キース・アニアン

指導者

SD体制下では人間の指導者はグランドマザー(とキース・アニアン)、ミュウの指導者はジョミー・マーキス・シンでした。

地球へ…のラストでは、人間たちが自らコンピューターの部品と化してまで再生を図った地球が滅びます。
それと引き換えに、人間とミュウとは和解し、共存への道を歩むことになるのです。

それまで長い長い対立の時代を生きてきたミュウたちと人間たちは、それぞれに強い指導者を必要としたことでしょう。

でも人間たちがコンピューターの支配から解放され、今後は自分たちの意思と判断で生きることになったので、強い指導力で人々を牽引するソルジャーや国家元首は必要なくなったのだと思います。

テレビアニメでトォニィがソルジャーになっちゃったのは、私はとても不自然に感じました。
だいたい監督が、ミュウと人間との新旧交代を描きたかったのなら、今後人間たちはミュウの支配下に置かれ、ソルジャーの導きに従って生きる訳??

だったらグランドマザーがソルジャーに代わっただけで、何も進歩ないじゃないですか(^_^;)

人間って世代を重ねても成長しない生き物で、古代ローマの紀元前の遺跡から、「最近の若い者は」って言う落書きが見つかったと、誰かが書いていました。

科学技術が進歩しても、現代の人間たちは紀元前の人間たちと何ら変わるところがありません。

大切なことを知ろうとせず、自ら考えず、何でも人任せなのに、結果には不満だらけ…
指導者と言われる人たち、権力や地位やお金を持っている人たちも、私利私欲に走り、全体を省みることをしません。

普通の人より優れた人たちが、滅私の精神で世界を変えていく気がなければ、いつまで経っても世界は今のままでしょう。

地球へ…を通して竹宮恵子さんは、そんな人間たちに「目覚めよ人よ」と呼びかけているのだと思うのです。

ジョミー・マーキス・シンが、キース・アニアンが、自らを捨てて、命を懸けて自分の下にある人たちを導こうとしたように、実在の指導者たちが考えれば、世界は変わるに違いありません。

そして、全ての人間が誰からも支配されず思うままに行動して、なおかつ正しく生きることができるようになれば…

そう考えると、地球へ…のラストは、究極のユートピアへのプロローグだと思えるのです。