早くぼくの意識はあの青い空をとらえた」「ぼくの運命を変えた星-地球!!」と独白したくだり、初めて読んだ時には涙したものでした。

何度読んでもその度に感動します(T_T)

ジョミーの頭の中ではねた、「だれかの意識」は、もちろんソルジャーブルーの意識ですよね。ジョミーはその強い能力と強い想いとによって、肉体の滅びたソルジャーブルーの意識を、自分の深層心理の奥底に取り込んでしまっていたという設定でしたから。

やっと、やっと地球を肉眼で捉えられる所にまでたどり着いたミュウたち…物語の冒頭で、「地球は遠い…せめて一度この肉眼でとらえたかった」と涙したソルジャーブルーの想いを、ついにジョミーたちが実現でき、ジョミーの潜在意識の中に存在していたブルーもまた、地球を肉眼でとらえるという悲願を果たすことが出来たのですから…

美しい地球、自分の運命を決定付けた憧れの地球…

実の親を持たず、家族の愛を知らず、作り物の世界で育ったアイデンティティの危ういジョミーたちが、唯一確かな存在として全てをかけて目指した地球が、想像よりずっと美しかったからこそ、それまでの苦難と悲しみが報われるのですよ…

それを荒れ果てた星にしてしまっては、それこそミュウも人間もかわいそう過ぎるじゃないですか(/_;)

過去は自分で変えることが出来ませんが、未来は自分で選んで作っていくことが出来るのですから、悲しい過去を持つミュウたちが命を賭けてたどり着いた地球は、せめて美しい星であってほしかった…

そう言えばTVアニメでは、アタラクシアがやたらときれいなのですよね。

原作の、巨大なビルの立ち並ぶメガロポリス、ロードウェイや空中を張り巡らされたチューブを使って移動する人間、その人工的で冷たい感じのするアタラクシアを、あんなに美しく作り変えてしまい、しかも肝心の地球を荒廃させてしまっては、美しい過去と希望のない未来という、原作とは全く相反する救いのない構図になってしまいます。

だいたい、SD体制が始まってから500年以上経っているのですから、そろそろ地球が生き返っている方が自然でしょう。

原爆が落ちた広島や長崎だって、当初は100年は植物も動物も育たないと言われたそうですが、実際には10年も経たない内に植物も動物も育つことのできる土地に戻ったのですから。

地球は、人間というヤドリギが離れてもそう簡単には回復しないという考え方は、人間の存在と影響力とを過大評価し過ぎだと思うのです。

人類なんて地球にとっては取るに足らない存在なのですから…

SD体制は地球を生き返らせるために作られたのですから、SD体制により人間性は破壊されてしまい、人間がコンピューターの部品と化してしまっても、その代償として地球は美しい星に戻っていなければならなかったと思うのです。

そうでなければ本当に、救いがなさ過ぎるではないですか(;O;)

意志の力で全てを成すミュウの存在は、悲しい過去や過酷な宿命があっても、意思さえ強ければ未来は作ることができると言う、竹宮惠子さんのメッセージだと思うのです。

それを大切にしてほしかったなあ…

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12/12/2007

地球へ…における階級とは

地球へ…の世界は完全な管理社会であると同時に、階級社会でもあるようです。

セキ・レイ・シロエは技術者階級の第3階級出身だったので、機械やコンピューターに強かったという設定でした。

成人検査の成績が良かったので、エリートコースに入ったのだと言っていました(それもあるでしょうが、前述したようにマザーコンピューターの計画の一端でもあったのでしょう)。

では第1階級は?
恐らく司法や行政などに携わり、マザーコンピューターの勅命に従って世の中の仕組みを実際に動かす人たちを言うのではと思います。

では現代の感覚で考えると、第2階級は軍人でしょうか?

キース・アニアンはエリート育成機関の教育ステーションE-1077で作られ、エリート候補生として教育され、卒業前にメンバーズエリートに選ばれたにもかかわらず、軍人になっていますね。

エリートはマザーコンピューターの判断により、適性に従い第1階級と第2階級とに分けられているのでしょうか。

キースは後に政治家となり、最終的には国家元首にまでなっていますが、確かにキースには政治家などより軍人の方が似合います。冷静沈着にして勇猛果敢、そして冷徹無比な破壊兵器ですからね。

その辺りをTVアニメではうまく描写できず、単なる野蛮で残忍な人物になってしまっていたのが残念でしたが(T_T)

それにしても出生前から大体の能力が分かってしまうとは、究極の出生前診断ですね。
生まれる前に、既に適正や職業をコンピューターによって判断され、振り分けられるなんて、何と希望のない社会なのでしょうか…

この辺りも、与えられ決められた自分の運命に疑問も持たず、敷かれたレールの上を漫然と走る、無気力な人間ばかりとなってしまった現代社会を風刺しているように思えます。

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12/11/2007

地球へ…の世界に神はいるのか?

