


地球へ…


Archive for the 'サム・ヒューストン' Category
ジョミーとサム
Author: admin02 4th, 2008

サム・ヒューストンは教育ステーションE-1077時代にはキース・アニアンの親友で、アタラクシアではジョミー・マーキス・シンと友達(喧嘩相手?)だったと言う設定でした。
サムは大変人の良い、優しい人でしたが、それだけに完璧にコンピューターに洗脳されていました。システムの正当性を信じて疑わず、キースがシステムに批判的な言動を取ることを、いつも気にかけている人でした。
良い人と言うのは往々にしてサムのように操作しやすい人たちであり、客観的、批判的な判断が苦手で、一般的に流布していることを正しいと信じて疑わない人たちだと、私は思っています。
サムのような悪意のない人たちが、実は世の中を操作しようとする悪意ある人たちにとっては都合が良いのですよね。
ジョミーとサムとがナスカで再会した時に、ジョミーは昔のように友達同士として接することができると考えていたのに、サムはジョミーのことを「成長しない化け物」と呼び、恐れ、ナイフで刺そうとします。あるいは本気でジョミーを殺そうとしていたかもしれません。
ミュウは危険で現人類の存在を脅かす人種で、存在自体認められないと教育され洗脳されたサムは、例えジョミーが懐かしい昔の友人であっても、ミュウと言うだけで受け入れられなかったのでしょう。
ジョミーにとっては自分がミュウであると知ってから初めて接した、まだ普通の人間であった頃の友人が、自分を拒絶した事実は、相当衝撃的なものだったに違いありません。
竹宮恵子さんはサムを通して、善良な人たちの無知蒙昧が、実はいかに恐ろしいかを訴えたかったのだと思います。
テレビアニメでは、サムがジョミーと再会する直前にマザーコンピューターに催眠をかけられたと言う設定でしたが、そんな込み入ったことをしなくとも、SD体制下で善良な市民として生きること自体が、洗脳され、操作されることなのですから…
サムは善良な人だからジョミーとの再会を喜ぶはずと言う発想に基づいたテレビアニメの安易な展開は、私にとってはちょっと受け入れがたいものでしたね(T_T)


E-1077
Author: admin01 25th, 2008

E-1077では成人検査を優秀な成績で通過した少年少女1000名を教育していました。
14歳の誕生日が成人の日なので、恐らくそれまでに今の高校卒業程度の教育が終わって、E-1077は大学教育に相当するのだと思います。
エリート1000名しかいないので、選りすぐりの学生ばかりなのでしょう。現代の日本では超一流大学と言えども、毎年1万人以上の新入生が入学するのですから…
そう考えるとたったの2年間で教育が終わってしまうのも不思議ではありません。
宇宙きっての超エリートばかりなら、2年で相当な量と質の勉強ができちゃうことでしょう。
でもその超エリートの中でもやはり優劣がついてしまう残酷さ…キースとサムとは、同じ教育を受けながらも、一方は16歳にして地球政府の中枢の一端に付き、他方はパイロットか通信士が関の山と言っていました。
ところでE-1077の教育課程は、恐らく2年間が1クールになっているのだと思います。
そうでなければ、シロエとキースが「抜きつ抜かれつトップ争い」することは出来ませんからね…
テレビアニメでは映画の影響を受けたものか、教育ステーションでの教育は4年間になっていたのですが、地球の役に立つ人間を育成することに特化した教育課程ですから、そんなに長時間必要ないでしょう…
その設定により、シロエとキースとは4歳違いということになってしまい、シロエがキースに匹敵する頭脳の持ち主だったということが良く分からなくなってしまっているのは残念です。
私立シャングリラ学園では、現代日本の教育課程の概念を持ち込んでしまったことで、かえって面白くなっていましたけど。
シロエが高らかに「僕は機械の申し子に勝ったんだ!」と叫ぶのに対し、「君、キースと学年違うじゃん…ってか君、中等部だし…」と冷静に突っ込むジョミー…
もう笑い過ぎて、死ぬかと思いましたよ(^_^;)
井上麻里奈さんの声の可愛らしさと弾けっぷり、やっぱり良いなあ…

