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地球へ…

地球へ…は竹宮恵子さん原作で、アニメ化もされた漫画「地球へ…」を原作寄りの視点で熱く語るブログです

Archive for the 'アタラクシア' Category

12 29th, 2007

地球へ…のマンガ少年別冊版を手に入れてしまいました(*^_^*)
こんな古い本が今頃手に入るとは思っていなかったので、感無量です!

地球へ…を初めて読んだのは、このマンガ少年別冊版だったので、読者からの質問に竹宮惠子さんが答えるコーナーや、SFミニミニ辞典(時代を感じますね…)、ミュウの宇宙船解剖図など、そう言えば読んだなあと、懐かしく読み返しています。

地球へ…Q&Aの中で、アタラクシアは地球から二千光年の距離というが、その距離では銀河系の中にあることになるため、銀河系全体を外から見ることは不可能では?という質問がありました。

竹宮恵子さんはそれに対して「確かにその通りです。二万光年と訂正します」と答えておられ、実際にテラズナンバー5の台詞も「地球からは二万光年離れた星」と訂正されています。

ところが後に、フィシスが持っていた銀河系のイメージは、グランドマザーが創った人造人間の共通の暗号という設定がなされ、「銀河系外に育英都市はひとつもない」とジョミーは言っています。

最初勘違いで設定してしまったことを、ストーリーの一部を作るために使ってしまうなんて、竹宮恵子さんは何と柔軟性のある人なのでしょう!思わず笑ってしまいました。

第二部総集編でSF作家の光瀬龍さんと対談した竹宮恵子さんは、少年を描くのは「変身願望」ではなく「変革願望」、「男の子になりたい」のではなく、「男の子のように私もやりたい」、「竹宮さんって男の子になりたかったのでしょう?私もそうなの、だからあなたの作品が好きと言われると、何だかちがうんだなー」とおっしゃっています。

またQ&Aの中で「今自分達の持っている価値観が単なる妄想に過ぎないことを、一体何人の人が感じているでしょうか」とも語っています。

全ての漢字にふりがなが振ってあるような子供向けの漫画に、竹宮恵子さんは全く手を抜かず深いメッセージを込めたものだと、改めて感動しました。

竹宮恵子さんは、既存のステレオタイプなものの見方や価値観に疑問を持ち、常にいかに生きるべきか模索し、挑戦している人なのでしょう。

光瀬龍さんや、あの映画版を作っちゃった恩地日出夫さんの言葉を読んでみると、あまりにもステレオタイプで単純な価値観しか持っていないなあと思ってしまいます。

年齢が半分くらいの竹宮惠子さんの方がずっと視野が広く、思考が柔軟で(これは若いからこそなのかもしれませんが)、考え方が成熟しています。

既存の価値観に囚われない柔軟な思考回路を持つことが、人間として大切なことだと竹宮恵子さんは考えていたのだと思うのですが、それが伝わらない人がたくさんいるというのは、残念なことですね…



11 25th, 2007

地球へ…の主人公、ジョミー・マーキス・シンは、ごく普通の少年(感情過多でしばしばESPチェックに引っ張り出されている以外は)でした。

でも他の子供より敏感で、何となく自分の生きている世界の不自然さに気付いています。「性格一致、完全温厚」な「エネルギーの抜けた顔」をした他の人間たちに対し、何かがおかしいと、常日頃から思っています。

ジョミーは14歳の誕生日、目覚めの日に、自分の心から湧き起こる悲しみと空しさを抑え切れない理由が、作り物の世界の中で作り物の生活を送っていたせいだと、成人検査で初めて知ることになります。

テラズナンバー5に「ここがテラではないと知っていましたか?」と聞かれ、「いいえ…」と答えたジョミーは、「山を越えた向こう側には大人の世界がある」とも教えられていました。

私は初めてこのくだりを読んだ時、背筋が寒くなりました。自分の住んでいる世界は、地球ではなくどこか遠くの似ても似つかない星で、自分はコンピューター制御により生み出され、出生まで人工羊水の中で育てられ、両親は赤の他人で、職業として自分を育てていた…

そして今、その記憶さえもコンピューターによって奪われ、別の記憶と知識を植え付けられて、検査により選別され、いわば機械の部品のように、これからも生きていく運命…

これを14歳にして一度に知れば、自分の存在自体も危うくなってしまうのは当然だと思いました。こうして信じていたことを根底から覆されることにより、今まで何の疑問もなく漫然と生きてきた子供なら、簡単に洗脳されてしまったでしょう。

でもジョミーは違いました。記憶の取替えが始まる時に、ソルジャー・ブルーが割って入ったことももちろんあるでしょうが、根本的には今までずっと感じていた違和感の原因を知ってしまったために、コンピューターの洗脳を受け入れなかったのでしょう。

体制に疑問を持ち、コンピューターによる支配を拒否したという点で、ジョミーとシロエには共通したところがあります。教育ステーションE-1077に、ジョミーがメッセージを送った時、キースが「なぜこんなことを考えるんだろう…あの一瞬の映像の少年とシロエが似ているだなんて…」と考えるのは、当然とも言えます。

ジョミーにしろシロエにしろ、何となく他の人間に対する違和感を持っていることに、私は惹かれたのかもしれません。私も、周りの友達が少女漫画を読んでいる頃に、地球へ…を何度も読み返すような小学生だった訳ですから(^_^;)

地球へ…の原作の中では、教育制度の違いのせいもあるのでしょうが、14歳のジョミーは(シロエもですが)、現代の14歳よりずっと大人です。

ジョミーは成人検査に失敗し、危険分子として抹殺されるという時、警備隊に包囲され、「なるほどね…脱落者の成り行きはこうか」とつぶやきます。

ジョミーはTVアニメでは、警備隊に「不適格者として処分する」と言われて初めて、「不適格者?処分って何だよ!?」と叫んでいますが、私としてはそれはちょっと違うんじゃ…と思いました。

だって地球のシステムを知り、コンタクトに失敗した時点で、ただでは済まない事を分からない位ジョミーは馬鹿じゃありません。

あまつさえ、ミュウの船に着いてから、「僕をアタラクシアへ…家へ帰せ!」なんて、まるで駄々っ子です。

地球へ…の原作の中では、「落ち着いて考えよう…家へは帰れないのだ」と、ちゃんと状況を理解しています。

それとTVアニメの中で不自然に感じたのは、数機の飛行機に追われ攻撃されながらリオの操縦する飛行機で逃亡している時、追っ手が撃墜されるのを見て「ふう…」と安堵していることでした。

14歳の少年が、いかに自分を追って来る相手とは言え、飛行機が落ちて当然パイロットは助からないであろうことを考えると、単純に安堵したりはしないでしょう。ショックを受け、大変なことになってしまったと、驚き青ざめるのが普通だと思うのですが…

さらに、自由でやんちゃな子供だったというエピソードは、原作ではロードウェイを反対側に横切って帰るというものですが、TVアニメではサッカーをしていて審判ロボの判定に腹を立て、壊してしまうと言うのに変えられていました。

これじゃジョミーは原作の繊細さのかけらも持ち合わせない、粗野で粗暴な子供じゃないですか(T_T)

TVアニメのジョミーは、原作に比べると幼く、賢くなく、鈍感だったと言わざるを得ません。
そんなことでこれからミュウの長になれるの?って、私でも心配になりましたもの。

ソルジャー・ブルーが原作よりずっと長生きしたことで、ジョミーのソルジャーとしての存在意義が失われたと言われているようですが、根本的にジョミーというキャラクターの解釈に失敗しているのが原因では?と思ってしまう私でした。