総合リンク集 Link Station SEO対策 KEN SEO勉強会 ジャンル別リンク集 CRANE SEO対策 KenNavi 経営 電気料金 削減
なかのひと

3/14/2008

地球へ…:竹宮恵子さん

地球へ…の原作者、竹宮恵子さんは、ジョミー役の斎賀みつきさんに言わせると、「ソルジャー・ブルーとフィシスを内に秘めている人」だそうです。

どんな物語でも、作った人の内なる人格が登場人物の人格になるのだろうと思うので、ソルジャー・ブルーとフィシスはもちろん、セキ・レイ・シロエもジョミー・マーキス・シンもキース・アニアンも、みんな竹宮恵子さんの中にある別の人格だと言うのは想像に難くないですけど。

地球へ…のマンガ少年別冊版を初めて手にした時に、物語の深さ、面白さにはまったことはもちろん、作者の竹宮恵子さんに対しても、賢くて綺麗な女性なんだなあと、憧れを抱いたものでした。

地球へ…には、竹宮恵子さんの、人間というどうしようもなく愚かな存在を冷静に見つめ、妥協することなくシビアに描く姿勢と共に、そんなどうしようもない人間に対する深い愛情と、人間の進歩と良い変化を信じる姿勢を感じます。

竹宮恵子さんは、本当に素敵な女性なのでしょう。
一度でいいからお会いしてみたいものです。

ラベル: , , , , ,

人気ブログランキング

 

3/12/2008

地球へ…:私立シャングリラ学園最終回

私立シャングリラ学園最終回は、やっぱり卒業式でしたね。

リオが煙幕(多分)を使ってジョミーを誘拐し「青の間」に連れて行った入学式から始まって、中間試験、学園祭、林間学校、クリスマス、バレンタインと、毎回季節を反映したネタだったので、そうじゃないかと思っていましたけど。

最終回は何だか今までのような圧倒的なパワーがなく、おとなしい感じで、今ひとつ面白くなかったのが残念でした。

地球へ…の脚本を書いた人たちはきっと、しんみりしたものを書く才能より面白いものを書く才能の方があるのでしょう。

ジョミー、もう一年生徒会長…じゃなかった、ソルジャーやらされるんだ…かわいそうに(^_^;)
そしてブルーとフィシスが進学する大学が、シャングリラ学園の隣にあるなんて、ジョミーの今後が思いやられます。

でもリオは二年生でジョミーより上級生なのに、何でそんなにジョミーのこと尊敬しちゃってるの?

ラベル: , , ,

人気ブログランキング

 

3/11/2008

地球へ…:もう一つのエンディング

地球へ…DVD最終巻にジョミーとキースの「もう一つのエンディング」が収録されていましたね。

テレビアニメの製作スタッフの間で、ラストはどうするかと議論され、大変難航したそうなので、たくさんあった案の中から、せっかくだからとおまけに付けられたものなのでしょう。

ジョミーとキースの二人は本来主役のはずなのに、他の登場人物にお株を奪われて存在感どころか存在意義さえ希薄だったので、まあ最後くらいは花を持たせてあげたいところです。

それにしてもこの映像、キースとジョミーの涙が「だらだら」という感じで落ちるのはどうかと(^_^;)
できれば「はらはら」と落としてほしかったんですけど…

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

3/09/2008

地球へ…:指導者

SD体制下では人間の指導者はグランドマザー(とキース・アニアン)、ミュウの指導者はジョミー・マーキス・シンでした。

地球へ…のラストでは、人間たちが自らコンピューターの部品と化してまで再生を図った地球が滅びます。
それと引き換えに、人間とミュウとは和解し、共存への道を歩むことになるのです。

それまで長い長い対立の時代を生きてきたミュウたちと人間たちは、それぞれに強い指導者を必要としたことでしょう。

でも人間たちがコンピューターの支配から解放され、今後は自分たちの意思と判断で生きることになったので、強い指導力で人々を牽引するソルジャーや国家元首は必要なくなったのだと思います。

テレビアニメでトォニィがソルジャーになっちゃったのは、私はとても不自然に感じました。
だいたい監督が、ミュウと人間との新旧交代を描きたかったのなら、今後人間たちはミュウの支配下に置かれ、ソルジャーの導きに従って生きる訳??

だったらグランドマザーがソルジャーに代わっただけで、何も進歩ないじゃないですか(^_^;)

人間って世代を重ねても成長しない生き物で、古代ローマの紀元前の遺跡から、「最近の若い者は」って言う落書きが見つかったと、誰かが書いていました。

科学技術が進歩しても、現代の人間たちは紀元前の人間たちと何ら変わるところがありません。

大切なことを知ろうとせず、自ら考えず、何でも人任せなのに、結果には不満だらけ…
指導者と言われる人たち、権力や地位やお金を持っている人たちも、私利私欲に走り、全体を省みることをしません。

普通の人より優れた人たちが、滅私の精神で世界を変えていく気がなければ、いつまで経っても世界は今のままでしょう。

地球へ…を通して竹宮恵子さんは、そんな人間たちに「目覚めよ人よ」と呼びかけているのだと思うのです。

ジョミー・マーキス・シンが、キース・アニアンが、自らを捨てて、命を懸けて自分の下にある人たちを導こうとしたように、実在の指導者たちが考えれば、世界は変わるに違いありません。

そして、全ての人間が誰からも支配されず思うままに行動して、なおかつ正しく生きることができるようになれば…

そう考えると、地球へ…のラストは、究極のユートピアへのプロローグだと思えるのです。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

2/04/2008

地球へ…:ジョミーとサム

サム・ヒューストンは教育ステーションE-1077時代にはキース・アニアンの親友で、アタラクシアではジョミー・マーキス・シンと友達(喧嘩相手?)だったと言う設定でした。

サムは大変人の良い、優しい人でしたが、それだけに完璧にコンピューターに洗脳されていました。システムの正当性を信じて疑わず、キースがシステムに批判的な言動を取ることを、いつも気にかけている人でした。

良い人と言うのは往々にしてサムのように操作しやすい人たちであり、客観的、批判的な判断が苦手で、一般的に流布していることを正しいと信じて疑わない人たちだと、私は思っています。

サムのような悪意のない人たちが、実は世の中を操作しようとする悪意ある人たちにとっては都合が良いのですよね。

ジョミーとサムとがナスカで再会した時に、ジョミーは昔のように友達同士として接することができると考えていたのに、サムはジョミーのことを「成長しない化け物」と呼び、恐れ、ナイフで刺そうとします。あるいは本気でジョミーを殺そうとしていたかもしれません、

ミュウは危険で現人類の存在を脅かす人種で、存在自体認められないと教育され洗脳されたサムは、例えジョミーが懐かしい昔の友人であっても、ミュウと言うだけで受け入れられなかったのでしょう。

ジョミーにとっては自分がミュウであると知ってから初めて接した、まだ普通の人間であった頃の友人が、自分を拒絶した事実は、相当衝撃的なものだったに違いありません。

竹宮恵子さんはサムを通して、善良な人たちの無知蒙昧が、実はいかに恐ろしいかを訴えたかったのだと思います。

テレビアニメでは、サムがジョミーと再会する直前にマザーコンピューターに催眠をかけられたと言う設定でしたが、そんな込み入ったことをしなくとも、SD体制下で善良な市民として生きること自体が、洗脳され、操作されることなのですから…

サムは善良な人だからジョミーとの再会を喜ぶはずと言う発想に基づいたテレビアニメの安易な展開は、私にとってはちょっと受け入れがたいものでしたね(T_T)