キースの心の穴
Author: admin01 16th, 2008

ナスカに囚われの身となったキース・アニアンは、コンピューター制御による意識のプロテクトにより、眠っている間にも、地球の本当の情報を決してミュウに与えませんでした。
その鉄壁の心に穴を開けたのが、トォニィです。
キースがSD体制始まって以来の本当の人類、トォニィの存在に衝撃を受けたのは、人間をコンピューターの部品のように扱い、不自然な方法で繁殖し、異質なものを排除して種の存続を図るSD体制に、心の奥で疑問を持ちながらも、そのSD体制の申し子としてこの世に生を受けた以上、その運命には逆らえないという、深い矛盾を抱えていたからでしょう。
トォニィの存在によって自分の中の矛盾を意識し、ついジョミーに自分の心への侵入を許してしまったキースは、ジョミーに「心の半分はシステムに反対している」ことを知られ、動揺します。
「不純物は出るさ…良質なものを作ろうとすれば当然だろう…危険な不純物は処分するのが適切だ!」とメンバーズ・エリートとしての建前を口にしながらも、サムやシロエの面影が脳裏を過ぎり、戸惑うキース…
自分のピアスがサムの血で出来ていることをもジョミーに知られ、「ロマンチストだな」と言われてしまい、キースは逆上します。
ジョミーとキースとが結局ここで理解し合えないことが、子供の私には今ひとつ理解できず、残念でなりませんでした。
ジョミーもキースも、常にいかに生きるべきかを自問しながら自分の属する世界に身を捧げる立派なリーダーであり、お互いが少し譲歩し合えば良い理解者になれるのにと思ったのです。
でも大人になってから、ジョミーとキースとが何故理解し合えなかったのかが、分かるようになりました。
個人としての正義と、集団としての正義とが合致しないことが往々にしてあり、そういう時には集団の正義を行動の規範にしてしまうのが人間なのですよね…
そこに生まれるのが対立であり、誤解であり、憎悪であり…
同じようにシステムに疑問を持ちつつも、ジョミーとキースとが互いの死の直前まで分かり合えなかったことは、本当に悲しいことですが、これが私たちの住む世界の現実なのだと、今では思います。

キースとサム
Author: admin12 25th, 2007

キース・アニアンとサム・ヒューストンは、なぜあんなにも気が合ったのでしょうか?
二人はかなり対照的に描かれています。
サムは素直ですぐ感情を表に出してしまう気の良い人で、システムに対する疑問を持たず、うまく洗脳されてしまっています。また、曲がりなりにもエリートコースには来たけれど、どうもエリートの中では落ちこぼれのようです。
キースは内面的には非常に感情的で、システムに対する疑問も持っているのですが、それを表に出すことの無い、抑制の効いた性格です。また、エリートコースの学生の中でも特に優秀で、教授たちにも「彼はあまりにも完璧だ。まるでマザーイライザの申し子のように」と評されています。
今TVアニメを再放送しているので、ついついそれを見てしまうのですが、キースが宇宙の藻屑になりそうな所をサムが助けたとか、何かドラマチックなことがあって一気に友情が芽生えたと言う設定は、あまりにもお手軽すぎですね。
お互いを受け入れられるかどうかが、友人関係においては重要なのではないでしょうか。
TVアニメのサムは、あんなドラマティックな友情の始まりを経験していながら、キースに「お前は俺たちとは違うんだよ」などと、随分ひどいことを言い放っています。
何となく自分は他の人とは違うような気がしているところへ、一番の親友だと思っていた相手からそんな言葉を投げつけられたら、私なら百年の恋(あっ友情か…)も一気に醒めますね…
キースとサムとの友情は、サムがキースを特別視しなかったから成り立ったし、その後も続いたのだと思っています。
人間は、異質なものを恐れ、排除しようとする…
キースはその完璧さから、人から羨まれ、時には妬まれたり恐れられたりしたに違いありません。
サムは、キースの感情的なところ、人間的なところも知っていて、特別視したり妬んだり恐れたりはしなかったので、キースはサムに心を許していたのでしょう。
TVアニメを作った人たちには、キースの孤高の魂が理解できなかったのでしょうね…人より優れているということが、時には辛いことであると言うことも、分からないのかも…
そう言えば、再放送を見ていて初めて気付いたのですが、毎回脚本を書いている人が違うなんてびっくりしました(@_@)
Wikipediaで調べてみると、アニメではそれ程珍しいことではないようですね。人間の俳優さんが演じるドラマだったら、普通はありえないと思うのですが…
TVアニメでの登場人物像のあいまいさも、ストーリーのちぐはぐさも、脚本を書く人が毎回変わることと少なからず関係するのでは?
世界に冠たるアニメ文化を誇る日本なのに、こんな粗製濫造をしていないで、きちんとした作品を少し作るのでは商業ベースに乗らないのでしょうか?

