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地球へ…

地球へ…は竹宮恵子さん原作で、アニメ化もされた漫画「地球へ…」を原作寄りの視点で熱く語るブログです

Archive for the 'グランドマザー' Category

01 24th, 2008

地球へ…では地球政府に軍隊があり、地球を防衛しています。
ミュウと人類との全面戦争が始まる前は、何から地球を防衛していたのでしょうか。

ナスカ攻撃の時には、軍人たちが出撃の準備をしながら、海賊退治と演習しかしたことがないと言っていましたね。

地球以外の星で生まれた知的生命体が攻め込んで来ることに備えていたのかと、初めて読んだ時には思ったものでした。

でもそこは周到なグランドマザー、やはりいずれミュウがシステムを、ひいては自分を破壊しにやって来ると予測し、人間を使って自分自身を守るために、強力な軍隊を編成したのでしょう。

コンピューターが人間を駒にして、ミュウを相手にチェスをしていたようなものですね。
ミュウの圧倒的優勢の前に疲弊しながらも、何の疑問もなく戦いに赴き、花と散った人間たち…

戦争を起こして得をする人たちは安全な所にいて、実際に戦闘を行うのは名もない人たちなのだと言うことを戯画化しているのだと思いました。

それにしても冥王星に地球防衛最終ラインの基地があるという設定も、時代を感じさせます。今では冥王星は惑星とみなされていませんものね…



ミュウ因子(続)

Author: admin

01 11th, 2008

前回ミュウ因子はコモン(一般人)で20人に一人、軍部で10人に一人と書きましたが、その後原作を読み返してみて、誤りに気付きました。

キースはグランドマザーに、一般人よりも軍人の方が高率と報告していますが、具体的にどの位の割合かは口にしていませんでしたね。

20人に一人は、コモンのESP反応陽性率でした。

10人に一人がミュウ因子を持っていて、その内二人に一人はESP反応陽性となると言うことですね…

そう考えると、ミュウ因子は普通の遺伝子じゃないのかも(^_^;)
そういう遺伝形式、どなたか分かる方があれば、ぜひ教えて下さい。



ミュウ因子

Author: admin

01 10th, 2008

ミュウ因子は遺伝子に違いないと、大人になってからは考えていました。

子供の頃はどう考えていたかと言うと…全く思い出せません(^_^;)おそらく理解できない概念は私の脳を素通りして行ったのでしょう。

ミュウが地球へ向かって進攻し、地球側では全人類に対してESPチェックを行うことになりました。

キースがその際グランドマザーに報告した内容によると、コモンは20人に一人、軍部は10人に一人がミュウ因子を持っており、エリートでは更に高頻度と予想されると言うことでした。

これはかなり多いですね(@_@)

ミュウ因子が一つの遺伝子と仮定すると、ミュウの生まれる頻度から考えて劣性遺伝子でしょう。

20人に一人の旧人類がミュウ遺伝子を持っているなら、ランダムに組み合わせれば、メンデルの法則に従うと、ミュウの生まれる確率は1600分の1です!

軍部の人間の配偶子を使うと、これが一気に400分の1に上がってしまいます…

これではあっと言う間に旧人類はいなくなりそうです(^_^;)

多分グランドマザーはミュウ遺伝子を特定し、排除は禁じられているため、配偶子の組み合わせを操作することによってミュウの出現頻度を少なく押さえていたに違いありません。

ミュウのようなマザー以上を求める者が増えてしまうと、自分の危機を招く結果になりますからね…

最終的にはマザー以上を求める者の代表、ジョミーによって破壊されてしまう訳ですが。

グランドマザーはやはり、自分に対抗する者をありとあらゆる手段を尽くして根絶しようとする独裁者の姿そのままです。



01 4th, 2008

地球のコンピューターシステムの中枢、グランドマザーは、本来の意味は「おばあさん」ですが、作中では「大いなる母」、「威厳のある母」、「マザーコンピューターシステムの中心的存在」という意味で名付けられたのでしょう。

