キース・アニアン

地球へ…に見る一般人の鈍感さ

地球へ…の教育ステーションE-1077編では、地球に住めるのは一握りのエリートだけで、一般人は地球に憧れながらも、一生地球の土を踏むことなく死ぬ人も多いと設定されていました。

16歳にしてメンバーズエリートとなったキースに対し、サムは「たまには地球へ降りられるだろうからその時は宿をたのむよ」と言っています。

でも物語が後半に入ってくると、何故かかなりの数の一般人が地球で暮らしているのですよね…竹宮恵子さんの心境の変化なのか、忙しさの中で最初の設定を失念してしまったのかは定かではありませんが(^_^;)

地球で暮らしている一般人の大半は、地球政府に対し一定の貢献をした、定年退職者なのではと思いました。高齢化が進んでいるようでしたし、毎日何をするでもなく図書館へ行ったり、ゴルフをしたり、旅行したりと、ずいぶんと優雅な生活を楽しんでいるようでした。

情報は政府広報以外になく、人々はそこで発表されることが事実であると信じて疑わず、政治や軍事のことにはほとんど無関心なようでした。

またSD体制を素晴らしいものと考えており、自分の意思で自分の生き方を選ぶことは不合理だと考えていました。

洗脳され、統制された世の中であることが分かります。

またミュウに対する無知と、偏った情報から、論理的な根拠もなく恐れ忌み嫌っている様は、現代の国家や人種、文化などの違いによる無理解や対立を想起させます。

本当は複雑な世の中を、プロパガンダによって単純明快であるかのように錯覚させ、都合の悪いことは誰かを悪者に仕立て上げ、攻撃の矛先を向けさせるという支配の仕方には、例の鉤十字を旗印にした悪名高き政権が行った民族大虐殺に、「ごく普通の善良な一般人」の多くが加担したという歴史を思い出します。

善良なる一般市民の無知蒙昧と言うのは、実は最も罪深いことなのだと思います。

TVアニメ化に当たって、竹宮恵子さんが製作スタッフに対してたった一つだけ要求したのが「一般人の感覚の鈍さ」をきちんと描写してほしいということだったそうです。

地球へ…の中でもこれは重要な要素であり、事実を正しく認識し、正しく行動するということは難しいということを多くの人が知らないことで、様々な不幸が起こるのだと訴えたかったのだろうなあと思っています。

現代の日本人を省みて、地球へ…の一般人たちと重ねてしまうのは、私だけではないと思うのですが…