地球へ…のTVアニメでがっかりしたことの一つは、ジョミーたちミュウが苦難の末に初めて肉眼で捉えた地球が、荒廃し切った死の惑星だったという設定にされてしまっていたことです。
原作でジョミーが「だれかの意識がぼくの頭の中ではねた”地球か…?”と」「その瞬間にだれより早くぼくの意識はあの青い空をとらえた」「ぼくの運命を変えた星-地球!!」と独白したくだり、初めて読んだ時には涙したものでした。
何度読んでもその度に感動します(T_T)
ジョミーの頭の中ではねた、「だれかの意識」は、もちろんソルジャーブルーの意識ですよね。ジョミーはその強い能力と強い想いとによって、肉体の滅びたソルジャーブルーの意識を、自分の深層心理の奥底に取り込んでしまっていたという設定でしたから。
やっと、やっと地球を肉眼で捉えられる所にまでたどり着いたミュウたち…物語の冒頭で、「地球は遠い…せめて一度この肉眼でとらえたかった」と涙したソルジャーブルーの想いを、ついにジョミーたちが実現でき、ジョミーの潜在意識の中に存在していたブルーもまた、地球を肉眼でとらえるという悲願を果たすことが出来たのですから…
美しい地球、自分の運命を決定付けた憧れの地球…
実の親を持たず、家族の愛を知らず、作り物の世界で育ったアイデンティティの危ういジョミーたちが、唯一確かな存在として全てをかけて目指した地球が、想像よりずっと美しかったからこそ、それまでの苦難と悲しみが報われるのですよ…
それを荒れ果てた星にしてしまっては、それこそミュウも人間もかわいそう過ぎるじゃないですか(/_;)
過去は自分で変えることが出来ませんが、未来は自分で選んで作っていくことが出来るのですから、悲しい過去を持つミュウたちが命を賭けてたどり着いた地球は、せめて美しい星であってほしかった…
そう言えばTVアニメでは、アタラクシアがやたらときれいなのですよね。
原作の、巨大なビルの立ち並ぶメガロポリス、ロードウェイや空中を張り巡らされたチューブを使って移動する人間、その人工的で冷たい感じのするアタラクシアを、あんなに美しく作り変えてしまい、しかも肝心の地球を荒廃させてしまっては、美しい過去と希望のない未来という、原作とは全く相反する救いのない構図になってしまいます。
だいたい、SD体制が始まってから500年以上経っているのですから、そろそろ地球が生き返っている方が自然でしょう。
原爆が落ちた広島や長崎だって、当初は100年は植物も動物も育たないと言われたそうですが、実際には10年も経たない内に植物も動物も育つことのできる土地に戻ったのですから。
地球は、人間というヤドリギが離れてもそう簡単には回復しないという考え方は、人間の存在と影響力とを過大評価し過ぎだと思うのです。
人類なんて地球にとっては取るに足らない存在なのですから…
SD体制は地球を生き返らせるために作られたのですから、SD体制により人間性は破壊されてしまい、人間がコンピューターの部品と化してしまっても、その代償として地球は美しい星に戻っていなければならなかったと思うのです。
そうでなければ本当に、救いがなさ過ぎるではないですか(;O;)
意志の力で全てを成すミュウの存在は、悲しい過去や過酷な宿命があっても、意思さえ強ければ未来は作ることができると言う、竹宮惠子さんのメッセージだと思うのです。
それを大切にしてほしかったなあ…