


地球へ…


Archive for 11月, 2007
地球へ…に見る一般人の鈍感さ
Author: admin11 30th, 2007

地球へ…の教育ステーションE-1077編では、地球に住めるのは一握りのエリートだけで、一般人は地球に憧れながらも、一生地球の土を踏むことなく死ぬ人も多いと設定されていました。
16歳にしてメンバーズエリートとなったキースに対し、サムは「たまには地球へ降りられるだろうからその時は宿をたのむよ」と言っています。
でも物語が後半に入ってくると、何故かかなりの数の一般人が地球で暮らしているのですよね…竹宮恵子さんの心境の変化なのか、忙しさの中で最初の設定を失念してしまったのかは定かではありませんが(^_^;)
地球で暮らしている一般人の大半は、地球政府に対し一定の貢献をした、定年退職者なのではと思いました。高齢化が進んでいるようでしたし、毎日何をするでもなく図書館へ行ったり、ゴルフをしたり、旅行したりと、ずいぶんと優雅な生活を楽しんでいるようでした。
情報は政府広報以外になく、人々はそこで発表されることが事実であると信じて疑わず、政治や軍事のことにはほとんど無関心なようでした。
またSD体制を素晴らしいものと考えており、自分の意思で自分の生き方を選ぶことは不合理だと考えていました。
洗脳され、統制された世の中であることが分かります。
またミュウに対する無知と、偏った情報から、論理的な根拠もなく恐れ忌み嫌っている様は、現代の国家や人種、文化などの違いによる無理解や対立を想起させます。
本当は複雑な世の中を、プロパガンダによって単純明快であるかのように錯覚させ、都合の悪いことは誰かを悪者に仕立て上げ、攻撃の矛先を向けさせるという支配の仕方には、例の鉤十字を旗印にした悪名高き政権が行った民族大虐殺に、「ごく普通の善良な一般人」の多くが加担したという歴史を思い出します。
善良なる一般市民の無知蒙昧と言うのは、実は最も罪深いことなのだと思います。
TVアニメ化に当たって、竹宮恵子さんが製作スタッフに対してたった一つだけ要求したのが「一般人の感覚の鈍さ」をきちんと描写してほしいということだったそうです。
地球へ…の中でもこれは重要な要素であり、事実を正しく認識し、正しく行動するということは難しいということを多くの人が知らないことで、様々な不幸が起こるのだと訴えたかったのだろうなあと思っています。
現代の日本人を省みて、地球へ…の一般人たちと重ねてしまうのは、私だけではないと思うのですが…