ジョミーがトォニィに「グランパ」と呼ばれていたのは、このグランドマザーと対等にわたり合える存在であることを示唆しているのだと思います。

旧人類のシステムの要、グランドマザーと対を成す、ミュウの要、人間らしさの象徴がジョミーであるということですね。

トォニィは子供の頃、自分の両親の生みの親がジョミーだと教えられ、ジョミーを「グランパ」と呼んだ訳ですが、そこには竹宮恵子さんのこのような意図が込められていたのでしょう。

地球へ…の第一部では、テラズナンバー5の作り出す強力なテレパシーに対抗できるほどのエネルギーを持ったテレパシーを送る能力を持つのは、ソルジャー・ブルー以外にないとされていました。

その上位に位置するグランドマザーは、更に強力な力を持っていたに違いありません。ソルジャー・ブルーは、自分にはグランドマザーに匹敵するほどの力はないと判断し、長い長い間、自分を凌ぐ力を持つ後継者を探し続け、待ち続けたのでしょう。

対話するにせよ対決するにせよ、グランドマザーとの力の差が大きすぎると、歯牙にもかけられないでしょうからね。

そして現れたジョミーに、ミュウと人類との未来は託されました。

竹宮恵子さんは、グランドマザーの対極に位置し、人間の尊厳をかけてグランドマザーと対決するジョミーに「グランパ」という呼び名を与えたのだと考えています。

それにしても私立シャングリラ学園のトォニィは可笑しかった(^_^)

グランパは英語で「偉い人」っていう意味だと勘違いしていてキースに指摘され逆切れ(^_^;)
本編同様の圧倒的破壊力で暴走しまくっていました。

TVアニメの地球へ…は、どうしてこんなにもパロディの方が面白いのでしょうか…



ミュウの超能力

Author: admin

01 3rd, 2008

地球へ…がTVアニメになってから、ミュウが超能力者であることをうらやましいと考える人が多いと知って驚きました。

人より優れた点があるということは、かえって不幸なことなのですよ…

例えば旧人類はミュウを、自分たちより進化した、より優れた存在と判断したため、恐れ弾圧したのであって、旧人類にはないその能力こそがミュウたちの不幸そのものなのですから…

それを単純に超能力があってうらやましいと思うのは、想像力に欠けるのではないでしょうか?人にない能力を持っていると言うことは、それだけで一つ十字架を背負っているようなものなのに…

地球へ…に限らず、人間の作り出す物語の登場人物は、ほとんどの場合作者の分身だと思うのですが、竹宮恵子さんの分身であるソルジャー・ブルー、ジョミー、シロエ、キース、その他の登場人物たちは、みんな他の人の持たない能力を持ち、他の人の気付かないことに気付いてしまい、他の人の思いもよらないような深い苦悩を抱えて生きています。

その姿はそのまま、人より優れているが故にかえって人より生きることが困難だった竹宮恵子さんの姿を反映しているのだと思います。

キース・アニアンはナスカを殲滅する時に「人間には人間以上は要らない」と言っています。キース自身が実は人間以上だったのですが、キースはSD体制を守るためにシステム自身によって作り出された存在だったので特殊な例外として、「世界の秩序」を守るためには、優れたものは往々にして邪魔者になるのですよね。

ジョミーが言ったように「マザーにあやされ育てられた意思のない、目も耳も口もふさがれながらそれを知らない」人間ばかりなら、支配しやすいのですから…

人より優れた能力を持っている存在がうらやましいと思っても、それと表裏一体の苦悩を想像すると、自分はそうでなくて良かったと思えるはずです。

あっという間に2008年となりました。今年もどうぞよろしくお願い致します\(^o^)/
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12 31st, 2007

スターウォーズの話題を出したので、ついでにもう一つ…
地球へ…とスターウォーズとは、どこかしら似ているのですよね。

ごく普通の少年が、超人的な英雄に導かれ、波乱万丈の冒険に旅立ち、苦難の末に大きな成長を遂げること、主人公が超能力を持つこと、また主人公が「本当の家族」を知らず、そしてそれを無意識の内に追い求めることなど…

ただ両者の決定的な違いは、登場人物たちが求めて止まないのは同じ家族でありつつも、地球へ…では「母なるもの」であり、スターウォーズでは「父なるもの」であることです。

