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なかのひと

3/14/2008

地球へ…:竹宮恵子さん

地球へ…の原作者、竹宮恵子さんは、ジョミー役の斎賀みつきさんに言わせると、「ソルジャー・ブルーとフィシスを内に秘めている人」だそうです。

どんな物語でも、作った人の内なる人格が登場人物の人格になるのだろうと思うので、ソルジャー・ブルーとフィシスはもちろん、セキ・レイ・シロエもジョミー・マーキス・シンもキース・アニアンも、みんな竹宮恵子さんの中にある別の人格だと言うのは想像に難くないですけど。

地球へ…のマンガ少年別冊版を初めて手にした時に、物語の深さ、面白さにはまったことはもちろん、作者の竹宮恵子さんに対しても、賢くて綺麗な女性なんだなあと、憧れを抱いたものでした。

地球へ…には、竹宮恵子さんの、人間というどうしようもなく愚かな存在を冷静に見つめ、妥協することなくシビアに描く姿勢と共に、そんなどうしようもない人間に対する深い愛情と、人間の進歩と良い変化を信じる姿勢を感じます。

竹宮恵子さんは、本当に素敵な女性なのでしょう。
一度でいいからお会いしてみたいものです。

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3/12/2008

地球へ…:私立シャングリラ学園最終回

私立シャングリラ学園最終回は、やっぱり卒業式でしたね。

リオが煙幕(多分)を使ってジョミーを誘拐し「青の間」に連れて行った入学式から始まって、中間試験、学園祭、林間学校、クリスマス、バレンタインと、毎回季節を反映したネタだったので、そうじゃないかと思っていましたけど。

最終回は何だか今までのような圧倒的なパワーがなく、おとなしい感じで、今ひとつ面白くなかったのが残念でした。

地球へ…の脚本を書いた人たちはきっと、しんみりしたものを書く才能より面白いものを書く才能の方があるのでしょう。

ジョミー、もう一年生徒会長…じゃなかった、ソルジャーやらされるんだ…かわいそうに(^_^;)
そしてブルーとフィシスが進学する大学が、シャングリラ学園の隣にあるなんて、ジョミーの今後が思いやられます。

でもリオは二年生でジョミーより上級生なのに、何でそんなにジョミーのこと尊敬しちゃってるの?

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1/28/2008

地球へ…:ハーレイ

ハーレイという名前、私は長い間ファーストネームと信じて疑いませんでした。

でもテレビアニメでは「ウィリアム・ハーレイ」という名前で航宙日誌書いてましたね。
航宙日誌って言う言葉も初めて聞きましたけど、それよりハーレイという名前がラストネームだったことに驚きました。

そこで調べてみると、ハーレイという名前はファーストネームにも、ラストネームにも使われるようです。

まあ何千年も未来の話なので、言語も今とは相当違っているであろうことを考えると、どちらでも良いような気もしますが。

ブルーはもちろん、ゼル、エラなどの長老たちとフィシス、リオなど、主立ったミュウにはジョミーのようなミドルネームやラストネームが無いようでした。

私はずっと、これはユニヴァーサルに囚われていた(フィシスは特別待遇だったようですが)ことのあるミュウたちは、マザーコンピューターによって育った家庭の記録も、記憶も消されてしまったからなのだろうと思っていました。

どこの誰だか分からないようファーストネームだけにされてしまい、人権を奪われ実験体として扱われたミュウたちは、想像を絶する苦難を味わったことでしょう。

古いミュウたちの人間に対する深い憎しみは、こういう経緯により生じたのではないでしょうか。
ハーレイも古いミュウであり、ラストネームが無いので、同じ扱いを受けたはずと思っていたのですが…

それにしてもウィリアムって(^_^;)英語圏で一番多い名前じゃないですか。もうちょっと何とかならなかったのかな?

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1/03/2008

地球へ…:ミュウの超能力

地球へ…がTVアニメになってから、ミュウが超能力者であることをうらやましいと考える人が多いと知って驚きました。

人より優れた点があるということは、かえって不幸なことなのですよ…

例えば旧人類はミュウを、自分たちより進化した、より優れた存在と判断したため、恐れ弾圧したのであって、旧人類にはないその能力こそがミュウたちの不幸そのものなのですから…

それを単純に超能力があってうらやましいと思うのは、想像力に欠けるのではないでしょうか?人にない能力を持っていると言うことは、それだけで一つ十字架を背負っているようなものなのに…

地球へ…に限らず、人間の作り出す物語の登場人物は、ほとんどの場合作者の分身だと思うのですが、竹宮恵子さんの分身であるソルジャー・ブルー、ジョミー、シロエ、キース、その他の登場人物たちは、みんな他の人の持たない能力を持ち、他の人の気付かないことに気付いてしまい、他の人の思いもよらないような深い苦悩を抱えて生きています。

その姿はそのまま、人より優れているが故にかえって人より生きることが困難だった竹宮恵子さんの姿を反映しているのだと思います。

キース・アニアンはナスカを殲滅する時に「人間には人間以上は要らない」と言っています。キース自身が実は人間以上だったのですが、キースはSD体制を守るためにシステム自身によって作り出された存在だったので特殊な例外として、「世界の秩序」を守るためには、優れたものは往々にして邪魔者になるのですよね。