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

1/29/2008

地球へ…:ジョミーとフィシス

ジョミーにとってフィシスは、母であり、姉であり、憧れの女性であったのだろうと思っていました。

でも最近、ジョミーは実はもっと具体的な恋心をフィシスに対して抱いていたのではと気付きました。

グランドマザーの元へ赴くジョミーとキースとは、その途中で交わした会話により、最終的には和解したのだと考えます。

ジョミーが「フィシスはきみのお母さんだ…知っていたか?」とキースに問いかけ、キースが「思慕のような」ジョミーの感情を感じ取ります。

ジョミーは心なしか少し照れた様子を見せていました。

私は、ジョミーの思慕のような感情は、当然ジョミー自身の育ての母、「マム」に向けられたものとばかり思っていました。

でもよく考えてみると、ここで話題になっているフィシスに対する思慕の情なのでは?とも受け取れます。

そう言えば、ジョミーはフィシスに対し、「ジョミーでいい…きみにだけはそう呼んでほしい」と意味深長な言葉を口にしていました。

また、ナスカに永住を希望するミュウが出て来たことで長老たちの怒りを買い、ジョミーが精神攻撃を受けて倒れる直前に、フィシスがジョミーの呼びかけを感じています。

トォニィがフィシスを「地球人と通じて逃げ道を教えた」と責めた時にも、ジョミーは「なぜだっていい、彼女を傷つけるのは許さない」と、かばっています。

今にして思えばフィシスに対して特別な感情を抱いていたからかも…

でもフィシスはブルーの「大切な人」であり、「ミュウの女神」ですから、ジョミーはフィシスに自分の想いを知られることにより、フィシスを困らせたり戸惑わせたりしたくなかったのかもしれません。

ジョミーの心の何と繊細で美しいこと…

竹宮恵子さんの世界の繊細さ、儚さ、美しさは、なかなか他の人には表現できないようで、それが映像化するとどうしても大雑把で緊張感のない、暢気な感じになってしまう原因かもしれません。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

1/28/2008

地球へ…:ハーレイ

ハーレイという名前、私は長い間ファーストネームと信じて疑いませんでした。

でもテレビアニメでは「ウィリアム・ハーレイ」という名前で航宙日誌書いてましたね。
航宙日誌って言う言葉も初めて聞きましたけど、それよりハーレイという名前がラストネームだったことに驚きました。

そこで調べてみると、ハーレイという名前はファーストネームにも、ラストネームにも使われるようです。

まあ何千年も未来の話なので、言語も今とは相当違っているであろうことを考えると、どちらでも良いような気もしますが。

ブルーはもちろん、ゼル、エラなどの長老たちとフィシス、リオなど、主立ったミュウにはジョミーのようなミドルネームやラストネームが無いようでした。

私はずっと、これはユニヴァーサルに囚われていた(フィシスは特別待遇だったようですが)ことのあるミュウたちは、マザーコンピューターによって育った家庭の記録も、記憶も消されてしまったからなのだろうと思っていました。

どこの誰だか分からないようファーストネームだけにされてしまい、人権を奪われ実験体として扱われたミュウたちは、想像を絶する苦難を味わったことでしょう。

古いミュウたちの人間に対する深い憎しみは、こういう経緯により生じたのではないでしょうか。
ハーレイも古いミュウであり、ラストネームが無いので、同じ扱いを受けたはずと思っていたのですが…

それにしてもウィリアムって(^_^;)英語圏で一番多い名前じゃないですか。もうちょっと何とかならなかったのかな?

ラベル: , , , , , ,

人気ブログランキング

 

1/25/2008

地球へ…:E-1077

E-1077では成人検査を優秀な成績で通過した少年少女1000名を教育していました。

14歳の誕生日が成人の日なので、恐らくそれまでに今の高校卒業程度の教育が終わって、E-1077は大学教育に相当するのだと思います。

エリート1000名しかいないので、選りすぐりの学生ばかりなのでしょう。現代の日本では超一流大学と言えども、毎年1万人以上の新入生が入学するのですから…

そう考えるとたったの2年間で教育が終わってしまうのも不思議ではありません。
宇宙きっての超エリートばかりなら、2年で相当な量と質の勉強ができちゃうことでしょう。

でもその超エリートの中でもやはり優劣がついてしまう残酷さ…キースとサムとは、同じ教育を受けながらも、一方は16歳にして地球政府の中枢の一端に付き、他方はパイロットか通信士が関の山と言っていました。

ところでE-1077の教育課程は、恐らく2年間が1クールになっているのだと思います。
そうでなければ、シロエとキースが「抜きつ抜かれつトップ争い」することは出来ませんからね…

テレビアニメでは映画の影響を受けたものか、教育ステーションでの教育は4年間になっていたのですが、地球の役に立つ人間を育成することに特化した教育課程ですから、そんなに長時間必要ないでしょう…

その設定により、シロエとキースとは4歳違いということになってしまい、シロエがキースに匹敵する頭脳の持ち主だったということが良く分からなくなってしまっているのは残念です。

私立シャングリラ学園では、現代日本の教育課程の概念を持ち込んでしまったことで、かえって面白くなっていましたけど。

シロエが高らかに「僕は機械の申し子に勝ったんだ!」と叫ぶのに対し、「君、キースと学年違うじゃん…ってか君、中等部だし…」と冷静に突っ込むジョミー…

もう笑い過ぎて、死ぬかと思いましたよ(^_^;)
井上麻里奈さんの声の可愛らしさと弾けっぷり、やっぱり良いなあ…

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

1/23/2008

地球へ…:ユウイ

トォニィのテレビアニメでのお父さん、ユウイは、マンガ少年別冊第二部の最後に収録されていたSF短編「集まる日」の主人公でした。
子供の頃読んだはずなのに、最近読み返すまですっかり忘れていましたが。

何にせよ、トォニィのパパがジョミーじゃなくて良かった…
くどいようですが、ジョミーは永遠の14歳なんですから子供作ったりしないんです(`^´)

それに、真のリーダーというのは孤独であり、私情に走ったり恋愛に現を抜かしたりしていてはみんなをまとめることも、引っ張ることも出来ないと思うのです。

映画でのジョミーは、カリナに好意を持っているのに正面切って言い出せず、ミュウの子孫を作るという大義名分をダシにカリナを口説いたようにしか見えませんでした。

ソルジャーともあろう者が情けないしセコイじゃないですか全く…

テレビアニメでは、ユウイの名前は確か墓標に「アスカユウイ」と刻んでありましたが、マンガでは「水凪結惟」という名前でした。

集まる日の中で、竹宮恵子さんの超能力者と既存の人類との関係についての考え方が、登場人物の言葉を借りて語られます。

「超能力を恐れる現人類が新人類を排斥しようとしてESP狩りをし、それを逃れた新人類たちは結集し、この種のテーマではたいてい、最後は新旧交代で終わる」と、終笛は言っています。

この頃の超能力を扱った物語は、きっとその手の物が主流だったのでしょう。終笛の台詞の前半部分と、地球へ…のストーリーは同様の展開をしています。

でも単に超能力を持ったものが、旧人類に代わって世界の主権を握るというストーリーではないことが、地球へ…の新しいところだったのですよね。

異なった者同士、いかにして共存していくか?という、普遍的なテーマを持つ作品なので、舞台装置や道具立てが少々古臭いにも関わらず、今読んでも全く古さを感じないのでしょう。

竹宮恵子さんは終笛に「僕が新人類なら人間を支配しようなんて思わないし、できるとも思わない」と、マンガのラストでは「お前たちには超能力を持つにふさわしい精神がない」とも言わせています。

また結惟は、超能力を持つ新人類を称して、「目覚めたるもの」と言っています。

彼らの信念、言動は、そのままジョミーに引き継がれています。

ジョミーは非常に強い力を持ったミュウであり、なおかつその力をどう使うべきか常に考えて生きており、優れたものならではの苦悩も持っていました。

ジョミーはまさに目覚めたるもの、力を持つにふさわしい精神を持ったものでした。
ユウイのことを書こうと思ってタイトルつけたのに、やっぱり最後はジョミーになっちゃいました(T_T)

ほぼ毎日駄文を綴って来ましたが、先日記事が50を超えてしまいました(^_^;)
我ながら良くこんなに書くことあるなあ…

でも毎日たくさんの方が読んで下さるのを励みに、これからも書くつもりですので、どうぞよろしくお願いします\(^o^)/

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

1/22/2008

地球へ…:ゼル

ゼルは長老たちの中で、最も年齢が上に見えます。

外見の年齢を、自分の止めたいところで止められるミュウですから、この年齢が好みだったのでしょう。
あるいは、若い頃から髪が少なかったので、年を取るまで成長を止めなかったのかも(^_^;)

ゼルは長老の中では強硬派のようで、ミュウたちがナスカに永住したいと申し出た時に、「若いものたちの甘い夢が長じたものの憎しみをも消してしまった!」と怒っています。

ソルジャー・ブルーやハーレイは、人間に対する恨みではなく、ミュウがどうすれば人間から排除されなくなるのかということの方に関心があったようですが、ゼルは人間に対する恨みが深く、やはり何か忘れられない記憶がゼルの中で何百年もくすぶっていたことを感じさせます。

テレビアニメでは、弟を失ったからそれを恨みに思っているようでしたが、そもそも子供一人につき養父母一組の組み合わせで家族が構成されるSD体制下で、弟なんているのでしょうか?