キース・アニアンの悲哀
Author: admin11 29th, 2007

キース・アニアンとジョミー・マーキス・シンは、表裏一体の関係です。
一方は人間の、他方はミュウの指導者として、高い能力と統率力を持ち、人間あるいはミュウの未来の鍵を握る存在で、状況によってはキースとジョミーが入れ替わっていてもおかしくはなかったと思います。
ジョミーの市民番号はAD06223でしたが、キースの認識番号はME076223で下4桁が同じなのは、それを意識しての設定でしょう。
キース・アニアンは、実はミュウだったと私は解釈しています。
SD体制の下、ミュウは次々と生まれ続け、その数を増していました。
グランドマザーは、ミュウを排除し弾圧する権利を与えられながらも、ミュウ遺伝子(原作中では素因子と表現されていますが)を抹消してはならないという、矛盾するプログラムに従っていました。
SD体制開始以降の全ての配偶子の組み合わせと、ミュウの発生とを合わせて解析すれば、グランドマザーにはその原因遺伝子を特定することは容易だったでしょうし、作中でもそういう設定になっています。
人間を凌ぐ特殊能力を持つ新人種を、旧人類という種を保存するために排除していくには、同等以上の能力を持った存在を、人間側の指導者として据える必要があったのではないでしょうか。
だからグランドマザーは、人間の指導者として、敢えてミュウ因子を持つキース・アニアンを作ったのだと考えています。
地球へ…の作者の竹宮恵子さんが、どの時点でそう設定したのかは分かりませんが、キースがミュウだということを示唆する事実はたくさんあります。
まず、キースは他の人間のようにはミュウの精神攻撃を受け難かったこと。マツカもミュウだったので、やはり精神攻撃の影響を受けませんでした。
キースに14歳以前の記憶がないことだけでは、E-1077でたった一人だけジョミーのメッセージに影響を受けなかったことは説明できません。
やはり純粋な旧人類ではなかったからだろうと思います。
成人後の全人類にESPチェックを施行することになった時、グランドマザーに「私は陰性です」と報告したキースは、「もちろん陽性のはずはありません。あなたは特別だから」と言われています。
ジョミーが覚醒前に、度重なるESPチェックをかいくぐってきたことを考えると、キースはミュウの遺伝子を持ち、なおかつ非常に強い能力を持っていたのではと推測されます。
また終盤に来ると、マツカと長い間行動を共にしていたため覚醒したものか、ますます特殊な能力を発揮するようになり、他人の心の中が分かってしまうようになっています。
会議で地球代表の弱気を察知してしまうという描写も、無意識の内に他人の意識を読んでいることを伺わせます。
ジョミーを連れてグランドマザーの元を訪れる場面でのキースの独白で、「包みこむような優しさ まだ幼い少年のしなやかな感情-思慕のような…」とあるのは、ジョミーの意識を読んでいる描写としか思えません。
ジョミーの希望、哀しみ、涙をキースが感じ取ることができたのは、やはりジョミーの心をテレパシーで感じたからでしょう。
キースもまた自分の置かれた立場で、人類のより良い未来のため、必死に道を模索し、精一杯生きています。
地球へ…で描かれる世界では、人間、ミュウともに本当の母親の愛を知らず、そのため母なる地球を求めて止まないというのが、物語の重要な鍵になっています。
グランドマザーの合成した遺伝子により作られたキースもやはり、母なるグランドマザーに逆らうことはできず、SD体制への深い疑問を心に宿しつつも、SD体制護持のために全てを投げ打っています。
母といえば、フィシスが遺伝上の母に相当すると知って、キースはフィシスに思慕にも似た感情を抱いています。
地球へ…を初めて読んだ頃には、キースを体制に翻弄され飲み込まれてしまった気の毒な人物と考えていました。
キースは理性的で、なおかつサムを生涯友人として大切に思い、わざわざサムの事故の謎を解くために単独ナスカの調査に向かい、サムの血で作ったピアスを常に身に付け、多忙な中サムの見舞いを欠かさない義理堅い人物です。
また、厳しくミュウ弾圧を行ったのも、親友のサムをあのような状態にしてしまったミュウを許せなかったからでしょう。
キースがもしミュウとして生きていたら、きっとジョミーの良き理解者、協力者になったでしょうが、人種や体制や思想の違いから、理解し合えるはずの二人が対立し、最後には一方が他方を殺してしまう…
でもそればかりではなく、グランドマザーに逆らえなかったキースは、ひたすら母なるもの、ひいては自分のルーツや存在意義を求める人間の悲哀を現していたのだと、今は思っています。

ソルジャーとしてのジョミー
Author: admin11 28th, 2007

ジョミー・マーキス・シンは、初代ソルジャーのソルジャー・ブルーが自分の死期を悟り、次代のソルジャーとして選び、ミュウの未来を託した人物でした。
ソルジャー・ブルーは、いわばスターウォーズのオビ・ワン・ケノービに相当する人物で、主人公を否応なしに日常の世界から非日常の物語の世界に招くための存在です。
だから、とても重要で、物語の象徴的人物なのですが、やはり物語が始まり、ジョミーがミュウとして生きていくことを決意した時点で死ぬのが必然だったのです。
ブルーが死の間際に全てのミュウたちに、ジョミーを次代のソルジャーとして自分の心を託すと伝えたからこそ、ミュウとして覚醒したばかりのジョミーが長となったのです。
ジョミーをミュウとして受け入れることにさえ反対したり疑問を持ったりしたミュウ達は、ソルジャー・ブルーの遺志でなければ到底ジョミーをソルジャーとして受け入れることはできなかったと思います。
また、ソルジャー・ブルーが亡くなったからこそ、ジョミーはソルジャーを継がなければならず、ミュウたちにもジョミーをソルジャーとして受け入れる以外に選択肢が残されていなかったのです。
地球へ…のTVアニメを私が初めて見た回は、17回目(ナスカが攻撃される回ですね)だったので、何故かブルーが出ているのを見て、うーん…これはブルーに見えるけど別人?それとも回想?それとも何故かまだ生きてるの?と混乱しまくりでした。
スカパー!の特別番組の中で、TVアニメのスタッフ、出淵裕さんが、ソルジャー・ブルーを原作と違い、ナスカまで生きる設定にしたのは、ジョミーがいきなりソルジャーになれる訳がないからだとおっしゃってましたが、それってブルーが好きだから、活躍させたかっただけでは?
ソルジャー・ブルーが「眠り続けている」という中途半端な存在だったので、ジョミーは長としての自覚がいつまでも足りず成長しないし、他のミュウたちからもいまいち信頼されないし、活躍もしなくて存在意義も薄いし、かわいそうでした。
ソルジャー・ブルーはやはり、スターウォーズのオビ・ワン・ケノービのように、主人公に強烈な印象と影響と使命を与えたら、すぐ退場するべきだったのですよ…
どうしてもブルーが好きで、ブルーというキャラクターを動かしてみたかったのなら、スターウォーズのように、時代を遡ってエピソードを作れば良かったのになあ(T_T)
地球へ…の原作では、否応なくミュウの長、ソルジャー・シンとなってしまったジョミーは、悩み苦しみ試行錯誤しながらも、一生懸命リーダーとしての役割を果たそうとします。
地球へ…の中で心に残る台詞は本当にたくさんあるのですが、地球防衛本部へ向かう時にジョミーが言った「戦いはもう終わりだ これで最後……行かなければまだ続く だからぼくは行く」もそのひとつです。
リーダーたるもの、自分の生命を賭けてでも実現しなければならないことがあるのだと、子供ながらに感銘を受けたものでした。
そんな立派なリーダー、なかなか現実の世界には少ないですよね…
私もいつの間にか人をまとめる立場に立ってしまい、リーダーとしての資質を試されるようなこともままあります。
その度に何故か思い出すのは、若い頃の上司ではなく、ジョミーのことなんですよね(^_^;)
ジョミーのように誰よりも賢く強い一方で、繊細かつ優しく、いつも全体の利益を考える人間になりたいなあと、大人になった今でも思います。