ジョミーが言ったように「マザーにあやされ育てられた意思のない、目も耳も口もふさがれながらそれを知らない」人間ばかりなら、支配しやすいのですから…

人より優れた能力を持っている存在がうらやましいと思っても、それと表裏一体の苦悩を想像すると、自分はそうでなくて良かったと思えるはずです。

あっという間に2008年となりました。今年もどうぞよろしくお願い致します\(^o^)/
このブログをたくさんの方が読みに来て下さり、嬉しい限りです!
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1/01/2008

地球へ…:竹宮恵子さんの理想

地球へ…のTVアニメを監督したヤマサキオサムさんは、やっぱりソルジャー・ブルーの大ファンだったのですね…

きっとそうに違いないとは思っていましたが、Premium Fan Disc6を聞いて、ソルジャー・ブルーというキャラクターに対するあまりのこだわりに驚きました。

でも、映画のディレクターズカット版が大抵、監督の思い入れだけで、あのシーンもこのシーンもと詰め込みすぎて冗長でつまらないのと同じように、強すぎる個人的思い入れは、物語をつまらなくするだけなのですよね(/_;)

監督がソルジャー・ブルーの熱狂的ファンだったことは、この作品をTVアニメとして現代に蘇えらせたと同時に、単なるキャラクターのための物語にしてしまい、全体を台無しにしてしまったという功罪両方の結果をもたらしましたね…

Premium Fan Disc6の中で、竹宮恵子さんからソルジャー・ブルーへ宛てたメッセージが、杉田智和さんによって読まれました。非常に深遠で感動的なメッセージだったので、つい書きたくなってしまいました。

竹宮恵子さんにとってブルーは憧れの具象化だったのだそうです。

竹宮恵子さんは、実は自分は現実的な人間なので、あまりにも強い憧れは人には見せない、だからブルーは物語からすぐ姿を消してしまったのかもと、書いておられました。

でもその憧れとは、勝手に理想化した男性に憧れる少女のような単純なものではなく、やはり自らがどう生きていくか、その指標となるような存在だったのですね。

非の打ち所なく滅私の心を持ち、ジョミーと言う個性を選び信頼し、全てを託したソルジャー・ブルー。

竹宮恵子さんの「選んだなら信じる、行き着けなくても行く、全てを懸けたら後悔しない、手を尽くしてその身を投じる…そうすればいつか必ず山は崩れ水は流れ出す、それがこの世界の真実」という言葉に、打ちのめされました。

私も幼い頃そのメッセージを受け取り、一度きりの人生、後悔のないように、例え目指す所にたどり着けなくとも、全力で生きるのだと誓ったものでしたよ(T_T)

ソルジャー・ブルーの「地球へ行くのだ…」という言葉が、これからも私に囁きかけるでしょう。

こんな素晴らしい漫画を描いてくれて、竹宮恵子さん本当にありがとう(;O;)

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12/24/2007

地球へ…:ナスカは凶星だった

ジョミーがナスカをひと時の安住の地として選んだのは、「閉じ込められた皆の心を解き放ち」、「人間への憎しみだけで一杯の心にもっと温かい思いをしてほしかった」という理由からでした。

地球とは似ても似つかぬ、二つの太陽と赤い大地の星、ナスカ…

ソルジャー・ブルーの遺志を大切に思いながらも、仲間たちのために最善と考えて、苦悩の末に一旦ナスカに降りることを決意したジョミーに対し、ミュウ達は、それぞれに主張や要望をしてきます。

ジョミーを支えるべき立場であり、何百歳も年長の長老たちまで…

人間への憎しみに囚われている長老たちは、多くのミュウが地球へ向かうことを断念しナスカへの永住を希望するようになったことをジョミーの責任と考え、「みなおまえの独断が…!」と、ジョミーに精神攻撃をかけてしまいます。

小学生の時には、「長老たちひどいなあ…一番悩み苦しんでいるのはジョミーなのに(T_T)ジョミーよりずっと年上なんだから、もうちょっと分別があってもいいんじゃない?」と思っていました。

この場面もそうですが、初めてジョミーがミュウの船に行き、「おまえたちのような化け物といっしょにされるくらいなら…」と発言して若いミュウたちを怒らせた時にも、手ひどい精神攻撃をくらっています。

地球へ…の原作では、ミュウはとても感情的で、キースの言葉どおり「すぐカッとなり、怒ったり泣いたり同情したり、そのくせいざとなると闘争心がない」ように描かれています。

TVアニメでは、ミュウたちはもっと立派で理性的で自制心があり、「危険な力を振り回す化け物ではない」ことになっていました。

この設定により何となく、ミュウ=正義、人間=悪という図式ができてしまって、戦争に良いも悪いも無い、戦争において正義VS悪という単純な図式は成り立たないという、原作のメッセージが希薄になってしまいました。

ミュウと人間双方が多くの欠点を持ち、なおかつ各々の価値観でより良い世界を実現しようと模索する存在であればこそ、両者の戦いに悲壮感が漂うのであり、それを単純化してしまうと、深みがなくなってしまいます。

長老たちがナスカを凶星と考え、ジョミーに責任を押し付け、精神攻撃までしてしまうのは、とても人間くさく、自然な展開だと思うのです。

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12/20/2007

地球へ…:ソルジャー・ブルーは享年何歳?