ソルジャー・ブルーは享年何歳?
Author: admin12 20th, 2007

以前「プロットの穴」で、ソルジャー・ブルーは亡くなった時201歳以上だったはずと書きましたが、最近その間違いに気付きました。
3世紀にわたって生きるには、生まれた年にもよりますが、最も短くて101年生きれば良いのですよね…
地球へ…の原作の序盤で、SD336年にミュウが発見されたとあり、ソルジャー・ブルーはミュウの中でも最も長く生きてきたとのことでしたから、その年が成人検査を受ける14歳だったと考えるのが自然でしょう。
そうするとソルジャー・ブルーはSD322年生まれ、前述したように、途中で時間がワープ(?)しているので、とりあえずジョミー、キース、サムが16歳、シロエが14歳の年の年末が534年とすると、ソルジャー・ブルーが亡くなったのはその2年前ですから、SD532年で、享年210歳ですね…
でも、ジョミーとサムとがナスカで再会したのがSD577年で、その年二人は共に23歳という設定に従うと、ソルジャーブルーはその9年前、SD568年に266歳で亡くなっていることになります。
旧人類の3倍もの寿命があるということでしたから、どっちかと言うと266歳まで生きたというのが正解っぽいですが…
でもジョミーがミュウの船に迎えられた直後、教授が150年の間に集まったミュウの数は1000を超えたと言っていたので、この年は元々SD480年頃という設定だったのか?
考えれば考えるほど謎ですね(^_^;)

地球へ…に見る一般人の鈍感さ
Author: admin11 30th, 2007

地球へ…の教育ステーションE-1077編では、地球に住めるのは一握りのエリートだけで、一般人は地球に憧れながらも、一生地球の土を踏むことなく死ぬ人も多いと設定されていました。
16歳にしてメンバーズエリートとなったキースに対し、サムは「たまには地球へ降りられるだろうからその時は宿をたのむよ」と言っています。
でも物語が後半に入ってくると、何故かかなりの数の一般人が地球で暮らしているのですよね…竹宮恵子さんの心境の変化なのか、忙しさの中で最初の設定を失念してしまったのかは定かではありませんが(^_^;)
地球で暮らしている一般人の大半は、地球政府に対し一定の貢献をした、定年退職者なのではと思いました。高齢化が進んでいるようでしたし、毎日何をするでもなく図書館へ行ったり、ゴルフをしたり、旅行したりと、ずいぶんと優雅な生活を楽しんでいるようでした。
情報は政府広報以外になく、人々はそこで発表されることが事実であると信じて疑わず、政治や軍事のことにはほとんど無関心なようでした。
またSD体制を素晴らしいものと考えており、自分の意思で自分の生き方を選ぶことは不合理だと考えていました。
洗脳され、統制された世の中であることが分かります。
またミュウに対する無知と、偏った情報から、論理的な根拠もなく恐れ忌み嫌っている様は、現代の国家や人種、文化などの違いによる無理解や対立を想起させます。
本当は複雑な世の中を、プロパガンダによって単純明快であるかのように錯覚させ、都合の悪いことは誰かを悪者に仕立て上げ、攻撃の矛先を向けさせるという支配の仕方には、例の鉤十字を旗印にした悪名高き政権が行った民族大虐殺に、「ごく普通の善良な一般人」の多くが加担したという歴史を思い出します。
善良なる一般市民の無知蒙昧と言うのは、実は最も罪深いことなのだと思います。
TVアニメ化に当たって、竹宮恵子さんが製作スタッフに対してたった一つだけ要求したのが「一般人の感覚の鈍さ」をきちんと描写してほしいということだったそうです。
地球へ…の中でもこれは重要な要素であり、事実を正しく認識し、正しく行動するということは難しいということを多くの人が知らないことで、様々な不幸が起こるのだと訴えたかったのだろうなあと思っています。
現代の日本人を省みて、地球へ…の一般人たちと重ねてしまうのは、私だけではないと思うのですが…