地球へ…との再会
Author: admin11 27th, 2007

地球へ…がTVアニメになっていると知ったのは、本当に偶然のことでした。
普段はあまり書店へ行かず、amazonなどで本を買っているのですが、その日は何故かふらっと紀伊国屋に行ったのでした。
そして漫画なんてもう何年も読んでいなかったのに、その日に限って何故か漫画のコーナーの前を通ったのです。
ふと目に付いた、見覚えのある絵の表紙!
それは地球へ…の新装版でした(@_@)しかも、帯には大きく「TVアニメ放送開始」の文字が躍っています!
ちょうど30年前に連載が開始された、この漫画史上に燦然と輝く古典的名作が、今頃になってアニメになろうとは…
地球へ…との初めての出会いもそうでしたが、再会も本当に運命的なものを感じました(ちょっと大げさ?)
他にも荷物があったにも関わらず、3巻とも即買いして帰ったのは言うまでもありません(^_^;)
それが7月末のことだったのですが、私はTVアニメというのが3か月で終わらないものだということを全く知らず、4月から放送が始まったなら、とっくの昔に終わってしまっただろうと思い込んでいました。
だって、普通ドラマは3か月で終わっちゃいますからね…
そんな訳で放送がまだ続いていると気付くまでに、二週間以上を要してしまいました(T_T)
原作がいくら名作とは言え、30年も前のものですから、今読むとかなり古臭く感じる点も多いです。
TVアニメでは、その辺りを現代的に改変して、成功だったと思います。
例えば、30年の間のテクノロジーの進歩ってすごいなあと思うのですが、原作のコンピューターの描写、古いですね(^_^;)
リール状のテープがくるくる回ってたり、紙に穴が開いたのが出て来たり、計器類が全部アナログだったり…スーパーコンピューターはおろか、パソコンさえ無い時代の作品ですから、当たり前ですけど。
登場人物の服装にも、時代を感じます。この頃の未来の服装のイメージというのは、体にぴったりした「全身タイツ」様のものだったんですね。
かと思えば、頭にヒモを巻いたり、やけにヒラヒラした服装だったりと、その頃のフラワーチルドレンとかヒッピーみたいな格好の人がいっぱいいたりして…
TVアニメでは飛行機や宇宙船、機械類も現代的と言うか、未来的になってました。
ミュウの宇宙船だけは、何故か原作にはなかった舵が付いて、レトロな感じになってましたけど…
また、「ESP」という言葉が、現代ではかなり陳腐になってしまっているので、語源は「精神」を意味する「psy」なのでしょうが、「サイオン」という言葉に置き換えていましたね。
地球へ…のTVアニメは、今の子供たちが見ても奇異に感じないような世界観で作られていました。
こんなに古い作品を現代によみがえらせてくれて、そのおかげでカラーのページも再現された本が読めて、本当に良かった(*^_^*)
テラズナンバー5が、原作では頭に変な角の生えた女性型ロボットみたいな物体だったのが、TVアニメではでっかい顔だけ(しかも左右非対称)になっていたのは、どっちもどっちかなと思いましたけど…