以前「プロットの穴」で、ソルジャー・ブルーは亡くなった時201歳以上だったはずと書きましたが、最近その間違いに気付きました。

3世紀にわたって生きるには、生まれた年にもよりますが、最も短くて101年生きれば良いのですよね…

地球へ…の原作の序盤で、SD336年にミュウが発見されたとあり、ソルジャー・ブルーはミュウの中でも最も長く生きてきたとのことでしたから、その年が成人検査を受ける14歳だったと考えるのが自然でしょう。

そうするとソルジャー・ブルーはSD322年生まれ、前述したように、途中で時間がワープ(?)しているので、とりあえずジョミー、キース、サムが16歳、シロエが14歳の年の年末が534年とすると、ソルジャー・ブルーが亡くなったのはその2年前ですから、SD532年で、享年210歳ですね…

でも、ジョミーとサムとがナスカで再会したのがSD577年で、その年二人は共に23歳という設定に従うと、ソルジャーブルーはその9年前、SD568年に266歳で亡くなっていることになります。

旧人類の3倍もの寿命があるということでしたから、どっちかと言うと266歳まで生きたというのが正解っぽいですが…

でもジョミーがミュウの船に迎えられた直後、教授が150年の間に集まったミュウの数は1000を超えたと言っていたので、この年は元々SD480年頃という設定だったのか?

考えれば考えるほど謎ですね(^_^;)

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12/17/2007

地球へ…:ミーシャって?

地球へ…のエピローグは、極力説明を省き、読者の自由な解釈に委ねるように描かれています。

最初に読んだ子供の頃は、少年とミーシャのビジュアルと、少年のやんちゃぶり、また二人が手を触れると心が通うということから、ジョミーとフィシスの生まれ変わりでは?と解釈しました。

もちろんこの少年と少女はミュウであり、二人の両親は、わが子が不思議な力を持っていることを知っていながらそれを受け入れ、慈しんで育てているのだと思いました。

ジョミーやシロエやキースの時代から悠久の時が流れて、やっと人間とミュウとが自然に共存できる宇宙になったのだと、感慨深く思ったものでした。

ソルジャー・ブルーやキース・アニアンの記憶の他に、ジョミーとフィシスの知るはずのないセキ・レイ・シロエの記憶をも、少年とミーシャが持っていたのは、宇宙を漂う際限のないエネルギーの一部である少年と少女が、過去に生きた多くの人々の意識や記憶や想いを、生まれながらにして受け継いでいたのだろうと思っていました。

それにしても少女をミーシャと名付けたのに、少年には名前を付けなかったのは、竹宮恵子さんに何か意図があったのか、それとももう名前を考えるのが面倒だったのか(^_^;)

大人になった今考えると、この二人は誰かの生まれ変わりなどではなく、むしろ過去の登場人物の誰とも関係ない、誰でもない子供たちだったのだろうと思っています。

どちらにしても、宇宙に漂う今は亡き人々の残した精神を感じ取ることのできる二人のミュウが、同じ記憶を持ち、別々に生まれ、そして出会い、恐らく二人はアダムとイブのように、また地球上に生命を作り出すのだろうと考え、胸が一杯になりました。

今度こそみんなが人間らしく生きられる社会を作れるといいね…と二人に語りかけた私は、今私たちが生きている社会は、本当に人間らしい生き方のできる社会なのだろうか…と、つい疑問に思ってしまったのでした。

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12/15/2007

地球へ…:異端児が世界を変える

地球へ…の主要な登場人物たちは、みな異端児です。

セキ・レイ・シロエはエリート候補生でありながら、非人間的なSD体制を断固拒否し、自分の人間としての尊厳を保つためには死をも辞さない強い意思を持っています。

ジョミー・マーキス・シンは、成人検査までの14年間を過ごしたアタラクシアで、自分の住む世界や、他の人間に対する違和感や疑問を抱きながら、体制からはみ出した、感情過多な問題児として育ちました。そして、他のミュウとは比較にならない位の強力な超能力を持っています。

ソルジャー・ブルーは、ミュウと言う新人類が人間に認識された最初の存在で、やはり非常に強い能力を持ち、明らかに他者とは異質な存在です。

キース・アニアンは、マザーコンピューターのプログラムの一環としてSD体制護持のために作られた、いわば人造人間で、人間ともミュウとも異質な存在です。なおかつ人類の指導者となる宿命を負いながらも、他の誰もが信じて疑わないSD体制に対する深い疑問を常に持ちつつ生きています。

これほどまでに異端児ぞろいの登場人物…

思うに、作者の竹宮恵子さん自身が異端児だったことが、この物語を作る原動力になったのではないでしょうか。

登場人物の一人一人が、きっと竹宮恵子さんの分身なのでしょう。

高校時代から漫画を描き雑誌に投稿し、大学を中退してまでプロを目指し、20代で地球へ…のような漫画を作ってしまう、行動力と圧倒的な能力を持っていた竹宮恵子さん…

子供の頃からSF漫画が好きだったそうで、女の子としては少し変わった子だったのでしょうし、また何事も鵜呑みにせず流されず、色々なことを批判的に考える大人びた子だったのではとも思います。