これは、物語を作ったのが女性であるか男性であるかに負う所が大きいのではと思います。

竹宮恵子さんは「男の子ならしても良いことが、自分には許されなかった。例えそれが素敵なことではないにしても、自分も男の子と同じようにやってみたかった」と書いておられます。

恐らく当時の田舎のちゃんとしたお家の女の子として、女の子らしく、決まった道を進むようにと、きっと色々な制限や束縛があったことでしょう。

そしてそれを娘のために良かれと思って強いるのは、主に母親だと思います。
父親というのは娘に甘く、衝突しても結局は折れてしまう存在ですが、女の子にとって最も手強く、最も説得が困難な同性は、母親でしょうから。

ジョージ・ルーカス監督も「父は田舎町で小さな商店を営んでおり、厳格で怖く、自分にその商店を継ぐことを期待した」と語っていました。

同じように、息子のために良かれと思って、田舎町の商店を経営する人生を強いる父親は、男の子にとって最も手強く恐ろしく、高圧的な存在だったのではないでしょうか。

男の子の場合には、母親が父親の厳しさから息子をかばい、父親の行き過ぎを止めてくれる存在ですから、父親との関係の方がより困難なものだと推測します。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、特別な才能を持っていたが故に、子供の平凡な幸せを願うあまりに冒険を絶対に許さない同性の親と、うまく関係を作れなかったのではないかという気がします。

地球へ…では、「父親」の存在が見事なまでに無視されています。

ジョミーが想うのはマムのことばかりですし、カリナの夫なんて一度病院の場面に登場しただけで名前もないような存在、コンピューターシステムの名前はマザーシステム…

スターウォーズではこれが正反対で、ルークとレイアの父がダースベイダーであったこと、ダークサイドに堕ちる以前はジェダイの騎士だったことなどが設定されているのに対し、二人の母は設定どころか名前さえ無く、ほとんど存在を無視されています。

旧三部作であまりにもルークとレイアの母の存在感がなかったため、エピソード1を見た時に、パドメが将来アナキンと恋に落ちて二人の母になるのだと、気付かなかった位でした。

この好対照、とても面白いと思います。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、恐らく異性の親とはそれ程問題なく良好な関係を保っていたので、特に物語にしたいという強い欲求がなかったのでしょう。

それに対して、二人とも若い頃に同性の親と衝突し、家を出てまで自分の力を試し、夢を実現するために努力し、でもいつかは母に、あるいは父に、理解してもらい受け入れてもらいたいと願っていたのではないでしょうか。

その衝動が、各々母なるもの、父なるものを求める物語を作らせ、多くの人の共感と感動を得たのではと考えています。 

このブログを始めて1か月と少し、本当にたくさんの方が私の拙い文章を読みに来て下さいました。
頻繁に来て下さる方も多いようで、本当に感謝です。ありがとうございます(*^_^*)

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それでは皆さま良いお年を(^_^)/
来年もどうぞよろしくお願い致します。



12 29th, 2007

地球へ…のマンガ少年別冊版を手に入れてしまいました(*^_^*)
こんな古い本が今頃手に入るとは思っていなかったので、感無量です!

地球へ…を初めて読んだのは、このマンガ少年別冊版だったので、読者からの質問に竹宮惠子さんが答えるコーナーや、SFミニミニ辞典(時代を感じますね…)、ミュウの宇宙船解剖図など、そう言えば読んだなあと、懐かしく読み返しています。

地球へ…Q&Aの中で、アタラクシアは地球から二千光年の距離というが、その距離では銀河系の中にあることになるため、銀河系全体を外から見ることは不可能では?という質問がありました。

竹宮恵子さんはそれに対して「確かにその通りです。二万光年と訂正します」と答えておられ、実際にテラズナンバー5の台詞も「地球からは二万光年離れた星」と訂正されています。

ところが後に、フィシスが持っていた銀河系のイメージは、グランドマザーが創った人造人間の共通の暗号という設定がなされ、「銀河系外に育英都市はひとつもない」とジョミーは言っています。