地球へ…の世界には、神という概念があったのでしょうか?

少なくともミュウたちは、神という概念を持っているようでした。

ジョミーがブルーの記憶をテレパシーで受け取ることを拒否し暴発した時に、ブルーが「神よ!あれほどのエネルギーとは思わなかった」と言っているので、人類やミュウなど地上に生きる者の力の及ばない存在がどこかにあると、思っていたことは確かでしょう。

では人類には神という概念があったかと言うと、微妙なところです。

キースが教育ステーション時代に書いていたレポートの科目に「宗教学総合理論」があったので、宗教という概念が残っていたことは確かです。

でも総合理論ですからねえ…宗教を過去のものとして、学者達がその教義や歴史を理論的に研究していたのかもしれません。神という存在を、昔人間が原始的だった頃に作り出した架空のものだと教えていたのではないでしょうか。

人類にとってはマザーコンピューターを頂点に頂くSD体制そのものが神であり、絶対的なものでしたから、マザーがいるからには、神は必要なかったと思いますし。

ここでもSD体制が現実の独裁政権と重なります。

独裁者は大抵自分の銅像を立てちゃったり、肖像画を各家庭に飾らせたり、自伝を国民に読ませたりして自分の神格化に励み、大抵は宗教を弾圧しますから…

自分が神となって何者にも止められない絶対的権力を振るうという欲望に取り付かれると、人間は行くところまで行ってしまうというのは、数々の実例が示しています。

自らを絶対的なものと神格化し、人間を意のままに操るグランドマザーの姿は正にその独裁者です。
しかもコンピューターシステムによる洗脳を用いて、人間たちにその事実さえ気付かせないのは、恐ろしい限りです。

ジョミーはグランドマザーと対峙した時に、「人間はマザーにあやされ育てられた意思のない子供 目も口も耳もふさがれながらそれを知らない不幸な子供だ」とキースに言っています。

「だが反逆児ミュウたちにはそれが見える」とも…

ミュウたちにSD体制の真の姿が見えるのは、自分たちが異端でありシステムから弾き出された存在であるためでもあったでしょうが、「神」という概念を持っていたからでもあるのではないでしょうか。

自分がどう行動すべきか、常に自分の心に問いながら、良心に従って最善を尽くして生きるために、自分の力の及ばない何か絶対的な存在、いわゆる神という存在が重要なのではと思います。

ジョミーは強力な超能力を持ちながら、それをどのように使うべきか、いつも慎重に考えながら生きています。

ナスカに偵察に来たサムの宇宙船を幻覚で攻撃した時に、とっさに力を出し過ぎ、そんな自分に驚き、恐れて涙を流しています。

またキースを殺さなかった理由を、「岩なら裂くこともできる…これは人間だ」と言っています。

強い力を持つ者が、自分の力に対する畏怖を失ってしまうと、他者の存在を軽視して暴走するのだと思います。

その点でジョミーは、強い力を持つ者にふさわしいと言えるでしょう。やはりその心に、自分よりも高い所から物事を見て判断する「神」のような存在を、いつも意識していたからとは言えないでしょうか。

一方マザーコンピューターは、人類やミュウの犠牲を厭わず、地球を再生させることを目的にして作り出されたもので、もちろん自分の絶大な能力や権力が世界にどのような影響を及ぼすかなんて、考えもしません。

自分が神であり、絶対であり、自分より正しい判断を下せるものはないという傲慢に陥った時点で、後は堕落し、腐敗するのが必定なのですよね…

何も独裁国家でなくとも、現代の日本を見てみると、神を気取り、権力を濫用する権力者が山ほどいるではありませんか。

地球へ…を読んでいると、つい現実世界とシンクロさせてしまうのですよね。

この物語が比喩であるということを考えると、未来の管理社会、超能力者という非現実的な設定でありながら、とても身近で現実的なストーリーに感じられるのも当然のことだと思うのです。

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12/09/2007

地球へ…:マツカ役の高城元気さん

地球へ…のTVアニメのキャストは、ジョミー役の斎賀みつきさんも、シロエ役の井上麻里奈さんも、容姿端麗な女性なのに声は少年としか思えなかったので、マツカの声を聞いた時には、高城元気さんを女性と信じて疑いませんでした。