キース・アニアンの悲哀
Author: admin11 29th, 2007

キース・アニアンとジョミー・マーキス・シンは、表裏一体の関係です。
一方は人間の、他方はミュウの指導者として、高い能力と統率力を持ち、人間あるいはミュウの未来の鍵を握る存在で、状況によってはキースとジョミーが入れ替わっていてもおかしくはなかったと思います。
ジョミーの市民番号はAD06223でしたが、キースの認識番号はME076223で下4桁が同じなのは、それを意識しての設定でしょう。
キース・アニアンは、実はミュウだったと私は解釈しています。
SD体制の下、ミュウは次々と生まれ続け、その数を増していました。
グランドマザーは、ミュウを排除し弾圧する権利を与えられながらも、ミュウ遺伝子(原作中では素因子と表現されていますが)を抹消してはならないという、矛盾するプログラムに従っていました。
SD体制開始以降の全ての配偶子の組み合わせと、ミュウの発生とを合わせて解析すれば、グランドマザーにはその原因遺伝子を特定することは容易だったでしょうし、作中でもそういう設定になっています。
人間を凌ぐ特殊能力を持つ新人種を、旧人類という種を保存するために排除していくには、同等以上の能力を持った存在を、人間側の指導者として据える必要があったのではないでしょうか。
だからグランドマザーは、人間の指導者として、敢えてミュウ因子を持つキース・アニアンを作ったのだと考えています。
地球へ…の作者の竹宮恵子さんが、どの時点でそう設定したのかは分かりませんが、キースがミュウだということを示唆する事実はたくさんあります。
まず、キースは他の人間のようにはミュウの精神攻撃を受け難かったこと。マツカもミュウだったので、やはり精神攻撃の影響を受けませんでした。
キースに14歳以前の記憶がないことだけでは、E-1077でたった一人だけジョミーのメッセージに影響を受けなかったことは説明できません。
やはり純粋な旧人類ではなかったからだろうと思います。
成人後の全人類にESPチェックを施行することになった時、グランドマザーに「私は陰性です」と報告したキースは、「もちろん陽性のはずはありません。あなたは特別だから」と言われています。
ジョミーが覚醒前に、度重なるESPチェックをかいくぐってきたことを考えると、キースはミュウの遺伝子を持ち、なおかつ非常に強い能力を持っていたのではと推測されます。
また終盤に来ると、マツカと長い間行動を共にしていたため覚醒したものか、ますます特殊な能力を発揮するようになり、他人の心の中が分かってしまうようになっています。
会議で地球代表の弱気を察知してしまうという描写も、無意識の内に他人の意識を読んでいることを伺わせます。
ジョミーを連れてグランドマザーの元を訪れる場面でのキースの独白で、「包みこむような優しさ まだ幼い少年のしなやかな感情-思慕のような…」とあるのは、ジョミーの意識を読んでいる描写としか思えません。
ジョミーの希望、哀しみ、涙をキースが感じ取ることができたのは、やはりジョミーの心をテレパシーで感じたからでしょう。
キースもまた自分の置かれた立場で、人類のより良い未来のため、必死に道を模索し、精一杯生きています。
地球へ…で描かれる世界では、人間、ミュウともに本当の母親の愛を知らず、そのため母なる地球を求めて止まないというのが、物語の重要な鍵になっています。
グランドマザーの合成した遺伝子により作られたキースもやはり、母なるグランドマザーに逆らうことはできず、SD体制への深い疑問を心に宿しつつも、SD体制護持のために全てを投げ打っています。
母といえば、フィシスが遺伝上の母に相当すると知って、キースはフィシスに思慕にも似た感情を抱いています。
地球へ…を初めて読んだ頃には、キースを体制に翻弄され飲み込まれてしまった気の毒な人物と考えていました。
キースは理性的で、なおかつサムを生涯友人として大切に思い、わざわざサムの事故の謎を解くために単独ナスカの調査に向かい、サムの血で作ったピアスを常に身に付け、多忙な中サムの見舞いを欠かさない義理堅い人物です。
また、厳しくミュウ弾圧を行ったのも、親友のサムをあのような状態にしてしまったミュウを許せなかったからでしょう。
キースがもしミュウとして生きていたら、きっとジョミーの良き理解者、協力者になったでしょうが、人種や体制や思想の違いから、理解し合えるはずの二人が対立し、最後には一方が他方を殺してしまう…
でもそればかりではなく、グランドマザーに逆らえなかったキースは、ひたすら母なるもの、ひいては自分のルーツや存在意義を求める人間の悲哀を現していたのだと、今は思っています。