他にもテレビアニメでは原作になかった数々の矛盾を生み出して収拾がつかず、なかなか大変なことになっていましたよね(^_^;)

ゼルの言動も随分と支離滅裂で、先週「人間の精神などどうなろうと構わん」と言っていたかと思うと、今週は「投降してきた者を殺めるなど…」と急に人道派になっちゃったり…

投降してきた人間までトォニィが殺してしまうのは、原作にはないエピソードで、映画から来ているのですよね。
時間が足りないと言うのにこのエピソードを入れてしまった映画制作者の意図も意味不明ながら、わざわざそれを再現してしまうテレビアニメもどうかと思いました。

しかもジョミーがそれを許すとは…

ジョミーもテレビアニメでは最後まで人間とミュウという狭い枠にとらわれ、私情や私怨で動いています。
「市民たりとも容赦はしない」なんて、ジョミーが言うはずありませんもの(T_T)

ジョミーの厳しさは、常に自分に対して向けられるもので、人間に対する恨みや怒りから戦争を仕掛けるジョミーなんて、考えられません。

ジョミーが地球軍と徹底的に戦ってでも地球を目指すのは、あくまでも人類との共存を目指しているからであり、その過程で市民を殺戮してしまっては、憎しみが更なる憎しみを生み、共存なんて望めないではないですか。

テレビアニメではこのあたりから、私のジョミーに対する共感はどんどん薄れていきました…

ゼルとハーレイ、エラ以外の二人の長老たちには原作では名前さえなく、存在感が薄かったのですが、できればテレビアニメではこの二人に名前をあげて、少しは活躍させてほしかったなぁ。

テレビアニメのスタッフが作ったゼルとしては、やっぱり私立シャングリラ学園のゼル先生が良いですね…

農業実習をサボって温泉につかり、「見よ!トマトが赤く燃えている--!!」と絶叫したゼル先生には、大ウケでした(^_^;)

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

1/21/2008

地球へ…:ジョミーとトォニィ

トォニィはジョミーのことを慕いながらも、自分と同じ「超人類」であるジョミーが、人間やミュウのために心を悩ますのが分からないと言い、「少し特別すぎる」とリオに嫌われたりしています。

トォニィはジョミーの意思により「強く生まれて来た」のですから、いわばジョミーの分身でもあったと思います。

そんなトォニィが、人類やミュウよりも進化した自分たち超人類だけで、「自由の天地へ行かないか」とジョミーを誘惑するのは、ジョミーの心の暗部を投影したのがトォニィの欠点だからではないでしょうか。

自分は優れたものであり、自分より劣ったものに奉仕することで一生を終えるのは嫌だと言う割り切った考えは、ジョミーの心の中にも全くない訳ではなく、ミュウの長としての責務を果たすため、常日頃自重している考え方だったのだと思います。

それをあっけらかんと口にしてしまう幼い頃のトォニィは、悪気はないのですが、優れたものが陥りがちな傲慢さに満ちています。

ジョミーはその気になればミュウや人類なんて助けていないで、新たな自由の天地を探しに行っても良かったのですよね。でもそれをしなかったジョミーの生き方が、私を感動させてくれました。

ジョミーには自分自身の存在そのものよりも、この世界の中でどのように生きるのかということの方が重要なのです。

物語の終盤ではトォニィも、人間でもミュウでもないジョミーの、地球を思う懐かしい心のために命を捧げると言っています。

トォニィはこの時点ですでに、人間、ミュウ、超人類などという枠を超えて、ジョミーと同じ、生きる意味を探求する存在になっているのですよね。

ジョミーの中の迷いや矛盾が解消したので、トォニィも成長したのかと考えました。

心理学に、一人の人間の中に存在する複数の人格を分解して見せたものが、物語の登場人物だという考え方があると聞きました。

竹宮恵子さんは大学で教育学を専攻されたそうですから、その辺りを意識して物語を作っているので、地球へ…の登場人物たちがそれぞれに身近に、真実味をもって感じられるのだろうと思います。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

1/20/2008

地球へ…と風と木の詩

地球へ…と風と木の詩とが同時に連載されていたのは、かなり驚きに値することだと思います。

どちらも人間の根源的なものを問う作品でありながら、片や何千年も未来を舞台にしたSF、片や100年以上昔のフランスを舞台にした恋愛ものと、対照的ですからね。

竹宮恵子さんはこの二作を同時進行させるのに、どのように頭を切り替えていたのでしょう。本当に天才としか思えません。

でも実は私は風と木の詩、少し苦手でした。

地球へ…を読んだ流れで必然的に、当時風と木の詩も読んだのですが、粗筋くらいしか覚えてません(^_^;)

ジョミーが人間の可能性と良心とを信じてひたむきに突き進むのに対して、風と木の詩は退廃的、耽美的なストーリーで、しかも登場人物たちが歪んだ愛情で互いを支配するという展開が、私には重すぎました。

主要登場人物の中で支配することが愛情ではないと知っているのは、セルジュだけなんですもん。

そういえばセルジュ、テレビアニメに出ていてびっくりしました。生粋の軍人を演じていた(?)のには、ちょっと違和感を感じましたが…

マツカがやけに女性的で可愛かったのはやっぱり、テレビアニメのスタッフが、マツカにジルベールの印象を重ねていたからなのでしょうね…

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

1/18/2008

地球へ…:映画の影響

地球へ…が映画になったことについて竹宮恵子さんは、自分の作品の中で地球へ…が一番有名になったのは映画化されたおかげとおっしゃっていました。

一番有名な作品が「地球へ…」なのは、映画化されたされないに関わらず、私には当然と思えます!だって一番の名作だと思うから(*^_^*)

TVアニメが終わった後に初めて映画版を見て、TVアニメがかなり映画の影響を受けていることを知りました。

先に映像化されているものを参考にするのは当たり前としても、映画の悪いところをなぞったかのような作り方が目立ったのは残念でした。

映画版のどこがまずいと言って、編集が悪いことは致命的だったと思います。

緩急も起伏もなく、だらだらとエピソードが続き、枝葉末節に時間を割いて肝心なところを端折ってしまっているので、限られた時間であの深遠なテーマや壮大なストーリーを再現できなかったのですよ…

例えばナスカでミュウたちが平和ボケして、自分たちの本来の目的を見失ってしまい、ミュウとしての能力も退化してしまうくだりを長々とやっているのは、本当に時間がもったいない!

原作ではミュウの平和ボケぶりには、トォニィの誕生の後1ページと、ジョミーが長老たちの怒りの攻撃をまともに受けて倒れる前の1ページ、合計2ページしか割かれていません。

でもジョミーの想いと裏腹に、多くのミュウたちが本来の目的を忘れてしまった事実とその過程とは、十分に伝わります。

TVアニメで、ナスカのくだりに時間をかけていたのは、映画の影響が大きいのでしょう。そう言えば、あのラテンアメリカ風のナスカのテーマも、高梨康治さんが映画の音楽からヒントを得て作ったのだろうと思います。

原作のある物語を映像化する時にはやはり、作者の意図を無視してはならないと思うので、竹宮恵子さんが比重を置いた部分に力を入れ、余分な描写を詰め込み過ぎない時間配分にすれば、もっとすっきりと面白いものになっただろうにと思うのですが…

竹宮恵子さん自身は、監督の思うように作ってもらって楽しんでもらえればとおっしゃって、一ファンとして純粋にTVアニメを楽しんでおられたようで、さすが大作家は度量が違うなあと感心することしきりです(^_^)

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

1/17/2008

地球へ…:ナスカの子

ジョミーはナスカで、SD体制以降初の「本当の人類」を誕生させました。
お母さんの胎内で育った自然出産児、トォニィたちナスカの子です。

地球へ…第一部の中で、教授が「幸運だな君たちは…ユニヴァーサルの教育を知らずESPエリートとしてここで生まれ育ったとは…」と言っているので、それ以前からミュウたちは自分達の子孫を増やしてはいたのでしょう。

