ジョミー・マーキス・シン

ミーシャって?

地球へ…のエピローグは、極力説明を省き、読者の自由な解釈に委ねるように描かれています。

最初に読んだ子供の頃は、少年とミーシャのビジュアルと、少年のやんちゃぶり、また二人が手を触れると心が通うということから、ジョミーとフィシスの生まれ変わりでは?と解釈しました。

もちろんこの少年と少女はミュウであり、二人の両親は、わが子が不思議な力を持っていることを知っていながらそれを受け入れ、慈しんで育てているのだと思いました。

ジョミーやシロエやキースの時代から悠久の時が流れて、やっと人間とミュウとが自然に共存できる宇宙になったのだと、感慨深く思ったものでした。

ソルジャー・ブルーやキース・アニアンの記憶の他に、ジョミーとフィシスの知るはずのないセキ・レイ・シロエの記憶をも、少年とミーシャが持っていたのは、宇宙を漂う際限のないエネルギーの一部である少年と少女が、過去に生きた多くの人々の意識や記憶や想いを、生まれながらにして受け継いでいたのだろうと思っていました。

それにしても少女をミーシャと名付けたのに、少年には名前を付けなかったのは、竹宮恵子さんに何か意図があったのか、それとももう名前を考えるのが面倒だったのか(^_^;)

大人になった今考えると、この二人は誰かの生まれ変わりなどではなく、むしろ過去の登場人物の誰とも関係ない、誰でもない子供たちだったのだろうと思っています。

どちらにしても、宇宙に漂う今は亡き人々の残した精神を感じ取ることのできる二人のミュウが、同じ記憶を持ち、別々に生まれ、そして出会い、恐らく二人はアダムとイブのように、また地球上に生命を作り出すのだろうと考え、胸が一杯になりました。

今度こそみんなが人間らしく生きられる社会を作れるといいね…と二人に語りかけた私は、今私たちが生きている社会は、本当に人間らしい生き方のできる社会なのだろうか…と、つい疑問に思ってしまったのでした。