必然的に、子供の頃は他の子たちからは多少浮いた存在だったのでは…

でも結局世の中を変えて行くのは、お上から押し付けられることに疑問を持ち、自分の力で考え、行動していく人たち、つまりは異端児たちなのですよね。

シロエはその生命と引き換えに、キースに決定的なSD体制への疑問、また人間とは何かと言う疑問を植えつけました。

ブルーとジョミーはミュウのリーダーとして最終的にはSD体制を打破し、遠い未来には人間もミュウもない世界を実現しました。

そしてキースは、コンピューターの支配から人間を解放しました。

ここまで劇的でなくても、流され何となく生きているだけでは、何も変えることはできません。

地球へ…は、人として生まれたからには意味のある生き方をしたいという、竹宮恵子さんの想いが込められた物語だと思っています。

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12/14/2007

地球は青かった?

地球へ…のTVアニメでがっかりしたことの一つは、ジョミーたちミュウが苦難の末に初めて肉眼で捉えた地球が、荒廃し切った死の惑星だったという設定にされてしまっていたことです。

原作でジョミーが「だれかの意識がぼくの頭の中ではねた"地球か…?"と」「その瞬間にだれより早くぼくの意識はあの青い空をとらえた」「ぼくの運命を変えた星-地球!!」と独白したくだり、初めて読んだ時には涙したものでした。

何度読んでもその度に感動します(T_T)

ジョミーの頭の中ではねた、「だれかの意識」は、もちろんソルジャーブルーの意識ですよね。ジョミーはその強い能力と強い想いとによって、肉体の滅びたソルジャーブルーの意識を、自分の深層心理の奥底に取り込んでしまっていたという設定でしたから。

やっと、やっと地球を肉眼で捉えられる所にまでたどり着いたミュウたち…物語の冒頭で、「地球は遠い…せめて一度この肉眼でとらえたかった」と涙したソルジャーブルーの想いを、ついにジョミーたちが実現でき、ジョミーの潜在意識の中に存在していたブルーもまた、地球を肉眼でとらえるという悲願を果たすことが出来たのですから…

美しい地球、自分の運命を決定付けた憧れの地球…

実の親を持たず、家族の愛を知らず、作り物の世界で育ったアイデンティティの危ういジョミーたちが、唯一確かな存在として全てをかけて目指した地球が、想像よりずっと美しかったからこそ、それまでの苦難と悲しみが報われるのですよ…

それを荒れ果てた星にしてしまっては、それこそミュウも人間もかわいそう過ぎるじゃないですか(/_;)

過去は自分で変えることが出来ませんが、未来は自分で選んで作っていくことが出来るのですから、悲しい過去を持つミュウたちが命を賭けてたどり着いた地球は、せめて美しい星であってほしかった…

そう言えばTVアニメでは、アタラクシアがやたらときれいなのですよね。

原作の、巨大なビルの立ち並ぶメガロポリス、ロードウェイや空中を張り巡らされたチューブを使って移動する人間、その人工的で冷たい感じのするアタラクシアを、あんなに美しく作り変えてしまい、しかも肝心の地球を荒廃させてしまっては、美しい過去と希望のない未来という、原作とは全く相反する救いのない構図になってしまいます。

だいたい、SD体制が始まってから500年以上経っているのですから、そろそろ地球が生き返っている方が自然でしょう。

原爆が落ちた広島や長崎だって、当初は100年は植物も動物も育たないと言われたそうですが、実際には10年も経たない内に植物も動物も育つことのできる土地に戻ったのですから。

地球は、人間というヤドリギが離れてもそう簡単には回復しないという考え方は、人間の存在と影響力とを過大評価し過ぎだと思うのです。

人類なんて地球にとっては取るに足らない存在なのですから…

SD体制は地球を生き返らせるために作られたのですから、SD体制により人間性は破壊されてしまい、人間がコンピューターの部品と化してしまっても、その代償として地球は美しい星に戻っていなければならなかったと思うのです。

そうでなければ本当に、救いがなさ過ぎるではないですか(;O;)

意志の力で全てを成すミュウの存在は、悲しい過去や過酷な宿命があっても、意思さえ強ければ未来は作ることができると言う、竹宮惠子さんのメッセージだと思うのです。

それを大切にしてほしかったなあ…

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12/11/2007

地球へ…の世界に神はいるのか?

地球へ…の世界には、神という概念があったのでしょうか?