SD体制下の人間と同じ、婚姻によらない人工授精と、人工子宮による方法で…
ジョミーが医師の一人と話をしている場面で、研究室に並ぶたくさんの試験管が描かれていましたし。

ナスカの子たち9人は、人間本来の方法で生まれた「本当の人類」であるだけではなく、「優しく弱く闘いを好まぬミュウに代わって闘えるものを求めていた」ジョミーの意思から生まれて来たので、特別な力を持っていたのですよね。

その力ゆえに、ミュウと言う異端者の集団の中にあって更に、異質な者たちであるナスカの子たち…
竹宮恵子さんはナスカの子たちに、随分と過酷な運命を課したものだと思います。

ナスカの子たちは、自分たちに地球へ向かう意味があるのか、地球へ着いたとしても自分たちに生きる場所はあるのかと悩みます。

ジョミーの「運命に対する悔しさを超えていられる」強さは、結局そんなナスカの子たちを、究極の異端者としての運命をも受け入れ、ミュウの悲願である地球へ向かうために全力を尽くすよう導きます、

ジョミーがアタラクシアに、テレパシーで送った「人間たちに恨みはない それぞれに生きそれぞれに歩いてきたのだ ともに地球を愛し憧れ-だからこそ戦う地球への道を!」というメッセージは、何度読んでも感涙ものです。

ジョミーは、排除され、虐げられた怒りや恨みなど個人的な感情を超越した存在、生きる意義を追い求め、人間とミュウの双方に対して(読者に対しても)、人間とは何かという疑問を突きつける存在であり、すでに一個の人間のレベルを超越してしまっているのですよね。

地球へ…のテーマを体現しているのがジョミーなのだと思います。
ジョミーの運命を受け入れ抗わず、その中で精一杯力を尽くす姿を見て、ナスカの子たちは地球へ向かう意義を見出すのですから。

ラベル: , , ,

人気ブログランキング

 

1/16/2008

地球へ…:キースの心の穴

ナスカに囚われの身となったキース・アニアンは、コンピューター制御による意識のプロテクトにより、眠っている間にも、地球の本当の情報を決してミュウに与えませんでした。

その鉄壁の心に穴を開けたのが、トォニィです。

キースがSD体制始まって以来の本当の人類、トォニィの存在に衝撃を受けたのは、人間をコンピューターの部品のように扱い、不自然な方法で繁殖し、異質なものを排除して種の存続を図るSD体制に、心の奥で疑問を持ちながらも、そのSD体制の申し子としてこの世に生を受けた以上、その運命には逆らえないという、深い矛盾を抱えていたからでしょう。

トォニィの存在によって自分の中の矛盾を意識し、ついジョミーに自分の心への侵入を許してしまったキースは、ジョミーに「心の半分はシステムに反対している」ことを知られ、動揺します。

「不純物は出るさ…良質なものを作ろうとすれば当然だろう…危険な不純物は処分するのが適切だ!」とメンバーズ・エリートとしての建前を口にしながらも、サムやシロエの面影が脳裏を過ぎり、戸惑うキース…

自分のピアスがサムの血で出来ていることをもジョミーに知られ、「ロマンチストだな」と言われてしまい、キースは逆上します。

ジョミーとキースとが結局ここで理解し合えないことが、子供の私には今ひとつ理解できず、残念でなりませんでした。

ジョミーもキースも、常にいかに生きるべきかを自問しながら自分の属する世界に身を捧げる立派なリーダーであり、お互いが少し譲歩し合えば良い理解者になれるのにと思ったのです。

でも大人になってから、ジョミーとキースとが何故理解し合えなかったのかが、分かるようになりました。

個人としての正義と、集団としての正義とが合致しないことが往々にしてあり、そういう時には集団の正義を行動の規範にしてしまうのが人間なのですよね…

そこに生まれるのが対立であり、誤解であり、憎悪であり…

同じようにシステムに疑問を持ちつつも、ジョミーとキースとが互いの死の直前まで分かり合えなかったことは、本当に悲しいことですが、これが私たちの住む世界の現実なのだと、今では思います。

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

1/10/2008

地球へ…:ミュウ因子

ミュウ因子は遺伝子に違いないと、大人になってからは考えていました。

子供の頃はどう考えていたかと言うと…全く思い出せません(^_^;)おそらく理解できない概念は私の脳を素通りして行ったのでしょう。

ミュウが地球へ向かって進攻し、地球側では全人類に対してESPチェックを行うことになりました。

キースがその際グランドマザーに報告した内容によると、コモンは20人に一人、軍部は10人に一人がミュウ因子を持っており、エリートでは更に高頻度と予想されると言うことでした。

これはかなり多いですね(@_@)

ミュウ因子が一つの遺伝子と仮定すると、ミュウの生まれる頻度から考えて劣性遺伝子でしょう。

20人に一人の旧人類がミュウ遺伝子を持っているなら、ランダムに組み合わせれば、メンデルの法則に従うと、ミュウの生まれる確率は1600分の1です!

軍部の人間の配偶子を使うと、これが一気に400分の1に上がってしまいます…

これではあっと言う間に旧人類はいなくなりそうです(^_^;)

多分グランドマザーはミュウ遺伝子を特定し、排除は禁じられているため、配偶子の組み合わせを操作することによってミュウの出現頻度を少なく押さえていたに違いありません。

ミュウのようなマザー以上を求める者が増えてしまうと、自分の危機を招く結果になりますからね…

最終的にはマザー以上を求める者の代表、ジョミーによって破壊されてしまう訳ですが。

グランドマザーはやはり、自分に対抗する者をありとあらゆる手段を尽くして根絶しようとする独裁者の姿そのままです。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

1/06/2008

地球へ…:フィシス

地球へ…マンガ少年別冊版に収録されている「地球へ…創作ノート」を読むと、竹宮恵子さんが地球へ…を描き始めたきっかけ、登場人物の名前の由来などが分かり、興味深いです。

地球へ…創作ノートの中に「フィシス(ギリシャ)自然」と書いてありました。

ギリシャ語の「フィシス」は、英語に訳すと"nature"となるようです。

ギリシャの詩人ホメロスは、その叙事詩「オデュッセイア」の中で、それぞれの植物に本来そなわっている本質的な性質、転じて「生物をはじめ世界の全てが、外界からの影響と無関係に発展しようとする自然な性質」という意味でフィシスという言葉を使ったそうです。

ジョミーと初めて顔を合わせた時フィシスは、「原始=自然です。それなくして生物はあり得ません」と言っています。

竹宮恵子さんは、人間は本質的に良い方向へ向かう可能性を秘めているものと信じ、人間に対する希望を失っていない人なのだと思います。

フィシスの名前は、偏った価値観や先入観に支配された人間たちにも、自分たちの本質に気付き、人間本来の良い方向に向かう力があるはずという竹宮恵子さんの考えを表しているのでしょう。

また、手を当てるだけで生物、無生物に関わらず、そのものの本質を感じ取るフィシスの能力は、名前と深い関係があったのですね。

地球へ…のラストで地殻変動と大噴火の中、その手を通してたくさんの人たちに心の平安を与えるフィシス…

SD体制という箍を外された人類は、フィシスによって、本来自分たちが進むべき方向を悟り、種が発芽し大木になるように、今後は時間をかけてより良い方向を模索して行くのだろうと思わせるラストでした。

でもTVアニメでのフィシスの存在意義は…まあこれ以上は語るまい(^_^;)

私立シャングリラ学園の、昼メロ好きで妄想癖が過剰なフィシスはなかなか良かったですけど。

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

1/04/2008

地球へ…:ジョミーはなぜグランパ?