ジョミー役の斎賀みつきさん
Author: admin11 26th, 2007

斎賀みつきさんは、スカパー!の特別番組で小学生の頃からの地球へ…ファンだったと話しておられ、私と同じだ!と、ちょっと嬉しかったりします。
でも斎賀さんは、映画から入ったのですってね。
私も、地球へ…は映画にもなったらしいと知ってはいたのですが、トォニィがジョミーとカリナの子供だったらしいと聞き、「ジョミーは永遠の14歳なんだから、絶対子供作ったりしないの(T_T)」と驚き悲しみ、今まで見ようという気になったことはありませんでした。
おそらく映画化するに当たって、恋愛の要素が少し位ないと一般受けしないだろうという商業的思惑があったのでしょうね。
地球へ…がTVアニメになってから、映画のDVDもレンタルされていたので、まあこの辺で諦めて映画も見ておこうかと思い、最近初めて見ましたけど。
斎賀みつきさんの声は、スカパー!でインタビューに答えていたのを聞くと、低めながらも明らかに女性の声なのに、アニメでは本当に少年のような声で、驚きました。
すらりとした長身に中性的な顔立ち、男性と間違えられたと言う話も、何だか納得してしまいます。
TVアニメのジョミーは、原作に比べると幼くて、斎賀さんくらいの声がちょうど良いように感じました。
最初は、わーわーぎゃーぎゃーと大変そうでしたが、ジョミーの成長と共にだんだんとクールな感じに演じておられましたね。
地球へ…のTVアニメは、私の中では「地球へ…が好きな人たちが作ったパロディー版」のような位置付けなので、本編よりもむしろPremium Fan Discの方が楽しめます。
斎賀さんが「私立シャングリラ学園」の中で演じるちょっとおちゃらけたジョミーが、とてもおかしいです(*^_^*)
それにしても声優さんと言うのは、すごい技とプロ意識を持った人たちだなあと、感心してしまいます。だって俳優さんや女優さんが、自らが出演した映画やドラマのパロディをやったりはしませんよね?
例え何かの間違いでやったとしても、絶対にあんなに面白くはならないと思います。
特にソルジャー・ブルー役の杉田智和さんの芸達者なこと!「私立シャングリラ学園」では壊れっぷりも派手で、抱腹絶倒でした。
「コミックリーディング」では一人何役も一度にやっちゃって、それがちゃんとその役を演じた人の声に聴こえるのは、拍手ものでした!おまけに効果音までちゃんと付けてしまって…
あと低周波治療器、私はかなりの間、本当だと思ってました(^_^;)
斎賀みつきさんについて書こうと思ったのに、何故か杉田智和さんの話になってしまった…

