グランドマザー

地球へ…とスターウォーズ

スターウォーズの話題を出したので、ついでにもう一つ…
地球へ…とスターウォーズとは、どこかしら似ているのですよね。

ごく普通の少年が、超人的な英雄に導かれ、波乱万丈の冒険に旅立ち、苦難の末に大きな成長を遂げること、主人公が超能力を持つこと、また主人公が「本当の家族」を知らず、そしてそれを無意識の内に追い求めることなど…

ただ両者の決定的な違いは、登場人物たちが求めて止まないのは同じ家族でありつつも、地球へ…では「母なるもの」であり、スターウォーズでは「父なるもの」であることです。

これは、物語を作ったのが女性であるか男性であるかに負う所が大きいのではと思います。

竹宮恵子さんは「男の子ならしても良いことが、自分には許されなかった。例えそれが素敵なことではないにしても、自分も男の子と同じようにやってみたかった」と書いておられます。

恐らく当時の田舎のちゃんとしたお家の女の子として、女の子らしく、決まった道を進むようにと、きっと色々な制限や束縛があったことでしょう。

そしてそれを娘のために良かれと思って強いるのは、主に母親だと思います。
父親というのは娘に甘く、衝突しても結局は折れてしまう存在ですが、女の子にとって最も手強く、最も説得が困難な同性は、母親でしょうから。

ジョージ・ルーカス監督も「父は田舎町で小さな商店を営んでおり、厳格で怖く、自分にその商店を継ぐことを期待した」と語っていました。

同じように、息子のために良かれと思って、田舎町の商店を経営する人生を強いる父親は、男の子にとって最も手強く恐ろしく、高圧的な存在だったのではないでしょうか。

男の子の場合には、母親が父親の厳しさから息子をかばい、父親の行き過ぎを止めてくれる存在ですから、父親との関係の方がより困難なものだと推測します。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、特別な才能を持っていたが故に、子供の平凡な幸せを願うあまりに冒険を絶対に許さない同性の親と、うまく関係を作れなかったのではないかという気がします。

地球へ…では、「父親」の存在が見事なまでに無視されています。

ジョミーが想うのはマムのことばかりですし、カリナの夫なんて一度病院の場面に登場しただけで名前もないような存在、コンピューターシステムの名前はマザーシステム…

スターウォーズではこれが正反対で、ルークとレイアの父がダースベイダーであったこと、ダークサイドに堕ちる以前はジェダイの騎士だったことなどが設定されているのに対し、二人の母は設定どころか名前さえ無く、ほとんど存在を無視されています。

旧三部作であまりにもルークとレイアの母の存在感がなかったため、エピソード1を見た時に、パドメが将来アナキンと恋に落ちて二人の母になるのだと、気付かなかった位でした。

この好対照、とても面白いと思います。

竹宮恵子さんもルーカス監督も、恐らく異性の親とはそれ程問題なく良好な関係を保っていたので、特に物語にしたいという強い欲求がなかったのでしょう。

それに対して、二人とも若い頃に同性の親と衝突し、家を出てまで自分の力を試し、夢を実現するために努力し、でもいつかは母に、あるいは父に、理解してもらい受け入れてもらいたいと願っていたのではないでしょうか。

その衝動が、各々母なるもの、父なるものを求める物語を作らせ、多くの人の共感と感動を得たのではと考えています。 

このブログを始めて1か月と少し、本当にたくさんの方が私の拙い文章を読みに来て下さいました。
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