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地球へ…

地球へ…は竹宮恵子さん原作で、アニメ化もされた漫画「地球へ…」を原作寄りの視点で熱く語るブログです

Archive for the '杉田智和' Category

02 1st, 2008

フィシスを演じた小林沙苗さんも、きれいな方ですね。普段声しか聞かない声優さんに、こんなにきれいな女性が多いなんて、何だかもったいない気がします。

小林沙苗さんは、とても天真爛漫な方のようです。

Premium Fan Discの中で、ブルー役の杉田智和さん、ジョミー役の斎賀みつきさんと共に雑誌の取材で写真を撮った時、杉田さんと斎賀さんはクールな表情できめていたのに、小林さんだけは満面の笑顔で写っていたとおっしゃっていて、笑ってしまいました。

フィシスは18歳でミュウの船に来て、その時から年を取っていないはずなのですが、テレビアニメでのフィシスは、小林沙苗さんと同じ20代後半位の設定のようでした。

顔立ちと言い、でっかいアクセサリーがじゃらじゃらしてることと言い、ぴったりして大きく胸元の開いたドレスを着ていることと言い(^_^;)

小林沙苗さんはフィシスの声を、大人の女性っぽく演じておられましたが、18歳の少女という設定であれば、そう聞こえるように演じることもできたことでしょう。

私はやっぱり、テレビアニメ本編よりもシャングリラ学園のフィシスの方が好きですけど。占いでテスト問題の予想、文化祭で壷の販売、昼メロ大好きで妄想癖あり…もうこうなったら行き着くところまで行っちゃってほしいです。



01 1st, 2008

地球へ…のTVアニメを監督したヤマサキオサムさんは、やっぱりソルジャー・ブルーの大ファンだったのですね…

きっとそうに違いないとは思っていましたが、Premium Fan Disc6を聞いて、ソルジャー・ブルーというキャラクターに対するあまりのこだわりに驚きました。

でも、映画のディレクターズカット版が大抵、監督の思い入れだけで、あのシーンもこのシーンもと詰め込みすぎて冗長でつまらないのと同じように、強すぎる個人的思い入れは、物語をつまらなくするだけなのですよね(/_;)

監督がソルジャー・ブルーの熱狂的ファンだったことは、この作品をTVアニメとして現代に蘇えらせたと同時に、単なるキャラクターのための物語にしてしまい、全体を台無しにしてしまったという功罪両方の結果をもたらしましたね…

Premium Fan Disc6の中で、竹宮恵子さんからソルジャー・ブルーへ宛てたメッセージが、杉田智和さんによって読まれました。非常に深遠で感動的なメッセージだったので、つい書きたくなってしまいました。

竹宮恵子さんにとってブルーは憧れの具象化だったのだそうです。

竹宮恵子さんは、実は自分は現実的な人間なので、あまりにも強い憧れは人には見せない、だからブルーは物語からすぐ姿を消してしまったのかもと、書いておられました。

でもその憧れとは、勝手に理想化した男性に憧れる少女のような単純なものではなく、やはり自らがどう生きていくか、その指標となるような存在だったのですね。

非の打ち所なく滅私の心を持ち、ジョミーと言う個性を選び信頼し、全てを託したソルジャー・ブルー。

竹宮恵子さんの「選んだなら信じる、行き着けなくても行く、全てを懸けたら後悔しない、手を尽くしてその身を投じる…そうすればいつか必ず山は崩れ水は流れ出す、それがこの世界の真実」という言葉に、打ちのめされました。

私も幼い頃そのメッセージを受け取り、一度きりの人生、後悔のないように、例え目指す所にたどり着けなくとも、全力で生きるのだと誓ったものでしたよ(T_T)

ソルジャー・ブルーの「地球へ行くのだ…」という言葉が、これからも私に囁きかけるでしょう。

こんな素晴らしい漫画を描いてくれて、竹宮恵子さん本当にありがとう(;O;)



11 26th, 2007

斎賀みつきさんは、スカパー!の特別番組で小学生の頃からの地球へ…ファンだったと話しておられ、私と同じだ!と、ちょっと嬉しかったりします。

でも斎賀さんは、映画から入ったのですってね。

私も、地球へ…は映画にもなったらしいと知ってはいたのですが、トォニィがジョミーとカリナの子供だったらしいと聞き、「ジョミーは永遠の14歳なんだから、絶対子供作ったりしないの(T_T)」と驚き悲しみ、今まで見ようという気になったことはありませんでした。

おそらく映画化するに当たって、恋愛の要素が少し位ないと一般受けしないだろうという商業的思惑があったのでしょうね。

地球へ…がTVアニメになってから、映画のDVDもレンタルされていたので、まあこの辺で諦めて映画も見ておこうかと思い、最近初めて見ましたけど。

斎賀みつきさんの声は、スカパー!でインタビューに答えていたのを聞くと、低めながらも明らかに女性の声なのに、アニメでは本当に少年のような声で、驚きました。

すらりとした長身に中性的な顔立ち、男性と間違えられたと言う話も、何だか納得してしまいます。

TVアニメのジョミーは、原作に比べると幼くて、斎賀さんくらいの声がちょうど良いように感じました。

最初は、わーわーぎゃーぎゃーと大変そうでしたが、ジョミーの成長と共にだんだんとクールな感じに演じておられましたね。

地球へ…のTVアニメは、私の中では「地球へ…が好きな人たちが作ったパロディー版」のような位置付けなので、本編よりもむしろPremium Fan Discの方が楽しめます。

斎賀さんが「私立シャングリラ学園」の中で演じるちょっとおちゃらけたジョミーが、とてもおかしいです(*^_^*)

それにしても声優さんと言うのは、すごい技とプロ意識を持った人たちだなあと、感心してしまいます。だって俳優さんや女優さんが、自らが出演した映画やドラマのパロディをやったりはしませんよね?