ジョミー・マーキス・シンの抱く疑問
Author: admin11 25th, 2007

地球へ…の主人公、ジョミー・マーキス・シンは、ごく普通の少年(感情過多でしばしばESPチェックに引っ張り出されている以外は)でした。
でも他の子供より敏感で、何となく自分の生きている世界の不自然さに気付いています。「性格一致、完全温厚」な「エネルギーの抜けた顔」をした他の人間たちに対し、何かがおかしいと、常日頃から思っています。
ジョミーは14歳の誕生日、目覚めの日に、自分の心から湧き起こる悲しみと空しさを抑え切れない理由が、作り物の世界の中で作り物の生活を送っていたせいだと、成人検査で初めて知ることになります。
テラズナンバー5に「ここがテラではないと知っていましたか?」と聞かれ、「いいえ…」と答えたジョミーは、「山を越えた向こう側には大人の世界がある」とも教えられていました。
私は初めてこのくだりを読んだ時、背筋が寒くなりました。自分の住んでいる世界は、地球ではなくどこか遠くの似ても似つかない星で、自分はコンピューター制御により生み出され、出生まで人工羊水の中で育てられ、両親は赤の他人で、職業として自分を育てていた…
そして今、その記憶さえもコンピューターによって奪われ、別の記憶と知識を植え付けられて、検査により選別され、いわば機械の部品のように、これからも生きていく運命…
これを14歳にして一度に知れば、自分の存在自体も危うくなってしまうのは当然だと思いました。こうして信じていたことを根底から覆されることにより、今まで何の疑問もなく漫然と生きてきた子供なら、簡単に洗脳されてしまったでしょう。
でもジョミーは違いました。記憶の取替えが始まる時に、ソルジャー・ブルーが割って入ったことももちろんあるでしょうが、根本的には今までずっと感じていた違和感の原因を知ってしまったために、コンピューターの洗脳を受け入れなかったのでしょう。
体制に疑問を持ち、コンピューターによる支配を拒否したという点で、ジョミーとシロエには共通したところがあります。教育ステーションE-1077に、ジョミーがメッセージを送った時、キースが「なぜこんなことを考えるんだろう…あの一瞬の映像の少年とシロエが似ているだなんて…」と考えるのは、当然とも言えます。
ジョミーにしろシロエにしろ、何となく他の人間に対する違和感を持っていることに、私は惹かれたのかもしれません。私も、周りの友達が少女漫画を読んでいる頃に、地球へ…を何度も読み返すような小学生だった訳ですから(^_^;)
地球へ…の原作の中では、教育制度の違いのせいもあるのでしょうが、14歳のジョミーは(シロエもですが)、現代の14歳よりずっと大人です。
ジョミーは成人検査に失敗し、危険分子として抹殺されるという時、警備隊に包囲され、「なるほどね…脱落者の成り行きはこうか」とつぶやきます。
ジョミーはTVアニメでは、警備隊に「不適格者として処分する」と言われて初めて、「不適格者?処分って何だよ!?」と叫んでいますが、私としてはそれはちょっと違うんじゃ…と思いました。
だって地球のシステムを知り、コンタクトに失敗した時点で、ただでは済まない事を分からない位ジョミーは馬鹿じゃありません。
あまつさえ、ミュウの船に着いてから、「僕をアタラクシアへ…家へ帰せ!」なんて、まるで駄々っ子です。
地球へ…の原作の中では、「落ち着いて考えよう…家へは帰れないのだ」と、ちゃんと状況を理解しています。
それとTVアニメの中で不自然に感じたのは、数機の飛行機に追われ攻撃されながらリオの操縦する飛行機で逃亡している時、追っ手が撃墜されるのを見て「ふう…」と安堵していることでした。
14歳の少年が、いかに自分を追って来る相手とは言え、飛行機が落ちて当然パイロットは助からないであろうことを考えると、単純に安堵したりはしないでしょう。ショックを受け、大変なことになってしまったと、驚き青ざめるのが普通だと思うのですが…
さらに、自由でやんちゃな子供だったというエピソードは、原作ではロードウェイを反対側に横切って帰るというものですが、TVアニメではサッカーをしていて審判ロボの判定に腹を立て、壊してしまうと言うのに変えられていました。
これじゃジョミーは原作の繊細さのかけらも持ち合わせない、粗野で粗暴な子供じゃないですか(T_T)
TVアニメのジョミーは、原作に比べると幼く、賢くなく、鈍感だったと言わざるを得ません。
そんなことでこれからミュウの長になれるの?って、私でも心配になりましたもの。
ソルジャー・ブルーが原作よりずっと長生きしたことで、ジョミーのソルジャーとしての存在意義が失われたと言われているようですが、根本的にジョミーというキャラクターの解釈に失敗しているのが原因では?と思ってしまう私でした。

