トォニィのテレビアニメでのお父さん、ユウイは、マンガ少年別冊第二部の最後に収録されていたSF短編「集まる日」の主人公でした。
子供の頃読んだはずなのに、最近読み返すまですっかり忘れていましたが。
何にせよ、トォニィのパパがジョミーじゃなくて良かった…
くどいようですが、ジョミーは永遠の14歳なんですから子供作ったりしないんです(`^´)
それに、真のリーダーというのは孤独であり、私情に走ったり恋愛に現を抜かしたりしていてはみんなをまとめることも、引っ張ることも出来ないと思うのです。
映画でのジョミーは、カリナに好意を持っているのに正面切って言い出せず、ミュウの子孫を作るという大義名分をダシにカリナを口説いたようにしか見えませんでした。
ソルジャーともあろう者が情けないしセコイじゃないですか全く…
テレビアニメでは、ユウイの名前は確か墓標に「アスカユウイ」と刻んでありましたが、マンガでは「水凪結惟」という名前でした。
集まる日の中で、竹宮恵子さんの超能力者と既存の人類との関係についての考え方が、登場人物の言葉を借りて語られます。
「超能力を恐れる現人類が新人類を排斥しようとしてESP狩りをし、それを逃れた新人類たちは結集し、この種のテーマではたいてい、最後は新旧交代で終わる」と、終笛は言っています。
この頃の超能力を扱った物語は、きっとその手の物が主流だったのでしょう。終笛の台詞の前半部分と、地球へ…のストーリーは同様の展開をしています。
でも単に超能力を持ったものが、旧人類に代わって世界の主権を握るというストーリーではないことが、地球へ…の新しいところだったのですよね。
異なった者同士、いかにして共存していくか?という、普遍的なテーマを持つ作品なので、舞台装置や道具立てが少々古臭いにも関わらず、今読んでも全く古さを感じないのでしょう。
竹宮恵子さんは終笛に「僕が新人類なら人間を支配しようなんて思わないし、できるとも思わない」と、マンガのラストでは「お前たちには超能力を持つにふさわしい精神がない」とも言わせています。
また結惟は、超能力を持つ新人類を称して、「目覚めたるもの」と言っています。
彼らの信念、言動は、そのままジョミーに引き継がれています。
ジョミーは非常に強い力を持ったミュウであり、なおかつその力をどう使うべきか常に考えて生きており、優れたものならではの苦悩も持っていました。
ジョミーはまさに目覚めたるもの、力を持つにふさわしい精神を持ったものでした。
ユウイのことを書こうと思ってタイトルつけたのに、やっぱり最後はジョミーになっちゃいました(T_T)
ほぼ毎日駄文を綴って来ましたが、先日記事が50を超えてしまいました(^_^;)
我ながら良くこんなに書くことあるなあ…
でも毎日たくさんの方が読んで下さるのを励みに、これからも書くつもりですので、どうぞよろしくお願いします\(^o^)/