少なくともミュウたちは、神という概念を持っているようでした。

ジョミーがブルーの記憶をテレパシーで受け取ることを拒否し暴発した時に、ブルーが「神よ!あれほどのエネルギーとは思わなかった」と言っているので、人類やミュウなど地上に生きる者の力の及ばない存在がどこかにあると、思っていたことは確かでしょう。

では人類には神という概念があったかと言うと、微妙なところです。

キースが教育ステーション時代に書いていたレポートの科目に「宗教学総合理論」があったので、宗教という概念が残っていたことは確かです。

でも総合理論ですからねえ…宗教を過去のものとして、学者達がその教義や歴史を理論的に研究していたのかもしれません。神という存在を、昔人間が原始的だった頃に作り出した架空のものだと教えていたのではないでしょうか。

人類にとってはマザーコンピューターを頂点に頂くSD体制そのものが神であり、絶対的なものでしたから、マザーがいるからには、神は必要なかったと思いますし。

ここでもSD体制が現実の独裁政権と重なります。

独裁者は大抵自分の銅像を立てちゃったり、肖像画を各家庭に飾らせたり、自伝を国民に読ませたりして自分の神格化に励み、大抵は宗教を弾圧しますから…

自分が神となって何者にも止められない絶対的権力を振るうという欲望に取り付かれると、人間は行くところまで行ってしまうというのは、数々の実例が示しています。

自らを絶対的なものと神格化し、人間を意のままに操るグランドマザーの姿は正にその独裁者です。
しかもコンピューターシステムによる洗脳を用いて、人間たちにその事実さえ気付かせないのは、恐ろしい限りです。

ジョミーはグランドマザーと対峙した時に、「人間はマザーにあやされ育てられた意思のない子供 目も口も耳もふさがれながらそれを知らない不幸な子供だ」とキースに言っています。

「だが反逆児ミュウたちにはそれが見える」とも…

ミュウたちにSD体制の真の姿が見えるのは、自分たちが異端でありシステムから弾き出された存在であるためでもあったでしょうが、「神」という概念を持っていたからでもあるのではないでしょうか。

自分がどう行動すべきか、常に自分の心に問いながら、良心に従って最善を尽くして生きるために、自分の力の及ばない何か絶対的な存在、いわゆる神という存在が重要なのではと思います。

ジョミーは強力な超能力を持ちながら、それをどのように使うべきか、いつも慎重に考えながら生きています。

ナスカに偵察に来たサムの宇宙船を幻覚で攻撃した時に、とっさに力を出し過ぎ、そんな自分に驚き、恐れて涙を流しています。

またキースを殺さなかった理由を、「岩なら裂くこともできる…これは人間だ」と言っています。

強い力を持つ者が、自分の力に対する畏怖を失ってしまうと、他者の存在を軽視して暴走するのだと思います。

その点でジョミーは、強い力を持つ者にふさわしいと言えるでしょう。やはりその心に、自分よりも高い所から物事を見て判断する「神」のような存在を、いつも意識していたからとは言えないでしょうか。

一方マザーコンピューターは、人類やミュウの犠牲を厭わず、地球を再生させることを目的にして作り出されたもので、もちろん自分の絶大な能力や権力が世界にどのような影響を及ぼすかなんて、考えもしません。

自分が神であり、絶対であり、自分より正しい判断を下せるものはないという傲慢に陥った時点で、後は堕落し、腐敗するのが必定なのですよね…

何も独裁国家でなくとも、現代の日本を見てみると、神を気取り、権力を濫用する権力者が山ほどいるではありませんか。

地球へ…を読んでいると、つい現実世界とシンクロさせてしまうのですよね。

この物語が比喩であるということを考えると、未来の管理社会、超能力者という非現実的な設定でありながら、とても身近で現実的なストーリーに感じられるのも当然のことだと思うのです。

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12/08/2007

地球へ…:初音ミクのネギ踊り動画

あまりにも可笑しかったので…

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11/28/2007

地球へ…:ソルジャーとしてのジョミー

ジョミー・マーキス・シンは、初代ソルジャーのソルジャー・ブルーが自分の死期を悟り、次代のソルジャーとして選び、ミュウの未来を託した人物でした。

ソルジャー・ブルーは、いわばスターウォーズのオビ・ワン・ケノービに相当する人物で、主人公を否応なしに日常の世界から非日常の物語の世界に招くための存在です。

だから、とても重要で、物語の象徴的人物なのですが、やはり物語が始まり、ジョミーがミュウとして生きていくことを決意した時点で死ぬのが必然だったのです。

ブルーが死の間際に全てのミュウたちに、ジョミーを次代のソルジャーとして自分の心を託すと伝えたからこそ、ミュウとして覚醒したばかりのジョミーが長となったのです。

ジョミーをミュウとして受け入れることにさえ反対したり疑問を持ったりしたミュウ達は、ソルジャー・ブルーの遺志でなければ到底ジョミーをソルジャーとして受け入れることはできなかったと思います。

また、ソルジャー・ブルーが亡くなったからこそ、ジョミーはソルジャーを継がなければならず、ミュウたちにもジョミーをソルジャーとして受け入れる以外に選択肢が残されていなかったのです。

地球へ…のTVアニメを私が初めて見た回は、17回目(ナスカが攻撃される回ですね)だったので、何故かブルーが出ているのを見て、うーん…これはブルーに見えるけど別人?それとも回想?それとも何故かまだ生きてるの?と混乱しまくりでした。

スカパー!の特別番組の中で、TVアニメのスタッフ、出淵裕さんが、ソルジャー・ブルーを原作と違い、ナスカまで生きる設定にしたのは、ジョミーがいきなりソルジャーになれる訳がないからだとおっしゃってましたが、それってブルーが好きだから、活躍させたかっただけでは?