シロエ役の井上麻里奈さん
Author: admin11 24th, 2007

セキ・レイ・シロエに対する思い入れを語った流れで、TVアニメでシロエ役をなさった井上麻里奈さんについて少々。
私はTVアニメは子供の頃以来全く見ていなかったので、声優さんのことも全然知りませんでした。地球へ…に出ていた声優さんの中で、名前を知っていたのは浪川大輔さんだけです。
浪川大輔さんは、スターウォーズのアナキン・スカイウォーカー役、ロード・オブ・ザ・リングのフロド役をなさっていたので、名前は知っていました。
でもエンドタイトルを見てリオの声が浪川さんだと知り、声優さんって役に合わせて全然違う声が出せるんだなあと感心しました。
リオの声は、アナキンともフロドとも全く違う人の声に聞こえましたから…
それとキャプテン・ハーレイ役の小杉十郎太さんは、どこかで聞いた声のような気がすると思っていたのですが、グレイズ・アナトミーの心臓血管外科医、プレストン・バークの声の人だったのですね!
小杉さんは、バークの時とハーレイの時とで、ほとんど同じ声だったように思います。なかなか渋くて良い声ですね。
地球へ…のTVアニメで、それぞれの声優さんがみんな役にぴったりの声で、なかなか素晴らしい配役だったと思うのですが、中でもシロエ役の井上麻里奈さんは、出色でした。
シロエが出演した第7話から9話を見た私は、シロエの声が少年の幼さと瑞々しさを残しつつ、聡明で、繊細で、なおかつ怒りと苛立ちを含み、一方でとてもセクシーに感じて、一体この井上麻里奈さんってどういう人だろう?と、ネットで検索してしまいました。
そしてまだ大学を卒業したばかりの22歳の女性と知って、びっくり(@_@)
しかも、何と美しく可憐な容姿…
Premium Fan Disc 3の中では、女の子らしからぬさばさばした面も見せてくれ、またシロエに対する愛着も披露してくれて、嬉しかったです。
私、同性ながら井上麻里奈さんに恋してしまいました(*^_^*)時々麻里奈さんのブログを見に行っちゃう位です…
シロエに井上麻里奈さん以上の適役はあり得なかったと思っています。井上麻里奈さんと言う素晴らしい声の持ち主によってシロエに新しい生命を吹き込んでくれた事に関しては、TVアニメを作った人たちに感謝で一杯です。
でもね、シロエは体制に反抗してはいても、秩序や調和を乱すような子じゃないんです!
人を出し抜いて自分だけ抜け駆けしようとか、そんなセコイことを考えたり、他人を見下したりするような子でもないんです!
ちゃんと友達もいて、人から好かれる子だったんです!
TVアニメのシロエは、やたらと人を見下し、調和を乱し、けっこう嫌な子だったように思います。しかも、シロエはミュウだったということになっており、それはちょっとどうだろ?と私は思いました。
人間でありながらSD体制に反抗し、コンピューターの言いなりになることをとことん拒否したシロエという存在があったればこそ、キースは自分が地球のシステムを護持するために作られた存在で、その運命に逆らうことはできないと知りつつも、ずっと体制への疑問を持ち続けて生きていくことになったのですから…
これがもし、シロエがミュウであったなら、コンピューターによる支配を拒絶するのはある意味当たり前のことで、これ程の影響をキースに与えなかったと思うのですけれど…
でも井上麻里奈さんの演技のあまりの素晴らしさに、ストーリー的には何だかなあと思いつつも、シロエの出てくるくだりを何回も見直してしまった私でした(^_^;)

セキ・レイ・シロエの孤独
Author: admin11 23rd, 2007

地球へ…の主要登場人物の中で誰が一番好きかと聞かれたら、みんな好きなのでなかなか甲乙付け難いのですが、二人に絞るなら、セキ・レイ・シロエと、ジョミー・マーキス・シンです。
どうしても一人に決めなきゃダメって言われたら(いや、まあ言われないとは思うんですが…)セキ・レイ・シロエでしょうか。
シロエは、コンピューターによる管理体制に徹底的に反抗し、14歳にしてその壮絶な生涯を閉じた少年です。
地球へ…の中で印象的な台詞はたくさんあるのですが、私にとって最も衝撃的だったのは、シロエがキースにぶつけた「僕は生まれて来たからには、自分の意思で自分の運命を選ぶと決めていた…」という台詞です。
あの異常なまでの管理社会で、コンピューターによる洗脳と監視とを受けながらも、自分の存在意義を見失うまいと、たったの14歳で、孤立無援の中必死で闘ったシロエ…
私はそのシロエの姿に、私にはシロエになかった自分の意思で自分の運命を選ぶ権利があるんだ、生まれて来たからには人間として意味のある生き方をしようと、決意したものでした(単純?)。
第二部にしか登場しなかったシロエですが、非常に重要なキャラクターです。
キース・アニアンは、教育ステーションE-1077でエリート街道驀進中の16歳の時に、シロエと出会います。
それ以前から、コンピューターによる管理社会に漠然とした疑問を持っていたキースですが、シロエとの出会いによって、その疑問は消せないものとなり、地球政府のエリートとなってからも、生涯にわたってキースの胸にくすぶり続けることになります。
シロエが何故そんなにもSD体制を憎んだか、その理由は私の解釈では、自分で選ぶと決めていた自分の運命を、コンピューターに強制的に決められてしまったことを大変な屈辱と感じていたからです。
まだ意識さえ芽生えていない人工子宮の中にいる間に、コンピューターに勝手に選別され育英惑星に送られ、さらに成人検査で記憶を取り替えられ、進路を強制的に決められたことを、絶対に許せなかったのです。
シロエは安穏と体制に支配される生き方より、人間らしい生き方を選んだのであり、決して映画のように単なるマザコンだった訳でも、TVアニメのように単に大人になりたくないピーターパン症候群だった訳でもないのです。
でもこのシロエの気持ちを理解できる人は、そう多くはないのかも知れません。なぜなら、現代人の多くは、自分が自由に選択を行って生きていると考えていて、実は所詮は抵抗できない大きな力に操作され、自由を奪われていることに気付いていないと思うからです。
シロエがこれほどまでにSD体制を嫌い、コンピューターによる支配を拒否しながらも、最期に逃亡を図った先が地球だったというのも、とても悲しい展開です。
だって地球を目指すという意識は、SD体制の下、コンピューターの洗脳によって植え付けられたものですから…
「マザーは僕の意思に勝てなかった」と言ったシロエは、実は既にコンピューターに洗脳されてしまっていたのです。
人間らしく生きるという希望を失わないために、死を覚悟で地球へ向かったのは、実はSD体制に対する敗北で、大変絶望的な最期だった訳です。
キースがシロエを撃墜する直前に「彼の心を占めるものは限りない敗北か、それとも限りない希望なのか」と自問するのは、キースにはそのことが分かっていたからに他なりません。
シロエの死の瞬間、シロエの切ない想いが空間を超えてジョミーに届き、見ず知らずの二人の想いが交差する、そしてジョミーは「時がすぎてゆく中で、ぼくはひとり、ただ一度の存在」と独白しています。
たった一度の人生を大切に生きなければならないことを、また人として正しく生きるということは、時に孤独であるということを、シロエは教えてくれました。
地球へ…の中でシロエが一番好きなのは、そういう訳です。
TVアニメが始まってから初めて知ったのですが、登場人物で誰が好きかと言ったら、圧倒的にソルジャー・ブルーなんですね(@_@)
シロエ派やジョミー派はどうも少ないようだと知り、ちょっと孤独を感じた私でした。