地球のコンピューターシステムの中枢、グランドマザーは、本来の意味は「おばあさん」ですが、作中では「大いなる母」、「威厳のある母」、「マザーコンピューターシステムの中心的存在」という意味で名付けられたのでしょう。

ジョミーがトォニィに「グランパ」と呼ばれていたのは、このグランドマザーと対等にわたり合える存在であることを示唆しているのだと思います。

旧人類のシステムの要、グランドマザーと対を成す、ミュウの要、人間らしさの象徴がジョミーであるということですね。

トォニィは子供の頃、自分の両親の生みの親がジョミーだと教えられ、ジョミーを「グランパ」と呼んだ訳ですが、そこには竹宮恵子さんのこのような意図が込められていたのでしょう。

地球へ…の第一部では、テラズナンバー5の作り出す強力なテレパシーに対抗できるほどのエネルギーを持ったテレパシーを送る能力を持つのは、ソルジャー・ブルー以外にないとされていました。

その上位に位置するグランドマザーは、更に強力な力を持っていたに違いありません。ソルジャー・ブルーは、自分にはグランドマザーに匹敵するほどの力はないと判断し、長い長い間、自分を凌ぐ力を持つ後継者を探し続け、待ち続けたのでしょう。

対話するにせよ対決するにせよ、グランドマザーとの力の差が大きすぎると、歯牙にもかけられないでしょうからね。

そして現れたジョミーに、ミュウと人類との未来は託されました。

竹宮恵子さんは、グランドマザーの対極に位置し、人間の尊厳をかけてグランドマザーと対決するジョミーに「グランパ」という呼び名を与えたのだと考えています。

それにしても私立シャングリラ学園のトォニィは可笑しかった(^_^)

グランパは英語で「偉い人」っていう意味だと勘違いしていてキースに指摘され逆切れ(^_^;)
本編同様の圧倒的破壊力で暴走しまくっていました。

TVアニメの地球へ…は、どうしてこんなにもパロディの方が面白いのでしょうか…

ラベル: , , ,

人気ブログランキング

 

1/03/2008

地球へ…:ミュウの超能力

地球へ…がTVアニメになってから、ミュウが超能力者であることをうらやましいと考える人が多いと知って驚きました。

人より優れた点があるということは、かえって不幸なことなのですよ…

例えば旧人類はミュウを、自分たちより進化した、より優れた存在と判断したため、恐れ弾圧したのであって、旧人類にはないその能力こそがミュウたちの不幸そのものなのですから…

それを単純に超能力があってうらやましいと思うのは、想像力に欠けるのではないでしょうか?人にない能力を持っていると言うことは、それだけで一つ十字架を背負っているようなものなのに…

地球へ…に限らず、人間の作り出す物語の登場人物は、ほとんどの場合作者の分身だと思うのですが、竹宮恵子さんの分身であるソルジャー・ブルー、ジョミー、シロエ、キース、その他の登場人物たちは、みんな他の人の持たない能力を持ち、他の人の気付かないことに気付いてしまい、他の人の思いもよらないような深い苦悩を抱えて生きています。

その姿はそのまま、人より優れているが故にかえって人より生きることが困難だった竹宮恵子さんの姿を反映しているのだと思います。

キース・アニアンはナスカを殲滅する時に「人間には人間以上は要らない」と言っています。キース自身が実は人間以上だったのですが、キースはSD体制を守るためにシステム自身によって作り出された存在だったので特殊な例外として、「世界の秩序」を守るためには、優れたものは往々にして邪魔者になるのですよね。

ジョミーが言ったように「マザーにあやされ育てられた意思のない、目も耳も口もふさがれながらそれを知らない」人間ばかりなら、支配しやすいのですから…

人より優れた能力を持っている存在がうらやましいと思っても、それと表裏一体の苦悩を想像すると、自分はそうでなくて良かったと思えるはずです。

あっという間に2008年となりました。今年もどうぞよろしくお願い致します\(^o^)/
このブログをたくさんの方が読みに来て下さり、嬉しい限りです!
面白ければ是非、ブログランキングのクリックをお願いしますm(_ _)m

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

1/01/2008

地球へ…:竹宮恵子さんの理想

地球へ…のTVアニメを監督したヤマサキオサムさんは、やっぱりソルジャー・ブルーの大ファンだったのですね…

きっとそうに違いないとは思っていましたが、Premium Fan Disc6を聞いて、ソルジャー・ブルーというキャラクターに対するあまりのこだわりに驚きました。

でも、映画のディレクターズカット版が大抵、監督の思い入れだけで、あのシーンもこのシーンもと詰め込みすぎて冗長でつまらないのと同じように、強すぎる個人的思い入れは、物語をつまらなくするだけなのですよね(/_;)

監督がソルジャー・ブルーの熱狂的ファンだったことは、この作品をTVアニメとして現代に蘇えらせたと同時に、単なるキャラクターのための物語にしてしまい、全体を台無しにしてしまったという功罪両方の結果をもたらしましたね…

Premium Fan Disc6の中で、竹宮恵子さんからソルジャー・ブルーへ宛てたメッセージが、杉田智和さんによって読まれました。非常に深遠で感動的なメッセージだったので、つい書きたくなってしまいました。

竹宮恵子さんにとってブルーは憧れの具象化だったのだそうです。

竹宮恵子さんは、実は自分は現実的な人間なので、あまりにも強い憧れは人には見せない、だからブルーは物語からすぐ姿を消してしまったのかもと、書いておられました。

でもその憧れとは、勝手に理想化した男性に憧れる少女のような単純なものではなく、やはり自らがどう生きていくか、その指標となるような存在だったのですね。

非の打ち所なく滅私の心を持ち、ジョミーと言う個性を選び信頼し、全てを託したソルジャー・ブルー。

竹宮恵子さんの「選んだなら信じる、行き着けなくても行く、全てを懸けたら後悔しない、手を尽くしてその身を投じる…そうすればいつか必ず山は崩れ水は流れ出す、それがこの世界の真実」という言葉に、打ちのめされました。

私も幼い頃そのメッセージを受け取り、一度きりの人生、後悔のないように、例え目指す所にたどり着けなくとも、全力で生きるのだと誓ったものでしたよ(T_T)

ソルジャー・ブルーの「地球へ行くのだ…」という言葉が、これからも私に囁きかけるでしょう。

こんな素晴らしい漫画を描いてくれて、竹宮恵子さん本当にありがとう(;O;)

ラベル: , , ,

人気ブログランキング

 

12/31/2007

地球へ…とスターウォーズ

スターウォーズの話題を出したので、ついでにもう一つ…
地球へ…とスターウォーズとは、どこかしら似ているのですよね。

ごく普通の少年が、超人的な英雄に導かれ、波乱万丈の冒険に旅立ち、苦難の末に大きな成長を遂げること、主人公が超能力を持つこと、また主人公が「本当の家族」を知らず、そしてそれを無意識の内に追い求めることなど…

ただ両者の決定的な違いは、登場人物たちが求めて止まないのは同じ家族でありつつも、地球へ…では「母なるもの」であり、スターウォーズでは「父なるもの」であることです。

これは、物語を作ったのが女性であるか男性であるかに負う所が大きいのではと思います。

竹宮恵子さんは「男の子ならしても良いことが、自分には許されなかった。例えそれが素敵なことではないにしても、自分も男の子と同じようにやってみたかった」と書いておられます。

恐らく当時の田舎のちゃんとしたお家の女の子として、女の子らしく、決まった道を進むようにと、きっと色々な制限や束縛があったことでしょう。

そしてそれを娘のために良かれと思って強いるのは、主に母親だと思います。
父親というのは娘に甘く、衝突しても結局は折れてしまう存在ですが、女の子にとって最も手強く、最も説得が困難な同性は、母親でしょうから。

ジョージ・ルーカス監督も「父は田舎町で小さな商店を営んでおり、厳格で怖く、自分にその商店を継ぐことを期待した」と語っていました。

同じように、息子のために良かれと思って、田舎町の商店を経営する人生を強いる父親は、男の子にとって最も手強く恐ろしく、高圧的な存在だったのではないでしょうか。

男の子の場合には、母親が父親の厳しさから息子をかばい、父親の行き過ぎを止めてくれる存在ですから、父親との関係の方がより困難なものだと推測します。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、特別な才能を持っていたが故に、子供の平凡な幸せを願うあまりに冒険を絶対に許さない同性の親と、うまく関係を作れなかったのではないかという気がします。

地球へ…では、「父親」の存在が見事なまでに無視されています。

ジョミーが想うのはマムのことばかりですし、カリナの夫なんて一度病院の場面に登場しただけで名前もないような存在、コンピューターシステムの名前はマザーシステム…

スターウォーズではこれが正反対で、ルークとレイアの父がダースベイダーであったこと、ダークサイドに堕ちる以前はジェダイの騎士だったことなどが設定されているのに対し、二人の母は設定どころか名前さえ無く、ほとんど存在を無視されています。