ソルジャー・ブルーが「眠り続けている」という中途半端な存在だったので、ジョミーは長としての自覚がいつまでも足りず成長しないし、他のミュウたちからもいまいち信頼されないし、活躍もしなくて存在意義も薄いし、かわいそうでした。

ソルジャー・ブルーはやはり、スターウォーズのオビ・ワン・ケノービのように、主人公に強烈な印象と影響を与えたら、すぐ退場するべきだったのですよ…

どうしてもブルーが好きで、ブルーというキャラクターを動かしてみたかったのなら、スターウォーズのように、時代を遡ってエピソードを作れば良かったのになあ(T_T)

地球へ…の原作では、否応なくミュウの長、ソルジャー・シンとなってしまったジョミーは、悩み苦しみ試行錯誤しながらも、一生懸命リーダーとしての役割を果たそうとします。

地球へ…の中で心に残る台詞は本当にたくさんあるのですが、地球防衛本部へ向かう時にジョミーが言った「戦いはもう終わりだ これで最後……行かなければまだ続く だからぼくは行く」もそのひとつです。

リーダーたるもの、自分の生命を賭けてでも実現しなければならないことがあるのだと、子供ながらに感銘を受けたものでした。

そんな立派なリーダー、なかなか現実の世界には少ないですよね…
私もいつの間にか人をまとめる立場に立ってしまい、リーダーとしての資質を試されるようなこともままあります。

その度に何故か思い出すのは、若い頃の上司ではなく、ジョミーのことなんですよね(^_^;)
ジョミーのように誰よりも賢く強い一方で、繊細かつ優しく、いつも全体の利益を考える人間になりたいなあと、大人になった今でも思います。

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11/26/2007

地球へ…:ジョミー役の斎賀みつきさん

斎賀みつきさんは、スカパー!の特別番組で小学生の頃からの地球へ…ファンだったと話しておられ、私と同じだ!と、ちょっと嬉しかったりします。

でも斎賀さんは、映画から入ったのですってね。

私も、地球へ…は映画にもなったらしいと知ってはいたのですが、トォニィがジョミーとカリナの子供だったらしいと聞き、「ジョミーは永遠の14歳なんだから、絶対子供作ったりしないの(T_T)」と驚き悲しみ、今まで見ようという気になったことはありませんでした。

おそらく映画化するに当たって、恋愛の要素が少し位ないと一般受けしないだろうという商業的思惑があったのでしょうね。

地球へ…がTVアニメになってから、映画のDVDもレンタルされていたので、まあこの辺で諦めて映画も見ておこうかと思い、最近初めて見ましたけど。

斎賀みつきさんの声は、スカパー!でインタビューに答えていたのを聞くと、低めながらも明らかに女性の声なのに、アニメでは本当に少年のような声で、驚きました。

すらりとした長身に中性的な顔立ち、男性と間違えられたと言う話も、何だか納得してしまいます。

TVアニメのジョミーは、原作に比べると幼くて、斎賀さんくらいの声がちょうど良いように感じました。

最初は、わーわーぎゃーぎゃーと大変そうでしたが、ジョミーの成長と共にだんだんとクールな感じに演じておられましたね。

地球へ…のTVアニメは、私の中では「地球へ…が好きな人たちが作ったパロディー版」のような位置付けなので、本編よりもむしろPremium Fan Discの方が楽しめます。

斎賀さんが「私立シャングリラ学園」の中で演じるちょっとおちゃらけたジョミーが、とてもおかしいです(*^_^*)

それにしても声優さんと言うのは、すごい技とプロ意識を持った人たちだなあと、感心してしまいます。だって俳優さんや女優さんが、自らが出演した映画やドラマのパロディをやったりはしませんよね?

例え何かの間違いでやったとしても、絶対にあんなに面白くはならないと思います。

特にソルジャー・ブルー役の杉田智和さんの芸達者なこと!「私立シャングリラ学園」では壊れっぷりも派手で、抱腹絶倒でした。

「コミックリーディング」では一人何役も一度にやっちゃって、それがちゃんとその役を演じた人の声に聴こえるのは、拍手ものでした!おまけに効果音までちゃんと付けてしまって…

あと低周波治療器、私はかなりの間、本当だと思ってました(^_^;)

斎賀みつきさんについて書こうと思ったのに、何故か杉田智和さんの話になってしまった…

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11/23/2007

地球へ…:セキ・レイ・シロエの孤独

地球へ…の主要登場人物の中で誰が一番好きかと聞かれたら、みんな好きなのでなかなか甲乙付け難いのですが、二人に絞るなら、セキ・レイ・シロエと、ジョミー・マーキス・シンです。

どうしても一人に決めなきゃダメって言われたら(いや、まあ言われないとは思うんですが…)セキ・レイ・シロエでしょうか。

シロエは、コンピューターによる管理体制に徹底的に反抗し、14歳にしてその壮絶な生涯を閉じた少年です。

地球へ…の中で印象的な台詞はたくさんあるのですが、私にとって最も衝撃的だったのは、シロエがキースにぶつけた「僕は生まれて来たからには、自分の意思で自分の運命を選ぶと決めていた…」という台詞です。