地球へ…:プロットの穴
Author: admin11 22nd, 2007

地球へ…は素晴らしい素晴らしいと騒いでいますが、実はこの原作、プロットが穴だらけなんですよね(:_;)
地球へ…以外の作品をあまり読んでいないのですが、原作者の竹宮恵子さんはどうも、大まかなプロットと主要な登場人物の設定を決めてしまうと、細かいことは気にせず勢いで一気に描き切ってしまう人のようです。
映画のように公開する時に合わせて作るものではなく、少しずつ発表していく連載もので、しかも当初は第一部のみで終わりの予定だったと言うので、後々若干の設定のほころびが出てくるのは仕方ないとは思うのですが、それにしてもかなり大胆だなあと思うことが多々あります。
一番すごいと思うのは、時間軸がめちゃくちゃなことです(@_@)
例えば教育ステーションE-1077で、新年を祝うパーティーが催されたシーンは、S.D.534年の年末で、この年キース・アニアン、サム・ヒューストン、ジョミー・マーキス・シンは16歳のはずです。
ところが、連載の回数としてはそれ程離れていないと思うのですが、ナスカでジョミーとサムとが再会した年は、S.D.577年で、作中ではジョミーとサムは23歳となっています…
普通に考えて59歳だろ!と思うんですけど(^_^;)
最初に読んだ時にはストーリーを追うのに一生懸命で全く気付きませんでしたが、小学生の私でも二回目に読んだ時におかしいと思いましたよ…
これ、描いてる人達も編集者さんとかも誰も気付かなかったんでしょうか?不思議でたまりません。
それから、ソルジャー・ブルーとフィシスが、いつどこで出会ったかと言うのも、謎すぎ(T_T)
フィシスがユニバーサルの水槽の中でまだ目覚めずにいた頃、ブルーは「恐ろしい囚われの身」(ジョミー談)だったそうですが、ブルーは3世紀に亘って生きたはずで、死んだ時に201歳未満では有り得ません。でも比較的若い頃にユニバーサルの研究所から脱走し、船を奪って地中に潜んだはずですよね…
フィシスがミュウの母船に迎えられたのは、ジョミーが来た50年前ということですから、どう考えてもフィシスが水槽の中にいた頃ブルーは150歳超えてます…
成人検査を受けた14歳からとして、130年以上もユニバーサルの実験体として囚われの身だったの?
しかも、仲間たちとユニバーサルを脱走してすぐ、思いに描く星はと言えば地球ばかりだったはず…
なのに物語も終盤に来て急に、フィシスが水槽の中で見ていた地球の夢に魅せられて、いつしか地球に憧れるようになっていたとブルーが言っているのは、どう考えても納得いかない(ーー;)
まあ30年の間に、出版側の誰かが途中で気付いても、それを訂正するのも恐れ多い程の伝説の名作になってしまったと言うことで(^.^)
何だかんだ言っても、これだけ多くの大胆な設定ミスがありながらなお、何度読んでも新たな感動を覚えるのは、登場人物たちの人物像、人格がしっかりと設定されていてぶれが無く、テーマやメッセージにも一貫性があるからだと思うのでした。

