ジョミーとキースとは、対立するミュウと人間の指導者という立場でありながら、その使命感と意思の強さ、圧倒的な能力など、共通点の多いキャラクターです。
二人の間の決定的な違いは、ジョミーはSD体制から逸脱し、対立する存在であるミュウの長となる運命だったのに対し、キースは人間の指導者となるべく特別に作り出され、体制を守るよう運命付けられた存在だったということです。
キースは教育ステーションE-1077時代にジョミーの送った思念波通信を目にして、「憧れのような気持ち」に包まれています。
マザー・イライザに「今は忘れなさい」と言われて、「忘れろだって?あのとびきり澄んだ印象的な瞳をどうやって…」とも考えています。
キースはSD体制に疑問を抱きながらも、その体制下で生きる以外に選択肢を持たない存在だからこそ、SD体制に支配されない、ミュウであるジョミーに憧れたのでしょう。
ジョミーの方はキースがナスカにやって来て初めてキースを知りますが、やはりキースを「強い存在」と意識し、「なぜぼくはあの男を生かしておく気になったのか」と疑問に思いつつも、殺すことが出来ませんでした。
ジョミーとキースとは、互いに非常に似た存在であり、また互いに尊敬すべき相手だと言うことを無意識に認め合っているのですよね。
キースがナスカから脱出したことにより、ナスカは地球軍の攻撃を受け壊滅してしまいます。初めて読んだ時には、あの時どうしてキースを逃がしてしまったのジョミー!と思っていました。
でもナスカでの出会いは、互いに優れた指導者であるジョミーとキースが、もっと後になってから本当に対等な者同士として対峙する、序章に過ぎなかったのだと思います。
ナスカで多くの仲間を失ったことにより、視力も、聴力も、言語も失ってしまったジョミーは、単なる憧れや母性愛の代償、ソルジャー・ブルーとの約束だからと言う以上に、失くした仲間たちのためにも、ミュウの未来をかけて、何としてでも地球へ向かわなければならないという思いを強くしたのでした。
ナスカ以前はどちらかと言うと、「全てのミュウの力を合わせたよりも強大な」力を持つジョミーの方が、キースより能力も余裕もあり、弾圧される側でありながらなお、立場的に優位に立っていたような気がするのですが、ナスカ以降対等な存在として、生涯の敵であり、なおかつお互いに敬意を払う存在になったのだと思います。
地球へ…は、一方が正義で他方が悪だとか、単純な世界観で描かれてはいません。現実世界のように、人にはそれぞれに生きる目的や意味、信念があって、簡単には譲れないものだからこそ、争いが起こってしまうのです。
SD体制は悪のような気もしますが、それでも最初は人間が自らの意思で、うまく活用しようと考えて導入したものですから、結局は人間の選択の誤りであり、絶対的な悪ではないのですよね。
ジョミーとキースとが対立することは、優れた者同士、敵対する組織のリーダーである以上避けられない運命であり、グランドマザーと戦うジョミーに心で加勢したキースが、結局はグランドマザーに操られてジョミーを撃ち殺してしまうのもまた、避けられない運命だったのだと思います。
何十年も(ミュウと人間と言うレベルなら何百年も)争って来て、最後にはあっさり和解してめでたしめでたしと言うような安易な結論になるはずがないですから。
地球へ…の中では、個人レベルでは尊敬し合い、分かり合えるはずなのに、国家レベル、民族レベルでは分かり合えない人間の不合理が、本当にうまく描かれていると思います。