あの異常なまでの管理社会で、コンピューターによる洗脳と監視とを受けながらも、自分の存在意義を見失うまいと、たったの14歳で、孤立無援の中必死で闘ったシロエ…

私はそのシロエの姿に、私にはシロエになかった自分の意思で自分の運命を選ぶ権利があるんだ、生まれて来たからには人間として意味のある生き方をしようと、決意したものでした(単純?)。

第二部にしか登場しなかったシロエですが、非常に重要なキャラクターです。

キース・アニアンは、教育ステーションE-1077でエリート街道驀進中の16歳の時に、シロエと出会います。

それ以前から、コンピューターによる管理社会に漠然とした疑問を持っていたキースですが、シロエとの出会いによって、その疑問は消せないものとなり、地球政府のエリートとなってからも、生涯にわたってキースの胸にくすぶり続けることになります。

シロエが何故そんなにもSD体制を憎んだか、その理由は私の解釈では、自分で選ぶと決めていた自分の運命を、コンピューターに強制的に決められてしまったことを大変な屈辱と感じていたからです。

まだ意識さえ芽生えていない人工子宮の中にいる間に、コンピューターに勝手に選別され育英惑星に送られ、さらに成人検査で記憶を取り替えられ、進路を強制的に決められたことを、絶対に許せなかったのです。

シロエは安穏と体制に支配される生き方より、人間らしい生き方を選んだのであり、決して映画のように単なるマザコンだった訳でも、TVアニメのように単に大人になりたくないピーターパン症候群だった訳でもないのです。

でもこのシロエの気持ちを理解できる人は、そう多くはないのかも知れません。なぜなら、現代人の多くは、自分が自由に選択を行って生きていると考えていて、実は所詮は抵抗できない大きな力に操作され、自由を奪われていることに気付いていないと思うからです。

シロエがこれほどまでにSD体制を嫌い、コンピューターによる支配を拒否しながらも、最期に逃亡を図った先が地球だったというのも、とても悲しい展開です。

だって地球を目指すという意識は、SD体制の下、コンピューターの洗脳によって植え付けられたものですから…

「マザーは僕の意思に勝てなかった」と言ったシロエは、実は既にコンピューターに洗脳されてしまっていたのです。

人間らしく生きるという希望を失わないために、死を覚悟で地球へ向かったのは、実はSD体制に対する敗北で、大変絶望的な最期だった訳です。

キースがシロエを撃墜する直前に「彼の心を占めるものは限りない敗北か、それとも限りない希望なのか」と自問するのは、キースにはそのことが分かっていたからに他なりません。

シロエの死の瞬間、シロエの切ない想いが空間を超えてジョミーに届き、見ず知らずの二人の想いが交差する、そしてジョミーは「時がすぎてゆく中で、ぼくはひとり、ただ一度の存在」と独白しています。

たった一度の人生を大切に生きなければならないことを、また人として正しく生きるということは、時に孤独であるということを、シロエは教えてくれました。

地球へ…の中でシロエが一番好きなのは、そういう訳です。

TVアニメが始まってから初めて知ったのですが、登場人物で誰が好きかと言ったら、圧倒的にソルジャー・ブルーなんですね(@_@)

シロエ派やジョミー派はどうも少ないようだと知り、ちょっと孤独を感じた私でした。

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11/22/2007

地球へ…:プロットの穴

地球へ…は素晴らしい素晴らしいと騒いでいますが、実はこの原作、プロットが穴だらけなんですよね(:_;)

地球へ…以外の作品をあまり読んでいないのですが、原作者の竹宮恵子さんはどうも、大まかなプロットと主要な登場人物の設定を決めてしまうと、細かいことは気にせず勢いで一気に描き切ってしまう人のようです。

映画のように公開する時に合わせて作るものではなく、少しずつ発表していく連載もので、しかも当初は第一部のみで終わりの予定だったと言うので、後々若干の設定のほころびが出てくるのは仕方ないとは思うのですが、それにしてもかなり大胆だなあと思うことが多々あります。

一番すごいと思うのは、時間軸がめちゃくちゃなことです(@_@)

例えば教育ステーションE-1077で、新年を祝うパーティーが催されたシーンは、S.D.534年の年末で、この年キース・アニアン、サム・ヒューストン、ジョミー・マーキス・シンは16歳のはずです。

ところが、連載の回数としてはそれ程離れていないと思うのですが、ナスカでジョミーとサムとが再会した年は、S.D.577年で、作中ではジョミーとサムは23歳となっています…

普通に考えて59歳だろ!と思うんですけど(^_^;)

最初に読んだ時にはストーリーを追うのに一生懸命で全く気付きませんでしたが、小学生の私でも二回目に読んだ時におかしいと思いましたよ…

これ、描いてる人達も編集者さんとかも誰も気付かなかったんでしょうか?不思議でたまりません。

それから、ソルジャー・ブルーとフィシスが、いつどこで出会ったかと言うのも、謎すぎ(T_T)

フィシスがユニバーサルの水槽の中でまだ目覚めずにいた頃、ブルーは「恐ろしい囚われの身」(ジョミー談)だったそうですが、ブルーは3世紀に亘って生きたはずで、死んだ時に201歳未満では有り得ません。でも比較的若い頃にユニバーサルの研究所から脱走し、船を奪って地中に潜んだはずですよね…

フィシスがミュウの母船に迎えられたのは、ジョミーが来た50年前ということですから、どう考えてもフィシスが水槽の中にいた頃ブルーは150歳超えてます…

成人検査を受けた14歳からとして、130年以上もユニバーサルの実験体として囚われの身だったの?

