地球へ…の中で、竹宮恵子さんが人間というものをどう解釈しているか伺い知ることのできる台詞のひとつに、トォニイの「感じないかアルテラ 自分が宇宙に漂う際限ないエネルギーの中のひとかたまりだと」という言葉があります。
壮大で深遠な表現ですね!宇宙に漂うエネルギーの一部が形あるものとなって、生命が生まれた…
子供ながらに自分って一体何だろう?と自分の存在意義に悩んでいた私は、「そうか!自分は何者でもないと同時に、この宇宙の一部であることには間違いないんだ!」と感動したものでした。
竹宮恵子さんにこういう発想があったからこそ、ジョミーがソルジャーブルーの心を自分の深層心理の中にそっくりとらえてしまったり、死の瞬間のシロエの想いがジョミーに届いたり、ミュウたちが不思議な力を持っていたりするという設定を思いつくのでしょう。
ラストで他のナスカの子たちと共に、肉体を捨てて宇宙の果て、地球の見えないところまで行ってしまうトォニィ。
きっと肉体が滅びても、人間の精神は宇宙のエネルギーの一部となって漂い続けているに違いないと、私も思いました。
地球は、キースがコンピューターテラをシャットダウンしてしまったことにより一旦は滅びますが、長年争ってきた人類とミュウとが、いきなり和解して理解し合い仲良く大団円という訳にはいかないと思うので、これはこれで最も自然なラストだと思いました。
コンピューターによる支配から解放された後、長い長い年月が経ってから、人間もミュウも同じ人類として自然に共存し、母なる地球を目指して旅し、再び地球が生命を育む星となる予感を感じさせて、物語は終わります。
宇宙の際限ないエネルギーの一つの形が生命なのだという考え方があればこそ、地球が滅亡してしまうという、一見絶望的なラストも、破壊により再生が行われるのだと解釈でき、甘いラストよりもかえって清々しいカタルシスを感じさせるのだと思います。
それにしても10歳やそこらでそんな哲学的な思想を持っているトォニィ、さすが特殊能力の持ち主です(^_^;)