最初勘違いで設定してしまったことを、ストーリーの一部を作るために使ってしまうなんて、竹宮恵子さんは何と柔軟性のある人なのでしょう!思わず笑ってしまいました。

第二部総集編でSF作家の光瀬龍さんと対談した竹宮恵子さんは、少年を描くのは「変身願望」ではなく「変革願望」、「男の子になりたい」のではなく、「男の子のように私もやりたい」、「竹宮さんって男の子になりたかったのでしょう?私もそうなの、だからあなたの作品が好きと言われると、何だかちがうんだなー」とおっしゃっています。

またQ&Aの中で「今自分達の持っている価値観が単なる妄想に過ぎないことを、一体何人の人が感じているでしょうか」とも語っています。

全ての漢字にふりがなが振ってあるような子供向けの漫画に、竹宮恵子さんは全く手を抜かず深いメッセージを込めたものだと、改めて感動しました。

竹宮恵子さんは、既存のステレオタイプなものの見方や価値観に疑問を持ち、常にいかに生きるべきか模索し、挑戦している人なのでしょう。

光瀬龍さんや、あの映画版を作っちゃった恩地日出夫さんの言葉を読んでみると、あまりにもステレオタイプで単純な価値観しか持っていないなあと思ってしまいます。

年齢が半分くらいの竹宮惠子さんの方がずっと視野が広く、思考が柔軟で(これは若いからこそなのかもしれませんが)、考え方が成熟しています。

既存の価値観に囚われない柔軟な思考回路を持つことが、人間として大切なことだと竹宮恵子さんは考えていたのだと思うのですが、それが伝わらない人がたくさんいるというのは、残念なことですね…



りこうなヤドリギ

Author: admin

12 23rd, 2007

地球へ…のテーマの一つに環境破壊があると解釈する人もいるようですが、それは間違いです。

竹宮恵子さんもスカパー!のインタビューに答えて「環境破壊をテーマにすえたつもりはなかったが、何故かそこがクローズアップされてしまって…」とおっしゃってました。

地球へ…の中での環境汚染は、ミュウの存在と同じように、設定の一つであり、舞台装置に過ぎません。

地球へ…を超能力がテーマの物語だと考える人はいないでしょう。なのになぜ、やはり設定の一つに過ぎない環境破壊をテーマだと解釈してしまうのか?

それは現代の人々が、そのように思考をコントロールされているからだと思います。

地球へ…の中の人類が、コンピューターの意のままに操られ、洗脳され、思考力を奪われていたことと、現代人が知らず知らずの内に思考をコントロールされていることとは、とても似ていると思うのです。

地球へ…を読む前から私は、「環境保護」と言う言葉が気にかかって仕方がありませんでした。

人間って地球を保護できる程の力があるの?自分たちを保護してくれている地球を破壊しておいて環境保護だなんて、不遜ではないの?大体、もっと大切な、解決しなければならない問題が世の中にはたくさんあるのでは?といつも思っていました。

セキ・レイ・シロエの「地球と人間との関係はいうなれば、りこうなヤドリギが寄生主を守るなどという大義名分を考えついた ちがいますか」と言う台詞を読んで我が意を得たりと思い、おそらく竹宮恵子さんも、環境保護などと騒ぐ人々を、一歩引いて冷静に見つめているのだと考えました。

グランドマザーは、地球における自分の支配を絶対的なものにするため、人間を洗脳し思考力を奪い、人間としていかに生きるかということよりも、地球を守ること、ひいてはグランドマザーを頂点とするSD体制を死守することを最優先事項と人間に認識させていました。

現代人が置かれている状況と、良く似ています。

地球上では今この時も、思想や宗教の違いなどから理解し合えない人々の間に争いが絶えず、人々は扇動され操作されていることにも、本当の問題はどこにあり、何が大切なのかにも気付かず、疑問を持たずに生きている…

私たち一般人の思考をコントロールしようとする者は、本当の問題が何であるか、気付かれては困るのですよ。

だから、目の前に分かりやすくとっつきやすい問題を提示して見せ、それを重要なことだと認識させることで、本当に重要な問題に目を向けさせないようにするのです。

地球へ…を読んで環境破壊がテーマの一つだと思っている方、危ないですよ…



12 15th, 2007

地球へ…の主要な登場人物たちは、みな異端児です。

セキ・レイ・シロエはエリート候補生でありながら、非人間的なSD体制を断固拒否し、自分の人間としての尊厳を保つためには死をも辞さない強い意思を持っています。

ジョミー・マーキス・シンは、成人検査までの14年間を過ごしたアタラクシアで、自分の住む世界や、他の人間に対する違和感や疑問を抱きながら、体制からはみ出した、感情過多な問題児として育ちました。そして、他のミュウとは比較にならない位の強力な超能力を持っています。

