ジョミー・マーキス・シン

TVアニメ版への映画版の影響

地球へ…が映画になったことについて竹宮恵子さんは、自分の作品の中で地球へ…が一番有名になったのは映画化されたおかげとおっしゃっていました。

一番有名な作品が「地球へ…」なのは、映画化されたされないに関わらず、私には当然と思えます!だって一番の名作だと思うから(*^_^*)

TVアニメが終わった後に初めて映画版を見て、TVアニメがかなり映画の影響を受けていることを知りました。

先に映像化されているものを参考にするのは当たり前としても、映画の悪いところをなぞったかのような作り方が目立ったのは残念でした。

映画版のどこがまずいと言って、編集が悪いことは致命的だったと思います。

緩急も起伏もなく、だらだらとエピソードが続き、枝葉末節に時間を割いて肝心なところを端折ってしまっているので、限られた時間であの深遠なテーマや壮大なストーリーを再現できなかったのですよ…

例えばナスカでミュウたちが平和ボケして、自分たちの本来の目的を見失ってしまい、ミュウとしての能力も退化してしまうくだりを長々とやっているのは、本当に時間がもったいない!

原作ではミュウの平和ボケぶりには、トォニィの誕生の後1ページと、ジョミーが長老たちの怒りの攻撃をまともに受けて倒れる前の1ページ、合計2ページしか割かれていません。

でもジョミーの想いと裏腹に、多くのミュウたちが本来の目的を忘れてしまった事実とその過程とは、十分に伝わります。

TVアニメで、ナスカのくだりに時間をかけていたのは、映画の影響が大きいのでしょう。そう言えば、あのラテンアメリカ風のナスカのテーマも、高梨康治さんが映画の音楽からヒントを得て作ったのだろうと思います。

原作のある物語を映像化する時にはやはり、作者の意図を無視してはならないと思うので、竹宮恵子さんが比重を置いた部分に力を入れ、余分な描写を詰め込み過ぎない時間配分にすれば、もっとすっきりと面白いものになっただろうにと思うのですが…

竹宮恵子さん自身は、監督の思うように作ってもらって楽しんでもらえればとおっしゃって、一ファンとして純粋にTVアニメを楽しんでおられたようで、さすが大作家は度量が違うなあと感心することしきりです(^_^)