例え何かの間違いでやったとしても、絶対にあんなに面白くはならないと思います。

特にソルジャー・ブルー役の杉田智和さんの芸達者なこと!「私立シャングリラ学園」では壊れっぷりも派手で、抱腹絶倒でした。

「コミックリーディング」では一人何役も一度にやっちゃって、それがちゃんとその役を演じた人の声に聴こえるのは、拍手ものでした!おまけに効果音までちゃんと付けてしまって…

あと低周波治療器、私はかなりの間、本当だと思ってました(^_^;)

斎賀みつきさんについて書こうと思ったのに、何故か杉田智和さんの話になってしまった…



11 21st, 2007

地球へ…では、人間、ミュウ共に一度も行ったことも目にしたことも無い地球を愛し憧れ、ひたすら地球へ向かおうとします。

原作中では(TVアニメでもそうだったかな)、コンピューターによる洗脳で植え付けられた地球への憧憬がそうさせるのだという設定になっています。

何故地球に関する洗脳がそれ程上手くいっちゃうのかということを考えると、SD体制における「家族」というものと切り離せない関係があると思うのです。

SD体制の下では、子供は全てランダムに選ばれた卵子と精子との人工受精により作った受精卵を人工子宮で出生まで育てた試験管ベビーで、両親は血縁関係の無い養父母です。

原作のはじめ辺りでは、養父母は夫婦ではなく、職業的な保父・保母のペアなのだろうと思っていましたが、読み進んでいくと夫婦のようです(途中で設定を変えたのかも知れませんが)。

ここで重要なのは、現代における養父母と子供という関係を当てはめることはできないということです。

夫婦であろうとなかろうと、養父母はコンピューターの命じるままに職業として子供を14歳まで育てているのですから、あくまでも職業の範囲を超えることはないのです。

むしろ、コンピューターの洗脳に従ってやっている分、現代の保父さん、保母さんよりもずっと、子供に対する人間らしい愛情や愛着は無いはずです。

地球へ…のPremium Fan Discの中で、ジョミー役の斎賀みつきさんも、ブルー役の杉田智和さんも、原作の家族関係はおかしかった、アニメの方がずっと自然だと思ったとおっしゃっていましたが、私にはとてもまずいアレンジだったと思えました。

ジョミーの養父母がやたらとジョミーに対する愛情に溢れているのが、むしろ設定上不自然と感じました。

家族という人間の根源的なものさえも作り物の、まやかしの世界が、SD体制の世界なんだと解釈しています。

TVアニメでは家族関係をきちんと成立させてしまったことで、原作にあるSD体制の不気味さ、非人間性を描き切れず、またミュウ達が地球を目指す動機が希薄になったと考えています。

家族を始めとする愛情を傾ける大切な対象を、離別や死別によって失うことはとても辛いことですが、その暖かい思い出は、意識上だけでなく深層心理にも残り、人格形成に影響します。

たとえテラズナンバーの洗脳によって記憶が消されても、性格は変わっていなかったのですから、子供の頃にきちんと愛情を受け形成された人格は、消滅することはないのです。

愛情の対象を途中で失うこと以上に辛いのは、「本当の愛情を知らない」ことです。

地球へ…の原作では、ジョミーは目覚めの日に「なぜ涙が出るのだろう…悲しくて虚しい…」と独白します。また、最後まで自分の両親が本当に自分のことを愛していたかと、ずっと気にしています。

答えは「否」と分かっていながら…

愛情によって満たされたことが無く、愛情に飢えているからこそ、心から愛を捧げるべき母なる地球に憧れ恋焦がれ、命まで懸けるのです。トォニィが原作で、この気持ちを理解できなかったのは、実の親の愛情を知っていたからでしょう。

地球を第一義と考え、全てを地球のために投げ打つというコンピューターによる洗脳は、この背景によって成立しているのだと思います。

地球へ…を初めて読んだ私は小学生ながらに、作中のミュウ達と人間達の、愛に飢えその代償として地球を目指す悲痛な気持ちを思い涙したものでした。

しかもその憧れの気持ちは、コンピューターによる洗脳によって植え付けられたものだなんて、何と悲しいのでしょう。

すごいと思うのは、作者の竹宮恵子さんの、家族のあり方に対する洞察の深さです。

地球へ…のSD体制下での家族関係は、意図的にこのように描写されたものだと思いますが、本当の愛情を知らないことの悲しさを、20代でこんなに上手く描くとは、一体何者?って思ってしまいます。