地球へ…:プロットの穴
Author: admin11 22nd, 2007

地球へ…は素晴らしい素晴らしいと騒いでいますが、実はこの原作、プロットが穴だらけなんですよね(:_;)
地球へ…以外の作品をあまり読んでいないのですが、原作者の竹宮恵子さんはどうも、大まかなプロットと主要な登場人物の設定を決めてしまうと、細かいことは気にせず勢いで一気に描き切ってしまう人のようです。
映画のように公開する時に合わせて作るものではなく、少しずつ発表していく連載もので、しかも当初は第一部のみで終わりの予定だったと言うので、後々若干の設定のほころびが出てくるのは仕方ないとは思うのですが、それにしてもかなり大胆だなあと思うことが多々あります。
一番すごいと思うのは、時間軸がめちゃくちゃなことです(@_@)
例えば教育ステーションE-1077で、新年を祝うパーティーが催されたシーンは、S.D.534年の年末で、この年キース・アニアン、サム・ヒューストン、ジョミー・マーキス・シンは16歳のはずです。
ところが、連載の回数としてはそれ程離れていないと思うのですが、ナスカでジョミーとサムとが再会した年は、S.D.577年で、作中ではジョミーとサムは23歳となっています…
普通に考えて59歳だろ!と思うんですけど(^_^;)
最初に読んだ時にはストーリーを追うのに一生懸命で全く気付きませんでしたが、小学生の私でも二回目に読んだ時におかしいと思いましたよ…
これ、描いてる人達も編集者さんとかも誰も気付かなかったんでしょうか?不思議でたまりません。
それから、ソルジャー・ブルーとフィシスが、いつどこで出会ったかと言うのも、謎すぎ(T_T)
フィシスがユニバーサルの水槽の中でまだ目覚めずにいた頃、ブルーは「恐ろしい囚われの身」(ジョミー談)だったそうですが、ブルーは3世紀に亘って生きたはずで、死んだ時に201歳未満では有り得ません。でも比較的若い頃にユニバーサルの研究所から脱走し、船を奪って地中に潜んだはずですよね…
フィシスがミュウの母船に迎えられたのは、ジョミーが来た50年前ということですから、どう考えてもフィシスが水槽の中にいた頃ブルーは150歳超えてます…
成人検査を受けた14歳からとして、130年以上もユニバーサルの実験体として囚われの身だったの?
しかも、仲間たちとユニバーサルを脱走してすぐ、思いに描く星はと言えば地球ばかりだったはず…
なのに物語も終盤に来て急に、フィシスが水槽の中で見ていた地球の夢に魅せられて、いつしか地球に憧れるようになっていたとブルーが言っているのは、どう考えても納得いかない(ーー;)
まあ30年の間に、出版側の誰かが途中で気付いても、それを訂正するのも恐れ多い程の伝説の名作になってしまったと言うことで(^.^)
何だかんだ言っても、これだけ多くの大胆な設定ミスがありながらなお、何度読んでも新たな感動を覚えるのは、登場人物たちの人物像、人格がしっかりと設定されていてぶれが無く、テーマやメッセージにも一貫性があるからだと思うのでした。