地球へ向うのは何故か?
Author: admin11 21st, 2007

地球へ…では、人間、ミュウ共に一度も行ったことも目にしたことも無い地球を愛し憧れ、ひたすら地球へ向かおうとします。
原作中では(TVアニメでもそうだったかな)、コンピューターによる洗脳で植え付けられた地球への憧憬がそうさせるのだという設定になっています。
何故地球に関する洗脳がそれ程上手くいっちゃうのかということを考えると、SD体制における「家族」というものと切り離せない関係があると思うのです。
SD体制の下では、子供は全てランダムに選ばれた卵子と精子との人工受精により作った受精卵を人工子宮で出生まで育てた試験管ベビーで、両親は血縁関係の無い養父母です。
原作のはじめ辺りでは、養父母は夫婦ではなく、職業的な保父・保母のペアなのだろうと思っていましたが、読み進んでいくと夫婦のようです(途中で設定を変えたのかも知れませんが)。
ここで重要なのは、現代における養父母と子供という関係を当てはめることはできないということです。
夫婦であろうとなかろうと、養父母はコンピューターの命じるままに職業として子供を14歳まで育てているのですから、あくまでも職業の範囲を超えることはないのです。
むしろ、コンピューターの洗脳に従ってやっている分、現代の保父さん、保母さんよりもずっと、子供に対する人間らしい愛情や愛着は無いはずです。
地球へ…のPremium Fan Discの中で、ジョミー役の斎賀みつきさんも、ブルー役の杉田智和さんも、原作の家族関係はおかしかった、アニメの方がずっと自然だと思ったとおっしゃっていましたが、私にはとてもまずいアレンジだったと思えました。
ジョミーの養父母がやたらとジョミーに対する愛情に溢れているのが、むしろ設定上不自然と感じました。
家族という人間の根源的なものさえも作り物の、まやかしの世界が、SD体制の世界なんだと解釈しています。
TVアニメでは家族関係をきちんと成立させてしまったことで、原作にあるSD体制の不気味さ、非人間性を描き切れず、またミュウ達が地球を目指す動機が希薄になったと考えています。
家族を始めとする愛情を傾ける大切な対象を、離別や死別によって失うことはとても辛いことですが、その暖かい思い出は、意識上だけでなく深層心理にも残り、人格形成に影響します。
たとえテラズナンバーの洗脳によって記憶が消されても、性格は変わっていなかったのですから、子供の頃にきちんと愛情を受け形成された人格は、消滅することはないのです。
愛情の対象を途中で失うこと以上に辛いのは、「本当の愛情を知らない」ことです。
地球へ…の原作では、ジョミーは目覚めの日に「なぜ涙が出るのだろう…悲しくて虚しい…」と独白します。また、最後まで自分の両親が本当に自分のことを愛していたかと、ずっと気にしています。
答えは「否」と分かっていながら…
愛情によって満たされたことが無く、愛情に飢えているからこそ、心から愛を捧げるべき母なる地球に憧れ恋焦がれ、命まで懸けるのです。トォニィが原作で、この気持ちを理解できなかったのは、実の親の愛情を知っていたからでしょう。
地球を第一義と考え、全てを地球のために投げ打つというコンピューターによる洗脳は、この背景によって成立しているのだと思います。
地球へ…を初めて読んだ私は小学生ながらに、作中のミュウ達と人間達の、愛に飢えその代償として地球を目指す悲痛な気持ちを思い涙したものでした。
しかもその憧れの気持ちは、コンピューターによる洗脳によって植え付けられたものだなんて、何と悲しいのでしょう。
すごいと思うのは、作者の竹宮恵子さんの、家族のあり方に対する洞察の深さです。
地球へ…のSD体制下での家族関係は、意図的にこのように描写されたものだと思いますが、本当の愛情を知らないことの悲しさを、20代でこんなに上手く描くとは、一体何者?って思ってしまいます。