ソルジャー・ブルーは、ミュウと言う新人類が人間に認識された最初の存在で、やはり非常に強い能力を持ち、明らかに他者とは異質な存在です。

キース・アニアンは、マザーコンピューターのプログラムの一環としてSD体制護持のために作られた、いわば人造人間で、人間ともミュウとも異質な存在です。なおかつ人類の指導者となる宿命を負いながらも、他の誰もが信じて疑わないSD体制に対する深い疑問を常に持ちつつ生きています。

これほどまでに異端児ぞろいの登場人物…

思うに、作者の竹宮恵子さん自身が異端児だったことが、この物語を作る原動力になったのではないでしょうか。

登場人物の一人一人が、きっと竹宮恵子さんの分身なのでしょう。

高校時代から漫画を描き雑誌に投稿し、大学を中退してまでプロを目指し、20代で地球へ…のような漫画を作ってしまう、行動力と圧倒的な能力を持っていた竹宮恵子さん…

子供の頃からSF漫画が好きだったそうで、女の子としては少し変わった子だったのでしょうし、また何事も鵜呑みにせず流されず、色々なことを批判的に考える大人びた子だったのではとも思います。

必然的に、子供の頃は他の子たちからは多少浮いた存在だったのでは…

でも結局世の中を変えて行くのは、お上から押し付けられることに疑問を持ち、自分の力で考え、行動していく人たち、つまりは異端児たちなのですよね。

シロエはその生命と引き換えに、キースに決定的なSD体制への疑問、また人間とは何かと言う疑問を植えつけました。

ブルーとジョミーはミュウのリーダーとして最終的にはSD体制を打破し、遠い未来には人間もミュウもない世界を実現しました。

そしてキースは、コンピューターの支配から人間を解放しました。

ここまで劇的でなくても、流され何となく生きているだけでは、何も変えることはできません。

地球へ…は、人として生まれたからには意味のある生き方をしたいという、竹宮恵子さんの想いが込められた物語だと思っています。



12 12th, 2007

地球へ…の世界は完全な管理社会であると同時に、階級社会でもあるようです。

セキ・レイ・シロエは技術者階級の第3階級出身だったので、機械やコンピューターに強かったという設定でした。

成人検査の成績が良かったので、エリートコースに入ったのだと言っていました(それもあるでしょうが、前述したようにマザーコンピューターの計画の一端でもあったのでしょう)。

では第1階級は?
恐らく司法や行政などに携わり、マザーコンピューターの勅命に従って世の中の仕組みを実際に動かす人たちを言うのではと思います。

では現代の感覚で考えると、第2階級は軍人でしょうか?

キース・アニアンはエリート育成機関の教育ステーションE-1077で作られ、エリート候補生として教育され、卒業前にメンバーズエリートに選ばれたにもかかわらず、軍人になっていますね。

エリートはマザーコンピューターの判断により、適性に従い第1階級と第2階級とに分けられているのでしょうか。

キースは後に政治家となり、最終的には国家元首にまでなっていますが、確かにキースには政治家などより軍人の方が似合います。冷静沈着にして勇猛果敢、そして冷徹無比な破壊兵器ですからね。

その辺りをTVアニメではうまく描写できず、単なる野蛮で残忍な人物になってしまっていたのが残念でしたが(T_T)

それにしても出生前から大体の能力が分かってしまうとは、究極の出生前診断ですね。
生まれる前に、既に適正や職業をコンピューターによって判断され、振り分けられるなんて、何と希望のない社会なのでしょうか…

この辺りも、与えられ決められた自分の運命に疑問も持たず、敷かれたレールの上を漫然と走る、無気力な人間ばかりとなってしまった現代社会を風刺しているように思えます。