元気なんて、女性としては変わった名前だなあと思っていました。
まさか男性だったとは(@_@)本当に驚きました。しかも10代の少年かと思いきや、20代後半の男性だなんて…

地球へ…の打ち上げの時に店員さんに女性と間違えられる程、容姿も可愛らしいと知り、そんな男性もいるのかと思ったものです。

高城さんの声も大変はまり役で、マツカの健気で儚げな感じを良く表現なさっていたと思います。あまりに可愛い声なので、キースとマツカの関係が、原作にはなかったような擬似恋愛関係のように感じられたのではないでしょうか。

高城さんは原作が完結した後に生まれ、原作も読んだことがなく、周りの人達の方が地球へ…を良く知っていたので、マツカを演じることがプレッシャーだったとおっしゃっていましたね。

マツカ役に決まった時には本人よりもお母さんの方が大喜びだったとか。

Premium Fan Discを聴いて思うのは、他の声優さんに関してもそうですが、高城さんも年齢より随分と大人だなあと言う事です。

地球へ…に関して、またマツカとキースの関係に関して考察し、マツカを演じるに当たって何を考えていたかを話す高城さんには、同年代の日本の俳優さんにはなかなか見られないような深い人間性と知性を感じました。

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12/08/2007

地球へ…:初音ミクのネギ踊り動画

あまりにも可笑しかったので…

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12/07/2007

地球へ…:キース役の子安武人さん

子安武人さんは40歳だそうですが、TVアニメでキースが登場した回の声は、ちゃんと14歳に聴こえるから不思議ですね。後半に来るとちゃんと年相応に渋く、人生の疲れもにじませていましたし。

声優さんってすごいと思います。顔を出さないから、幅広く色々な役をこなせるのでしょうね。

Premium Fan Discの中で井上麻里奈さんがキースのことを「そういう純真無垢なキャラが人気出るからむかつくんですよー」と言ったのに対して、「そういうこと気にし過ぎだよ。俺なんか20年以上悪役ばっかだから全然気になんないもん」と答えてました。

確かにあのクールな声なら、キザで二枚目な悪役が似合うかも。

地球へ…には絶対的な正義とか悪とかいう概念は存在しないのですが、何故かキースを悪役と考えている人もいるようですね(^_^;)

そういう位置付けじゃないと思うんですけど…

ミュウの視点に立てば、ミュウを弾圧する地球側のエリートであるキースは悪役なのでしょうが、キースにはキースの立場があり、逆らえぬ運命があり、苦悩の中で彼なりに最善を尽くしてるんですから、色々大変なんですよぉ。

子安さんにとってはキースはずっとやってみたかった役で、大切な役だったとおっしゃってましたが、Premium Fan Discでの壊れっぷりは余りにも豪快でしたね。

ひょっとしたら私立シャングリラ学園のキースの方が、子安さんの素なのかもと思いました。相当壊れてましたが、面白かったです。

女風呂を覗く方法を探せと命令されて、何故か関西弁みたいになっちゃうマザー2号…爆笑しました。

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12/06/2007

地球へ…:マツカとキース

マツカがミュウであったにも関わらず成人検査をパスしてしまったことも、教育ステーションを何とか卒業できたことも、辺境に配属されてキースと出会ったことも、恐らくグランドマザーのプログラム通りだったのでしょう。

ミュウのことを知り、対処法を模索し、なおかつキース自身がミュウとして覚醒するためには、マツカというミュウの存在を利用することが必要だと、グランドマザーは考えたに違いありません。

キースが教育ステーション時代にマザーイライザの計画通りにシロエと出会い、シロエを自らの手で死に至らしめたことを考えると、グランドマザーにはその位のことはたやすいことだと思います。

マツカは、キースにとってどういう存在だったのでしょう?