旧三部作であまりにもルークとレイアの母の存在感がなかったため、エピソード1を見た時に、パドメが将来アナキンと恋に落ちて二人の母になるのだと、気付かなかった位でした。

この好対照、とても面白いと思います。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、恐らく異性の親とはそれ程問題なく良好な関係を保っていたので、特に物語にしたいという強い欲求がなかったのでしょう。

それに対して、二人とも若い頃に同性の親と衝突し、家を出てまで自分の力を試し、夢を実現するために努力し、でもいつかは母に、あるいは父に、理解してもらい受け入れてもらいたいと願っていたのではないでしょうか。

その衝動が、各々母なるもの、父なるものを求める物語を作らせ、多くの人の共感と感動を得たのではと考えています。 

このブログを始めて1か月と少し、本当にたくさんの方が私の拙い文章を読みに来て下さいました。
頻繁に来て下さる方も多いようで、本当に感謝です。ありがとうございます(*^_^*)

もし面白ければ、是非人気ブログランキングへの投票をお願いしますm(_ _)m
それでは皆さま良いお年を(^_^)/
来年もどうぞよろしくお願い致します。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

12/29/2007

地球へ…:アタラクシアは銀河系の外だった

地球へ…のマンガ少年別冊版を手に入れてしまいました(*^_^*)
こんな古い本が今頃手に入るとは思っていなかったので、感無量です!

地球へ…を初めて読んだのは、このマンガ少年別冊版だったので、読者からの質問に竹宮惠子さんが答えるコーナーや、SFミニミニ辞典(時代を感じますね…)、ミュウの宇宙船解剖図など、そう言えば読んだなあと、懐かしく読み返しています。

地球へ…Q&Aの中で、アタラクシアは地球から二千光年の距離というが、その距離では銀河系の中にあることになるため、銀河系全体を外から見ることは不可能では?という質問がありました。

竹宮恵子さんはそれに対して「確かにその通りです。二万光年と訂正します」と答えておられ、実際にテラズナンバー5の台詞も「地球からは二万光年離れた星」と訂正されています。

ところが後に、フィシスが持っていた銀河系のイメージは、グランドマザーが創った人造人間の共通の暗号という設定がなされ、「銀河系外に育英都市はひとつもない」とジョミーは言っています。

最初勘違いで設定してしまったことを、ストーリーの一部を作るために使ってしまうなんて、竹宮恵子さんは何と柔軟性のある人なのでしょう!思わず笑ってしまいました。

第二部総集編でSF作家の光瀬龍さんと対談した竹宮恵子さんは、少年を描くのは「変身願望」ではなく「変革願望」、「男の子になりたい」のではなく、「男の子のように私もやりたい」、「竹宮さんって男の子になりたかったのでしょう?私もそうなの、だからあなたの作品が好きと言われると、何だかちがうんだなー」とおっしゃっています。

またQ&Aの中で「今自分達の持っている価値観が単なる妄想に過ぎないことを、一体何人の人が感じているでしょうか」とも語っています。

全ての漢字にふりがなが振ってあるような子供向けの漫画に、竹宮恵子さんは全く手を抜かず深いメッセージを込めたものだと、改めて感動しました。

竹宮恵子さんは、既存のステレオタイプなものの見方や価値観に疑問を持ち、常にいかに生きるべきか模索し、挑戦している人なのでしょう。

光瀬龍さんや、あの映画版を作っちゃった恩地日出夫さんの言葉を読んでみると、あまりにもステレオタイプで単純な価値観しか持っていないなあと思ってしまいます。

年齢が半分くらいの竹宮惠子さんの方がずっと視野が広く、思考が柔軟で(これは若いからこそなのかもしれませんが)、考え方が成熟しています。

既存の価値観に囚われない柔軟な思考回路を持つことが、人間として大切なことだと竹宮恵子さんは考えていたのだと思うのですが、それが伝わらない人がたくさんいるというのは、残念なことですね…

ラベル: , , ,

人気ブログランキング

 

12/24/2007

地球へ…:ナスカは凶星だった

ジョミーがナスカをひと時の安住の地として選んだのは、「閉じ込められた皆の心を解き放ち」、「人間への憎しみだけで一杯の心にもっと温かい思いをしてほしかった」という理由からでした。

地球とは似ても似つかぬ、二つの太陽と赤い大地の星、ナスカ…

ソルジャー・ブルーの遺志を大切に思いながらも、仲間たちのために最善と考えて、苦悩の末に一旦ナスカに降りることを決意したジョミーに対し、ミュウ達は、それぞれに主張や要望をしてきます。

ジョミーを支えるべき立場であり、何百歳も年長の長老たちまで…

人間への憎しみに囚われている長老たちは、多くのミュウが地球へ向かうことを断念しナスカへの永住を希望するようになったことをジョミーの責任と考え、「みなおまえの独断が…!」と、ジョミーに精神攻撃をかけてしまいます。

小学生の時には、「長老たちひどいなあ…一番悩み苦しんでいるのはジョミーなのに(T_T)ジョミーよりずっと年上なんだから、もうちょっと分別があってもいいんじゃない?」と思っていました。

この場面もそうですが、初めてジョミーがミュウの船に行き、「おまえたちのような化け物といっしょにされるくらいなら…」と発言して若いミュウたちを怒らせた時にも、手ひどい精神攻撃をくらっています。

地球へ…の原作では、ミュウはとても感情的で、キースの言葉どおり「すぐカッとなり、怒ったり泣いたり同情したり、そのくせいざとなると闘争心がない」ように描かれています。

TVアニメでは、ミュウたちはもっと立派で理性的で自制心があり、「危険な力を振り回す化け物ではない」ことになっていました。

この設定により何となく、ミュウ=正義、人間=悪という図式ができてしまって、戦争に良いも悪いも無い、戦争において正義VS悪という単純な図式は成り立たないという、原作のメッセージが希薄になってしまいました。

ミュウと人間双方が多くの欠点を持ち、なおかつ各々の価値観でより良い世界を実現しようと模索する存在であればこそ、両者の戦いに悲壮感が漂うのであり、それを単純化してしまうと、深みがなくなってしまいます。

長老たちがナスカを凶星と考え、ジョミーに責任を押し付け、精神攻撃までしてしまうのは、とても人間くさく、自然な展開だと思うのです。

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

12/20/2007

地球へ…:ソルジャー・ブルーは享年何歳?

以前「プロットの穴」で、ソルジャー・ブルーは亡くなった時201歳以上だったはずと書きましたが、最近その間違いに気付きました。

3世紀にわたって生きるには、生まれた年にもよりますが、最も短くて101年生きれば良いのですよね…

地球へ…の原作の序盤で、SD336年にミュウが発見されたとあり、ソルジャー・ブルーはミュウの中でも最も長く生きてきたとのことでしたから、その年が成人検査を受ける14歳だったと考えるのが自然でしょう。

そうするとソルジャー・ブルーはSD322年生まれ、前述したように、途中で時間がワープ(?)しているので、とりあえずジョミー、キース、サムが16歳、シロエが14歳の年の年末が534年とすると、ソルジャー・ブルーが亡くなったのはその2年前ですから、SD532年で、享年210歳ですね…

でも、ジョミーとサムとがナスカで再会したのがSD577年で、その年二人は共に23歳という設定に従うと、ソルジャーブルーはその9年前、SD568年に266歳で亡くなっていることになります。

旧人類の3倍もの寿命があるということでしたから、どっちかと言うと266歳まで生きたというのが正解っぽいですが…

でもジョミーがミュウの船に迎えられた直後、教授が150年の間に集まったミュウの数は1000を超えたと言っていたので、この年は元々SD480年頃という設定だったのか?

考えれば考えるほど謎ですね(^_^;)

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

12/19/2007

地球へ…:なきネズミの長寿(*^_^*)

なきネズミは原作では、ミュウの開発した生き物だという事でした。
ミュウは生命科学をはじめとして、科学技術一般に明るかったようですね…

なきネズミは火星で捕獲される生き物と公表されているという設定でしたが、地球から2000光年離れたアタラクシアですから、きっと公表しているユニバーサル自身は、嘘だと分かっているのでしょうね。

アタラクシアで育てられている子供たちは、アタラクシアを地球だと信じさせられ、大人になったら山の向こうの大人の世界へ行くのだと教えられていました。

大人はどうだったのでしょうか?やはり事実を知りながら子供に隠すのは難しいでしょうから、ユニバーサルに勤務するいわゆる「お上」以外の大人たちもまた、コンピューターにより洗脳され、自分たちが地球に住んでいると信じていたのではないでしょうか。

それにしてもなきネズミ、ミュウの開発した生物だけあって長寿です。
ミュウも細く長く、体の虚弱な分旧人類の3倍の寿命があるということでしたから。

地球へ…の原作で、最後になきネズミが出て来たのは、メンバーズで編成された対ミュウ特別部隊の攻撃を受けた後、ジョミーがリオとエレベーターに乗っている場面でした。

この時トォニィは10歳そこそこですから、ジョミーは35歳くらい?

