地球へ…の世界には、神という概念があったのでしょうか?
少なくともミュウたちは、神という概念を持っているようでした。
ジョミーがブルーの記憶をテレパシーで受け取ることを拒否し暴発した時に、ブルーが「神よ!あれほどのエネルギーとは思わなかった」と言っているので、人類やミュウなど地上に生きる者の力の及ばない存在がどこかにあると、思っていたことは確かでしょう。
では人類には神という概念があったかと言うと、微妙なところです。
キースが教育ステーション時代に書いていたレポートの科目に「宗教学総合理論」があったので、宗教という概念が残っていたことは確かです。
でも総合理論ですからねえ…宗教を過去のものとして、学者達がその教義や歴史を理論的に研究していたのかもしれません。神という存在を、昔人間が原始的だった頃に作り出した架空のものだと教えていたのではないでしょうか。
人類にとってはマザーコンピューターを頂点に頂くSD体制そのものが神であり、絶対的なものでしたから、マザーがいるからには、神は必要なかったと思いますし。
ここでもSD体制が現実の独裁政権と重なります。
独裁者は大抵自分の銅像を立てちゃったり、肖像画を各家庭に飾らせたり、自伝を国民に読ませたりして自分の神格化に励み、大抵は宗教を弾圧しますから…
自分が神となって何者にも止められない絶対的権力を振るうという欲望に取り付かれると、人間は行くところまで行ってしまうというのは、数々の実例が示しています。
自らを絶対的なものと神格化し、人間を意のままに操るグランドマザーの姿は正にその独裁者です。
しかもコンピューターシステムによる洗脳を用いて、人間たちにその事実さえ気付かせないのは、恐ろしい限りです。
ジョミーはグランドマザーと対峙した時に、「人間はマザーにあやされ育てられた意思のない子供 目も口も耳もふさがれながらそれを知らない不幸な子供だ」とキースに言っています。
「だが反逆児ミュウたちにはそれが見える」とも…
ミュウたちにSD体制の真の姿が見えるのは、自分たちが異端でありシステムから弾き出された存在であるためでもあったでしょうが、「神」という概念を持っていたからでもあるのではないでしょうか。
自分がどう行動すべきか、常に自分の心に問いながら、良心に従って最善を尽くして生きるために、自分の力の及ばない何か絶対的な存在、いわゆる神という存在が重要なのではと思います。
ジョミーは強力な超能力を持ちながら、それをどのように使うべきか、いつも慎重に考えながら生きています。
ナスカに偵察に来たサムの宇宙船を幻覚で攻撃した時に、とっさに力を出し過ぎ、そんな自分に驚き、恐れて涙を流しています。
またキースを殺さなかった理由を、「岩なら裂くこともできる…これは人間だ」と言っています。
強い力を持つ者が、自分の力に対する畏怖を失ってしまうと、他者の存在を軽視して暴走するのだと思います。
その点でジョミーは、強い力を持つ者にふさわしいと言えるでしょう。やはりその心に、自分よりも高い所から物事を見て判断する「神」のような存在を、いつも意識していたからとは言えないでしょうか。
一方マザーコンピューターは、人類やミュウの犠牲を厭わず、地球を再生させることを目的にして作り出されたもので、もちろん自分の絶大な能力や権力が世界にどのような影響を及ぼすかなんて、考えもしません。
自分が神であり、絶対であり、自分より正しい判断を下せるものはないという傲慢に陥った時点で、後は堕落し、腐敗するのが必定なのですよね…
何も独裁国家でなくとも、現代の日本を見てみると、神を気取り、権力を濫用する権力者が山ほどいるではありませんか。
地球へ…を読んでいると、つい現実世界とシンクロさせてしまうのですよね。
この物語が比喩であるということを考えると、未来の管理社会、超能力者という非現実的な設定でありながら、とても身近で現実的なストーリーに感じられるのも当然のことだと思うのです。