キースはある程度マツカに心を許し、それなりに信頼を寄せているとは思うのですが、一方で「道具のように」扱い、容赦ない言葉を浴びせたり、気に食わないことがあればいじめてみたりと、かなりマツカがかわいそうです。

キースが唯一心を許した友人のサムは、ミュウの(正確にはジョミーの)精神攻撃を受けて幼児退行してしまい、昇進すればする程周りには敵が多くなり、キースはどんどん孤独になって行きました。

キースが本音で接することのできる相手と言えば、マツカしかいなかったのでしょう。外では虚勢を張っている駄目な男が彼女に甘えるような感じなのでしょうか…

マツカはマツカで、自分の正体を知りながら生かしておくキースという人物に恩義を感じ、興味を抱きつつも、一方では恐れています。

マツカがキースの命と引き換えにその生涯を終える直前、キースの優しさを感じ取り、「彼に付いて来て良かったのだ…満足だ…」と涙する場面、その優しさはマツカに向けられたものではなかっただけに、キースのために命を賭けたマツカの心に、切ないものを感じたものでした。

マツカもまたコンピューターに運命を操作され翻弄され、死んでしまって初めてキースに心から受け入れられた、本当に気の毒な人物でした。

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12/05/2007

地球へ…:シロエとキース

シロエとキースとは、正反対なようで実は似ていたのではと思います。

シロエはキースのことを誤解しており、最後まで「感情のないやつ」、「疑いもなくイライザに同調する」と言っていますが、実はキースはかなり感情的であり、かつ体制に疑問を持ちながらも、それを決して表に出さないだけなのです。

新入生ガイダンスで何度も見ているはずの成人検査のくだりを正視できず思わず外に出てしまうキース、サムの諦めの混じった優しさにイライラするキース、イライザに「全てはあなたの指導者としての素質を理想的に開花させるために計算された告知」と言われて憤りを感じるキース、いつもキースは他の人間よりもずっと感情的です。

恐らくは成人検査によって記憶や感情の操作をされていないため、他の人間よりもずっと人間的だったのがキースなのではないでしょうか。

そんなキースには、あくまでも人間らしくありたいというシロエの切実な願いが理解できたのではないかと思います。

だからこそ、自らの手でシロエを撃墜した後に、涙を流したのでしょう。

逆に、シロエにはキースが全く理解できなかったのだと思います。シロエは、キースが感情に乏しく、体制に疑問や不満を持っていないと考えて、うらやましかったに違いありません。

人は自分に無いものを他人が持っている(あるいは自分の持っているものを他人が持っていない)と、羨むものですから…例えそれが誤解であったとしても。

それにしてもシロエが技術者を養成するエネルゲイア出身でありながら、キースと同じエリートコースへ進んだことも、キースに影響を与えたことも、キースの手で「処分」されたことも、全てコンピューターのプログラム通りだったという設定は、何だか空恐ろしく感じました。

運命と言う、本来は人間の力の及ばないはずの領域にまで、自らの作り出したシステムが関与し操作している…

SD体制下の人間たちは、そのことに気付いてもいないことが、悲しくもあり恐ろしくもあります。

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12/03/2007

地球へ…:サイオンはそんなに力を使うの?

地球へ…は30年も前の漫画なので、超能力(あるいは超能力者)のことをESPと表現しています。

これは現代では多少陳腐な表現になってしまったので、TVアニメで「サイオン」と言い換えていたのは、作品に時代を超えた価値を与えたという点で成功だったと思います。

でもね、サイオンって、使う時に「うおおおお!」とか「とああああ!」とかやたらと掛け声をかけるのが、すごく気になりました。

格闘技じゃないんだから、それはちょっと(^_^;)

超能力はあくまで精神的なもので、旧人類より進化したミュウの脳の働きによって発動するもののはずですから、もっと静かなイメージなのですが…

原作では、肉体的に力を使う時のような描写は全くなく、座って静かに精神を集中して使うように表現されていました。

ジョミーがミュウ全員の精神波を自分の精神波と同調させ、一度に多数の地球軍の宇宙船を撃墜する時の描写は、とても静かなものでした。

精神波攻撃の前に一瞬の静寂があり、人間たちがどうしたのだろうといぶかった次の瞬間に、凄まじいエネルギーが放出される様子は、圧巻でした。

できればその凄さを再現してほしかったなあと思うのですが、子供には分かり辛いと考えて、あのようにしたのでしょうか?

せっかく呼び名を改めたのに、使っている様子は原作に比べて随分と陳腐で、ちょっと笑っちゃう感じだったのが残念でした…

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12/02/2007

地球へ…:ジョミーとキース

ジョミーとキースとは、対立するミュウと人間の指導者という立場でありながら、その使命感と意思の強さ、圧倒的な能力など、共通点の多いキャラクターです。

二人の間の決定的な違いは、ジョミーはSD体制から逸脱し、対立する存在であるミュウの長となる運命だったのに対し、キースは人間の指導者となるべく特別に作り出され、体制を守るよう運命付けられた存在だったということです。