と言うことは、少なくともなきネズミは20年位は生きていることになります。

「ゾウの時間 ネズミの時間」と言う本がありましたが、この中で「一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズによらず同じ」と解説されていました。

つまり、小動物ほど鼓動が早いので、寿命が短いということなのですよね。

あの小さななきネズミを、どうやってそんなに長寿に作ったのか…

そういえば、映画「グリーンマイル」で、トム・ハンクス扮するポールと一緒に、死刑囚ジョンの不思議な力を注がれたネズミ「ミスタージングルス」も、ポールと共にずいぶん長生きしてましたよね。

やはり超能力のなせる業に違いありません。

竹宮恵子さんは多分、そこまで考えていなかったのではと思うのですが、あまり緻密に計算されていない設定に関しては、読みながらここの設定ってこういうことかな?などと考えるのが、また楽しかったりします。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

12/18/2007

地球へ…:ジョミーの両親はどうなった?

地球へ向かうと同時に、システムの要である教育を担う育英都市を制圧するため、アタラクシアを目指したジョミーたち。

アタラクシアを制圧したジョミーが真っ先にリオに調査を頼んだのは、もちろん両親の所在でした。

そのすぐ後、テラズナンバー5と対決した時に「15年前お前の成人検査から逃れた」と言っているので、ジョミーは29歳で、その15年間両親のことを思わなかった日はなかったことでしょう。

恐らく両親の方は、それ程愛着を持ってジョミーを育てた訳ではなく、職業だから職務(とコンピューター)に忠実に一生懸命義務を果たしただけなので、ここまで一途に両親を想うジョミーの心が哀れでした。

しかも両親は、ジョミーが成人検査に合格できずミュウとして生きることになった時点で、「処分」されていたことは間違いないでしょう。

竹宮恵子さんは、主な読者が子供であることを想定した少年漫画で、はっきりとそれを描写するのを避けたのだと思います。

リオの「あなたのご両親はすでに他の育英都市に移されてしまっていて…おそらくあなたの逃亡の直後でしょう。行き先の明示はありませんでした」と言う台詞が、全てを表しています。

完璧なコンピューター管理社会で、異動先が分からないなどと言うことが起ころうはずもありません。

思わず「…殺されたのか?」と問うジョミーに、「いいえ!まさか!確かに移籍したと記録されていただけです」と苦し紛れに答えたリオ自身の両親も同様に、不適格者を育ててしまった養父母ということで、リオがミュウの船に迎えられた後に「処分」されたに違いありません。

SD体制下では、14歳のいたいけな子供を、成人検査に失敗し、地球のシステムを知り、なおかつ洗脳されず子供のままの危険分子というだけの理由で簡単に処刑してしまえるのですから、大人であればなおのこと、それ以外の結論はないと思います。

それでも「マムもどこかの星でミュウの子を世話するようになるだろうか」と、あくまでも両親がどこかで健在でいるという希望を捨てないジョミー…

ジョミーの強さであると同時に弱さでもある優しさと、繊細さとを感じました。

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

12/17/2007

地球へ…:ミーシャって?

地球へ…のエピローグは、極力説明を省き、読者の自由な解釈に委ねるように描かれています。

最初に読んだ子供の頃は、少年とミーシャのビジュアルと、少年のやんちゃぶり、また二人が手を触れると心が通うということから、ジョミーとフィシスの生まれ変わりでは?と解釈しました。

もちろんこの少年と少女はミュウであり、二人の両親は、わが子が不思議な力を持っていることを知っていながらそれを受け入れ、慈しんで育てているのだと思いました。

ジョミーやシロエやキースの時代から悠久の時が流れて、やっと人間とミュウとが自然に共存できる宇宙になったのだと、感慨深く思ったものでした。

ソルジャー・ブルーやキース・アニアンの記憶の他に、ジョミーとフィシスの知るはずのないセキ・レイ・シロエの記憶をも、少年とミーシャが持っていたのは、宇宙を漂う際限のないエネルギーの一部である少年と少女が、過去に生きた多くの人々の意識や記憶や想いを、生まれながらにして受け継いでいたのだろうと思っていました。

それにしても少女をミーシャと名付けたのに、少年には名前を付けなかったのは、竹宮恵子さんに何か意図があったのか、それとももう名前を考えるのが面倒だったのか(^_^;)

大人になった今考えると、この二人は誰かの生まれ変わりなどではなく、むしろ過去の登場人物の誰とも関係ない、誰でもない子供たちだったのだろうと思っています。

どちらにしても、宇宙に漂う今は亡き人々の残した精神を感じ取ることのできる二人のミュウが、同じ記憶を持ち、別々に生まれ、そして出会い、恐らく二人はアダムとイブのように、また地球上に生命を作り出すのだろうと考え、胸が一杯になりました。

今度こそみんなが人間らしく生きられる社会を作れるといいね…と二人に語りかけた私は、今私たちが生きている社会は、本当に人間らしい生き方のできる社会なのだろうか…と、つい疑問に思ってしまったのでした。

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

12/15/2007

地球へ…:異端児が世界を変える

地球へ…の主要な登場人物たちは、みな異端児です。

セキ・レイ・シロエはエリート候補生でありながら、非人間的なSD体制を断固拒否し、自分の人間としての尊厳を保つためには死をも辞さない強い意思を持っています。

ジョミー・マーキス・シンは、成人検査までの14年間を過ごしたアタラクシアで、自分の住む世界や、他の人間に対する違和感や疑問を抱きながら、体制からはみ出した、感情過多な問題児として育ちました。そして、他のミュウとは比較にならない位の強力な超能力を持っています。

ソルジャー・ブルーは、ミュウと言う新人類が人間に認識された最初の存在で、やはり非常に強い能力を持ち、明らかに他者とは異質な存在です。

キース・アニアンは、マザーコンピューターのプログラムの一環としてSD体制護持のために作られた、いわば人造人間で、人間ともミュウとも異質な存在です。なおかつ人類の指導者となる宿命を負いながらも、他の誰もが信じて疑わないSD体制に対する深い疑問を常に持ちつつ生きています。

これほどまでに異端児ぞろいの登場人物…

思うに、作者の竹宮恵子さん自身が異端児だったことが、この物語を作る原動力になったのではないでしょうか。

登場人物の一人一人が、きっと竹宮恵子さんの分身なのでしょう。

高校時代から漫画を描き雑誌に投稿し、大学を中退してまでプロを目指し、20代で地球へ…のような漫画を作ってしまう、行動力と圧倒的な能力を持っていた竹宮恵子さん…

子供の頃からSF漫画が好きだったそうで、女の子としては少し変わった子だったのでしょうし、また何事も鵜呑みにせず流されず、色々なことを批判的に考える大人びた子だったのではとも思います。

必然的に、子供の頃は他の子たちからは多少浮いた存在だったのでは…

でも結局世の中を変えて行くのは、お上から押し付けられることに疑問を持ち、自分の力で考え、行動していく人たち、つまりは異端児たちなのですよね。

シロエはその生命と引き換えに、キースに決定的なSD体制への疑問、また人間とは何かと言う疑問を植えつけました。

ブルーとジョミーはミュウのリーダーとして最終的にはSD体制を打破し、遠い未来には人間もミュウもない世界を実現しました。

そしてキースは、コンピューターの支配から人間を解放しました。

ここまで劇的でなくても、流され何となく生きているだけでは、何も変えることはできません。

地球へ…は、人として生まれたからには意味のある生き方をしたいという、竹宮恵子さんの想いが込められた物語だと思っています。

ラベル: , , , ,

人気ブログランキング

 

12/14/2007

地球は青かった?