しかも、仲間たちとユニバーサルを脱走してすぐ、思いに描く星はと言えば地球ばかりだったはず…

なのに物語も終盤に来て急に、フィシスが水槽の中で見ていた地球の夢に魅せられて、いつしか地球に憧れるようになっていたとブルーが言っているのは、どう考えても納得いかない(ーー;)

まあ30年の間に、出版側の誰かが途中で気付いても、それを訂正するのも恐れ多い程の伝説の名作になってしまったと言うことで(^.^)

何だかんだ言っても、これだけ多くの大胆な設定ミスがありながらなお、何度読んでも新たな感動を覚えるのは、登場人物たちの人物像、人格がしっかりと設定されていてぶれが無く、テーマやメッセージにも一貫性があるからだと思うのでした。

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11/21/2007

地球へ向うのは何故か?

地球へ…では、人間、ミュウ共に一度も行ったことも目にしたことも無い地球を愛し憧れ、ひたすら地球へ向かおうとします。

原作中では(TVアニメでもそうだったかな)、コンピューターによる洗脳で植え付けられた地球への憧憬がそうさせるのだという設定になっています。

何故地球に関する洗脳がそれ程上手くいっちゃうのかということを考えると、SD体制における「家族」というものと切り離せない関係があると思うのです。

SD体制の下では、子供は全てランダムに選ばれた卵子と精子との人工受精により作った受精卵を人工子宮で出生まで育てた試験管ベビーで、両親は血縁関係の無い養父母です。

原作のはじめ辺りでは、養父母は夫婦ではなく、職業的な保父・保母のペアなのだろうと思っていましたが、読み進んでいくと夫婦のようです(途中で設定を変えたのかも知れませんが)。

ここで重要なのは、現代における養父母と子供という関係を当てはめることはできないということです。

夫婦であろうとなかろうと、養父母はコンピューターの命じるままに職業として子供を14歳まで育てているのですから、あくまでも職業の範囲を超えることはないのです。

むしろ、コンピューターの洗脳に従ってやっている分、現代の保父さん、保母さんよりもずっと、子供に対する人間らしい愛情や愛着は無いはずです。

地球へ…のPremium Fan Discの中で、ジョミー役の斎賀みつきさんも、ブルー役の杉田智和さんも、原作の家族関係はおかしかった、アニメの方がずっと自然だと思ったとおっしゃっていましたが、私にはとてもまずいアレンジだったと思えました。

ジョミーの養父母がやたらとジョミーに対する愛情に溢れているのが、むしろ設定上不自然と感じました。

家族という人間の根源的なものさえも作り物の、まやかしの世界が、SD体制の世界なんだと解釈しています。

TVアニメでは家族関係をきちんと成立させてしまったことで、原作にあるSD体制の不気味さ、非人間性を描き切れず、またミュウ達が地球を目指す動機が希薄になったと考えています。

家族を始めとする愛情を傾ける大切な対象を、離別や死別によって失うことはとても辛いことですが、その暖かい思い出は、意識上だけでなく深層心理にも残り、人格形成に影響します。

たとえテラズナンバーの洗脳によって記憶が消されても、性格は変わっていなかったのですから、子供の頃にきちんと愛情を受け形成された人格は、消滅することはないのです。

愛情の対象を途中で失うこと以上に辛いのは、「本当の愛情を知らない」ことです。

地球へ…の原作では、ジョミーは目覚めの日に「なぜ涙が出るのだろう…悲しくて虚しい…」と独白します。また、最後まで自分の両親が本当に自分のことを愛していたかと、ずっと気にしています。

答えは「否」と分かっていながら…

愛情によって満たされたことが無く、愛情に飢えているからこそ、心から愛を捧げるべき母なる地球に憧れ恋焦がれ、命まで懸けるのです。トォニィが原作で、この気持ちを理解できなかったのは、実の親の愛情を知っていたからでしょう。

地球を第一義と考え、全てを地球のために投げ打つというコンピューターによる洗脳は、この背景によって成立しているのだと思います。

地球へ…を初めて読んだ私は小学生ながらに、作中のミュウ達と人間達の、愛に飢えその代償として地球を目指す悲痛な気持ちを思い涙したものでした。

しかもその憧れの気持ちは、コンピューターによる洗脳によって植え付けられたものだなんて、何と悲しいのでしょう。

すごいと思うのは、作者の竹宮恵子さんの、家族のあり方に対する洞察の深さです。

地球へ…のSD体制下での家族関係は、意図的にこのように描写されたものだと思いますが、本当の愛情を知らないことの悲しさを、20代でこんなに上手く描くとは、一体何者?って思ってしまいます。

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