キースは教育ステーションE-1077時代にジョミーの送った思念波通信を目にして、「憧れのような気持ち」に包まれています。

マザー・イライザに「今は忘れなさい」と言われて、「忘れろだって?あのとびきり澄んだ印象的な瞳をどうやって…」とも考えています。

キースはSD体制に疑問を抱きながらも、その体制下で生きる以外に選択肢を持たない存在だからこそ、SD体制に支配されない、ミュウであるジョミーに憧れたのでしょう。

ジョミーの方はキースがナスカにやって来て初めてキースを知りますが、やはりキースを「強い存在」と意識し、「なぜぼくはあの男を生かしておく気になったのか」と疑問に思いつつも、殺すことが出来ませんでした。

ジョミーとキースとは、互いに非常に似た存在であり、また互いに尊敬すべき相手だと言うことを無意識に認め合っているのですよね。

キースがナスカから脱出したことにより、ナスカは地球軍の攻撃を受け壊滅してしまいます。初めて読んだ時には、あの時どうしてキースを逃がしてしまったのジョミー!と思っていました。

でもナスカでの出会いは、互いに優れた指導者であるジョミーとキースが、もっと後になってから本当に対等な者同士として対峙する、序章に過ぎなかったのだと思います。

ナスカで多くの仲間を失ったことにより、視力も、聴力も、言語も失ってしまったジョミーは、単なる憧れや母性愛の代償、ソルジャー・ブルーとの約束だからと言う以上に、失くした仲間たちのためにも、ミュウの未来をかけて、何としてでも地球へ向かわなければならないという思いを強くしたのでした。

ナスカ以前はどちらかと言うと、「全てのミュウの力を合わせたよりも強大な」力を持つジョミーの方が、キースより能力も余裕もあり、弾圧される側でありながらなお、立場的に優位に立っていたような気がするのですが、ナスカ以降対等な存在として、生涯の敵であり、なおかつお互いに敬意を払う存在になったのだと思います。

地球へ…は、一方が正義で他方が悪だとか、単純な世界観で描かれてはいません。現実世界のように、人にはそれぞれに生きる目的や意味、信念があって、簡単には譲れないものだからこそ、争いが起こってしまうのです。

SD体制は悪のような気もしますが、それでも最初は人間が自らの意思で、うまく活用しようと考えて導入したものですから、結局は人間の選択の誤りであり、絶対的な悪ではないのですよね。

ジョミーとキースとが対立することは、優れた者同士、敵対する組織のリーダーである以上避けられない運命であり、グランドマザーと戦うジョミーに心で加勢したキースが、結局はグランドマザーに操られてジョミーを撃ち殺してしまうのもまた、避けられない運命だったのだと思います。

何十年も(ミュウと人間と言うレベルなら何百年も)争って来て、最後にはあっさり和解してめでたしめでたしと言うような安易な結論になるはずがないですから。

地球へ…の中では、個人レベルでは尊敬し合い、分かり合えるはずなのに、国家レベル、民族レベルでは分かり合えない人間の不合理が、本当にうまく描かれていると思います。

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12/01/2007

地球へ…:高梨康治さんの音楽について

地球へ…をTVアニメ化するに当たって、スタッフの方々は、原作通りのストーリーにするのは芸がないと考えたのか、ストーリーに相当な改変を加えていました。

かと言ってオリジナルがああも素晴らしいと、どうやってもそれより良いものは出来ないのですよね。

でもTVアニメで成功だったことの一つは、高梨康治さんの音楽を使ったことだと思います!
高梨康治さんの音楽は、ヴァンゲリスを髣髴とさせるものでした(@_@)

ヴァンゲリスは、炎のランナーやブレードランナーなどの映画をはじめとして、たくさんの映画やドラマのテーマソングを作曲したギリシャ出身の作曲家です。

ほとんどシンセサイザーで作っていると見えるごくシンプルな構成で、主題となるメロディ1種類を発展させて作った音楽は、ヴァンゲリスにそっくりだと思いました。

シンプルで控えめながらも美しい旋律に、時に女性のコーラスが入って切なく、時にギターが加わって感情的にと、とても良い音楽だったと思います。

「冠をいだく者」なんて、メロディの作り方やシンセサイザーの使い方が、炎のランナーそのものでした…きっと高梨さんはヴァンゲリスのファンに違いないと勝手に思ったものでした。

でも一つだけ言うなら、「いだく」は「抱く」と書き、胸に抱くことですが、冠は頭に載せるものですから、正しくは「戴く」と書いて、「いただく」と読むべきなんですが…まっいっか(^_^;)

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