地球へ…のTVアニメでがっかりしたことの一つは、ジョミーたちミュウが苦難の末に初めて肉眼で捉えた地球が、荒廃し切った死の惑星だったという設定にされてしまっていたことです。

原作でジョミーが「だれかの意識がぼくの頭の中ではねた"地球か…?"と」「その瞬間にだれより早くぼくの意識はあの青い空をとらえた」「ぼくの運命を変えた星-地球!!」と独白したくだり、初めて読んだ時には涙したものでした。

何度読んでもその度に感動します(T_T)

ジョミーの頭の中ではねた、「だれかの意識」は、もちろんソルジャーブルーの意識ですよね。ジョミーはその強い能力と強い想いとによって、肉体の滅びたソルジャーブルーの意識を、自分の深層心理の奥底に取り込んでしまっていたという設定でしたから。

やっと、やっと地球を肉眼で捉えられる所にまでたどり着いたミュウたち…物語の冒頭で、「地球は遠い…せめて一度この肉眼でとらえたかった」と涙したソルジャーブルーの想いを、ついにジョミーたちが実現でき、ジョミーの潜在意識の中に存在していたブルーもまた、地球を肉眼でとらえるという悲願を果たすことが出来たのですから…

美しい地球、自分の運命を決定付けた憧れの地球…

実の親を持たず、家族の愛を知らず、作り物の世界で育ったアイデンティティの危ういジョミーたちが、唯一確かな存在として全てをかけて目指した地球が、想像よりずっと美しかったからこそ、それまでの苦難と悲しみが報われるのですよ…

それを荒れ果てた星にしてしまっては、それこそミュウも人間もかわいそう過ぎるじゃないですか(/_;)

過去は自分で変えることが出来ませんが、未来は自分で選んで作っていくことが出来るのですから、悲しい過去を持つミュウたちが命を賭けてたどり着いた地球は、せめて美しい星であってほしかった…

そう言えばTVアニメでは、アタラクシアがやたらときれいなのですよね。

原作の、巨大なビルの立ち並ぶメガロポリス、ロードウェイや空中を張り巡らされたチューブを使って移動する人間、その人工的で冷たい感じのするアタラクシアを、あんなに美しく作り変えてしまい、しかも肝心の地球を荒廃させてしまっては、美しい過去と希望のない未来という、原作とは全く相反する救いのない構図になってしまいます。

だいたい、SD体制が始まってから500年以上経っているのですから、そろそろ地球が生き返っている方が自然でしょう。

原爆が落ちた広島や長崎だって、当初は100年は植物も動物も育たないと言われたそうですが、実際には10年も経たない内に植物も動物も育つことのできる土地に戻ったのですから。

地球は、人間というヤドリギが離れてもそう簡単には回復しないという考え方は、人間の存在と影響力とを過大評価し過ぎだと思うのです。

人類なんて地球にとっては取るに足らない存在なのですから…

SD体制は地球を生き返らせるために作られたのですから、SD体制により人間性は破壊されてしまい、人間がコンピューターの部品と化してしまっても、その代償として地球は美しい星に戻っていなければならなかったと思うのです。

そうでなければ本当に、救いがなさ過ぎるではないですか(;O;)

意志の力で全てを成すミュウの存在は、悲しい過去や過酷な宿命があっても、意思さえ強ければ未来は作ることができると言う、竹宮惠子さんのメッセージだと思うのです。

それを大切にしてほしかったなあ…

ラベル: ,

人気ブログランキング

 

12/11/2007

地球へ…の世界に神はいるのか?

地球へ…の世界には、神という概念があったのでしょうか?

少なくともミュウたちは、神という概念を持っているようでした。

ジョミーがブルーの記憶をテレパシーで受け取ることを拒否し暴発した時に、ブルーが「神よ!あれほどのエネルギーとは思わなかった」と言っているので、人類やミュウなど地上に生きる者の力の及ばない存在がどこかにあると、思っていたことは確かでしょう。

では人類には神という概念があったかと言うと、微妙なところです。

キースが教育ステーション時代に書いていたレポートの科目に「宗教学総合理論」があったので、宗教という概念が残っていたことは確かです。

でも総合理論ですからねえ…宗教を過去のものとして、学者達がその教義や歴史を理論的に研究していたのかもしれません。神という存在を、昔人間が原始的だった頃に作り出した架空のものだと教えていたのではないでしょうか。

人類にとってはマザーコンピューターを頂点に頂くSD体制そのものが神であり、絶対的なものでしたから、マザーがいるからには、神は必要なかったと思いますし。

ここでもSD体制が現実の独裁政権と重なります。

独裁者は大抵自分の銅像を立てちゃったり、肖像画を各家庭に飾らせたり、自伝を国民に読ませたりして自分の神格化に励み、大抵は宗教を弾圧しますから…

自分が神となって何者にも止められない絶対的権力を振るうという欲望に取り付かれると、人間は行くところまで行ってしまうというのは、数々の実例が示しています。

自らを絶対的なものと神格化し、人間を意のままに操るグランドマザーの姿は正にその独裁者です。
しかもコンピューターシステムによる洗脳を用いて、人間たちにその事実さえ気付かせないのは、恐ろしい限りです。

ジョミーはグランドマザーと対峙した時に、「人間はマザーにあやされ育てられた意思のない子供 目も口も耳もふさがれながらそれを知らない不幸な子供だ」とキースに言っています。

「だが反逆児ミュウたちにはそれが見える」とも…

ミュウたちにSD体制の真の姿が見えるのは、自分たちが異端でありシステムから弾き出された存在であるためでもあったでしょうが、「神」という概念を持っていたからでもあるのではないでしょうか。

自分がどう行動すべきか、常に自分の心に問いながら、良心に従って最善を尽くして生きるために、自分の力の及ばない何か絶対的な存在、いわゆる神という存在が重要なのではと思います。

ジョミーは強力な超能力を持ちながら、それをどのように使うべきか、いつも慎重に考えながら生きています。

ナスカに偵察に来たサムの宇宙船を幻覚で攻撃した時に、とっさに力を出し過ぎ、そんな自分に驚き、恐れて涙を流しています。

またキースを殺さなかった理由を、「岩なら裂くこともできる…これは人間だ」と言っています。

強い力を持つ者が、自分の力に対する畏怖を失ってしまうと、他者の存在を軽視して暴走するのだと思います。

その点でジョミーは、強い力を持つ者にふさわしいと言えるでしょう。やはりその心に、自分よりも高い所から物事を見て判断する「神」のような存在を、いつも意識していたからとは言えないでしょうか。

一方マザーコンピューターは、人類やミュウの犠牲を厭わず、地球を再生させることを目的にして作り出されたもので、もちろん自分の絶大な能力や権力が世界にどのような影響を及ぼすかなんて、考えもしません。

自分が神であり、絶対であり、自分より正しい判断を下せるものはないという傲慢に陥った時点で、後は堕落し、腐敗するのが必定なのですよね…

何も独裁国家でなくとも、現代の日本を見てみると、神を気取り、権力を濫用する権力者が山ほどいるではありませんか。

地球へ…を読んでいると、つい現実世界とシンクロさせてしまうのですよね。

この物語が比喩であるということを考えると、未来の管理社会、超能力者という非現実的な設定でありながら、とても身近で現実的なストーリーに感じられるのも当然のことだと思うのです。

ラベル: , ,

人気ブログランキング

 

12/08/2007

地球へ…:初音ミクのネギ踊り動画

あまりにも可笑しかったので…

ラベル: , , , , ,

人気ブログランキング

 

12/03/2007

地球へ…:サイオンはそんなに力を使うの?

地球へ…は30年も前の漫画なので、超能力(あるいは超能力者)のことをESPと表現しています。

これは現代では多少陳腐な表現になってしまったので、TVアニメで「サイオン」と言い換えていたのは、作品に時代を超えた価値を与えたという点で成功だったと思います。

でもね、サイオンって、使う時に「うおおおお!」とか「とああああ!」とかやたらと掛け声をかけるのが、すごく気になりました。

格闘技じゃないんだから、それはちょっと(^_^;)

超能力はあくまで精神的なもので、旧人類より進化したミュウの脳の働きによって発動するもののはずですから、もっと静かなイメージなのですが…

原作では、肉体的に力を使う時のような描写は全くなく、座って静かに精神を集中して使うように表現されていました。

ジョミーがミュウ